100日後に死ぬワニを全話見ることができなかった話

 2019年3月20日、とあるワニの死があった。

 時間の経過とともにメメント・モリを識る、とても良い作品だった。(作品についての感想をお探しなら、ぜひ戻るボタンを。本出るんですよね、買います!)いいね!の数字からもその影響力をうかがい知ることができる。
 だが私は積極的にワニの生活を見ることなく、終わりを迎えてしまった。私は初めてのnoteの題材として、100日後に死ぬワニを『全話見ることができなかった自分の内情を考察してみた』結果を書こうと思う。


悲しくなったから見られなかったわけじゃない

 頭の中だけで理由を探ろうとしても徒労に終わることが多いので、マインドマップ風に書き出して考えることにしている。今回もそうした。(実物は愛用のクロッキー帳になぐり書き。とてもじゃないが見せられないのでパワポに頑張ってもらった。細かい部分は省略している)

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 書き出して気づく。なぜ人の目を気にしているんだろうか。確かに私は記憶力が良い方ではなく、耳目から入って鼻口から抜けるような頭だが。「碌な感想を持てない」というのは、何かと比較している証拠である。そして、「その世界で褒められようとしている?」「恐れ」「(やったってどうせ…)」という項目から、0か100かしか頭にない完璧主義が邪魔をしているのではないかという仮説を立てた。

 現代はとても便利なもので、ブラウザで「完璧主義 やめる 方法」で検索すれば山のように該当ページを吐き出してくれる。しかし、これで見つかる方法には具体性を伴っていないことが多いことは、昔鬱病にかかって回復していく過程で同様のことをしていたから知っている。薬による積極的治療が終了してからしばらく経つのに以前と同じことをしているとは、つまり私の認知行動療法はスタートラインにすら立っていなかったのかもしれない。今回はもう少し頑張りたい。


情報の海の中で、1冊の本を発見した。

 「プレッシャーに負けない方法 「できるだけ完璧主義」のすすめ」(水島広子著)
 文中で、『マイナスの完璧主義』というものが出てくる。まさに自分だった。4章に、自分がどう見られているかを恐れないコツが書かれている。以下引用。

「『マイナスの完璧主義』の人は『DO』をとても気にしています。それは成果につながるからです。よい『DO』ができれば、他者からの評価もよくなるでしょう。   ~中略~
 自分を肯定する、「今はこれでよい」と考える、というのは、とても大切な『BE』です。   ~中略~
 その『BE』を土台にして、コツコツと『DO』に取り組んでいく、というのが『プラスの完璧主義』   ~中略~
 『マイナスの完璧主義』は、強迫観念がもたらす不安やプレッシャーをどうにかしようとして、やたらと『DO』している、そしてそれが空回りしている、という印象ですね。すべてが『他者からの評価』に依存するわけですから、そこには一貫した『BE』が生じようもないと言えます。」

 う”っ…(致命傷)
 やたらと『DO』して空回るのは、以前やっていたイラストブログでは十八番かもしれない。描くほどに自信がなくなっていって、終いには更新が途絶えてしまった。
 また、他者からの批判の受け入れ方も書かれている。

「そこに聞くべき中身がある場合もあります。しかし、そのようなときに『きちんと受け入れなければ』などと思ってしまうと、自己否定まで一緒に引き受けることになってしまいます。なぜかというと、内容がどうであれ、『批判』という形でもたらされた場合は、それなりの衝撃を受け、自己否定的になってしまいがちだからです。   ~中略~
 (批判の中身の検証は)『なるほど、そういう考えもある』『なるほど、それをプラスするとよりよくなる』と中立的に思える時期が目安です。
  ~中略~
 『他者からの批判』はやみくもに恐れる必要はなく、『衝撃的だから痛いだけだ』という理屈をわかっておけば十分です。」

 なるほど…(弱復活)
 世の中の「プラスの完璧主義」の人々は、このあたりをうまくコントロールできているのだろう。それによって他者からの批判をうまく取り入れ、他者からの評価に依存しない自己を確立している。
 私は今まで批判を受けたら、自分の中で無理やり「そういう考えもあるよね」と納得させていたため、「そう思えるようになるまで受け入れない」という選択肢が存在していなかった。そのツケが、今きているんだろう。

 この本を読んでいくと、自分が抱えている他の問題(マインドマップ中の「これがわからない」「興味の消失」が該当する)についても、「マイナスの完璧主義」によるものの可能性が高いという結論に達した。なんてこった…もっと早く読んでおけばよかった。

 今回は、100日後に死ぬワニのおかげで、自分の未だ解決できていない精神的な問題に気付かされた。ありがとうワニくん。本買います(2回目)。そして私はきっとワニくんのすべての物語を読むことができているでしょう。なぜなら、どれだけちぐはぐで脈絡のない感想を抱いたとしてもそれが今の自分だし、それを外に発信したとしてもリアクションの有無や内容に落ち込むことはない。痛いだけだもんね!


 この本は是非あとがきまで読んでほしい。以下あとがき引用。

「『自分はプラスの完璧主義ができていない!』と思ったときには、これが長い間のクセである自己否定なのだな、と気づけば十分で、『今までの歴史が長かったのだから、方向転換には時間がかかるはず。今はこれでよい』と思ってみてください。」

 この言葉に救われたので、一歩ずつ「できるだけ完璧主義」に近づいていこうと思う。(「できるだけ完璧主義」とは、「プラスの完璧主義」の捉え方の一つ。できるだけのことをしているという『BE』の元に、できるだけの『DO』を積み重ねていくという考え方。あとがきで紹介されている。)


記事を書こうと思ったきっかけ

 Nサロンに参加するにあたり、何かしら記事を書いてみたいな…と思っていた矢先、深津さんが以下の記事を投稿。これがきっかけになった。

 この記事を読んで、今回取り上げた「マイナスの完璧主義」に通じるところがあると感じ、やってみるかな!と。深津さん、素敵な投稿ありがとうございます。ちょっと前進できました。


2020.03.25追記。やはり今の自分には荷が勝ちすぎたのか、仕事中にも不安の吐き気が…。もうちょっと慣れてから次に進みます





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