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「一緒に生きていきたい」と思ってしまったから沼が深い

バルセロナで振ってきた男のことが、好きだったかと言われると正直ピンと来ない。振られたから、「べ、別に好きじゃねーし(汗)」と小学生男子みたいに強がってるわけではない。なんというか、本当に「好き」とは違うんだ。

彼は、私が自分から好きになるタイプとは違っていた。顔やファッションは苦手ではないけど好みでもない、そもそも年上じゃない、ちょっと社畜なくらい仕事熱心な人に惹かれがちだけど全然違う。チャラそうで私とは合わないかな、くらいの印象まで抱いていた。

でも、時間を重ねるうちに、「あ〜人生を一緒に生きていきたい」「こういう人と一緒にいたら幸せになれそう。一緒に幸せになりたい」と、じんわり思わせる人だった。
これを「好き」と言うのかもしれないけど。

おっちょこちょいなくせにせっかちでバタバタと慌ただしく生きがちな私に対して、用意周到でいつも落ち着いている彼。
仕事が好きなあまり時々プライベートを疎かにしがちな私に対して、「死ぬ時にもっと仕事すればよかったって思う人いないよ」と常にプライベートの充実を優先させる彼。
それでいて仕事でちゃんと評価されるだけの要領のよさがある彼に比べて、地道にコツコツしか戦えない私は、彼を尊敬していた。
でも彼は私の地道な努力や仕事への姿勢を尊敬してくれて、おっちょこちょいな私を面白がりながら「mayのために色々調べたり用意したりするのが楽しい」と言ってくれた。

こんな風に「違い」を認めて補い合えるのなら、それが幸せなんだと思った。

何かが予定通りにいかなかった時、失敗してしまった時、「きっとこっちにいいことがあるんだよ」「神様がやめさせたんだね」と、前向きに切り替えてその場を楽しもうとするマインドを教わった。
自然や季節の移り変わりを味わうことは前から好きだった気がするけど、彼と一緒に過ごす中で、もっと好きになった。地球を最大限に楽しむ方法を教えてくれた。
一緒に私の地元に行った時、見慣れていた景色の素晴らしさを、街の温かさを、家族の愛を、改めて教えてくれた。
何気なく終わらせてしまいそうな、海沿いの散歩を、満月の夜を、コンビニのアイスを、芝生での昼寝を、見かけた虹を、
こうした日常を全部、「大切な人と過ごしてる最高の時間だね」と、気づかせてくれた。


チャラそうという私の第一印象は合っていた。常に周りの女の子からモテようとしてるところとか、いろんな人に思わせぶりな態度を取るところとか、「mayみたいにおもしれー女が好き」とか言いつつ「でも男って結局、あざとくて可愛いだけの女も好き」とか言ってくるところとか、そのくせ「mayは顔もタイプだし中身もおもしろくて、結婚するならこういう人」とまで言ってつなぎ止めるところとか、そういうところは全部、ずっと最初から最後まで、嫌いだったよ。

でもさ、もうそういうのは全部飲み込んじゃったんだ。付き合ったら周りの女にモテようとしなくなるだろうし、もしそんな態度を続けていたとしても「はいはい、まだチヤホヤされていたいのね。でも私と付き合ってるんだから」と呆れつつも余裕で流せるかもしれないと思っていた。


だから、振られてから、そんなところが嫌だったと思い出しても、全然慰めにならないんだ。そんなのは飲み込んだ上で、「一緒に生きたい」と思っちゃっていたんだから。子どもを持ちたいか決め切れていない私が初めて「こういう人となら子どもを持ちたいかも、子育てしてみたいかも」と思っちゃっていたんだから。キモくて重いけど。

そして、一緒に生きたいと思える人を、もう一度どうやって見つけるのかがわからないんだ。自分から好きになったタイプじゃないから。

だから彼のことは好きじゃないのに、この沼は深くて抜け出せない。

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