ことばを尽くす
新しい年がスタートしました。皆さんはどんな年にしたいですか?
私はことばを尽くす年にしたいと思っています。
先日父と価値観の違いで衝突しました。父とは歳がほぼ30違うので価値観が違うのは当たり前なのですが、親と衝突するといまでも寂しい気持ちになります。自分は認められていない、理解されていない、という卑屈な思いが沸いてきます。
いつもならわだかまりを残したまま諦めるのですが、お正月の帰省直前ということで、もやもやを解消しようと長いメールを書きました。自分がその価値観を持つに至った理由をいくつも挙げて。
距離のある関係の友人なら価値観が違っても「そういう人もいるんだな」で済ませられることも、相手が家族など近しい関係だとそうはいきません。
私は結婚して22年になりますが、結婚した当初は価値観の違いで夫と激しくぶつかり合いました。とは言え、自分の価値観を押し付けてくる父に育てられた私は父の価値観に染まっていて、自分の価値観というものを持ち合わせていませんでした。一方の夫は4人兄弟でシングルマザーに育てられるという壮絶な幼少期を経て、自分で人生を切り開いてきた人なので、若い頃から自分の価値観を確立していました。したがって当時の私は、父の価値観と夫の価値観の間で揺れ動く、ということを繰り返していたように思います。
子どもの頃、親に何を言っても「お前は間違っている」と言われ続けた私は、そのうち何を言っても無駄だと諦めるようになっていきました。自分の意見を言っても叱られるだけなので、だんまりを決め込むことが最大の防御だと思い込んでいたのです。
話は飛びますが、去年父方の祖母が100歳で亡くなりました。“そろそろ危ない”ということになってからは頻繁に実家に帰り、何度も祖母がいる施設にお見舞いに行きました。それまで父と祖母のやり取りを間近で観察する機会のなかった私は、あることに気づきました。祖母と父の関係が、父と私の関係に酷似していたのです。
「ああ、父もずっと寂しい思いをしてきたんだな」と思いました。「父が口下手なのは、私と同じ理由なんだな」と。そしてきっと祖母も、親から同じ仕打ちを受けていたのだろうと想像できました。
祖母が亡くなった時、この負の連鎖を断ち切らねばならない、と思いました。私には子供がいないので連鎖のしようがないのですが、せめて私が生きている間は相手の話に耳を傾け、相手の思いや意見を否定しないように努めようと心に誓いました。そして「言わなくても分かってよ」という甘えを捨て、ことばを尽くして相手に分かってもらう努力をしたいと思ったのです。
父に送ったメールへの返事はまだありませんが、LINEの家族グループにしれっと連絡があり、それ以上議論になることもなかったので、私のメールを読んで少しは理解できたんだと思います。明日からしばらく実家に帰ってきます。
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