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帰国子女が考える「帰国子女」の考え方

「帰国子女(きこくしじょ)」とは、外国勤務などで一定期間海外に住んでいた日本人の子供たちのことを指します。海外で日本語以外の言語を覚え、日本語になじめない場合があるため、教育上の支援や文化的な課題があります。

Chat GPT

今流行りのAIに聞いても、私たちは教育上の支援や文化的課題を抱えている対象として社会から認識されているようだ。30歳もゆうに超えて、まだ帰国子女について悩んでいるのかと思われがちだけれど、自分たちが多感な時期に抱えたトラウマや、学んだこと、覚えた感覚というものは基本消えるはずがないことを、日本の社会の大多数の方々は帰国子女に置き換えて考えることができないらしい。

帰国子女を振り返る

日本で育てないとはどういうことか

日本に生まれ住んだ場合、私たちは同じ背景を基本的には持って学校教育の中に放り込まれていく。バリエーションも幼稚園か保育園か、私立・公立くらいしかない。一応日本にもインターナショナルスクールはあるし、斎藤工さんなどで有名なシュナイター教育などバリエーションはあるけれど、圧倒的にレアケースだと思う。

基本的には、自分たちが常に人種的にマジョリティーである。文部科学省が決めたルールの中で同じ教育を全国の子供が平等に叩き込まれて、人間関係を育み、大人になっていく。これは自身の親も同じ教育を受けて育っているので、親からしても自分たちの時とその内容は多少違えども理解しやすい。特に言語的な問題がないことで、スムーズに両者が適応していけることがほとんどではないだろうか。

一方、私たち帰国子女は、同一カテゴリーに括られてはみたものの、その性質はそれぞれ大きく異なるというのが特徴的だ。そして親が受けてきた教育ではないので、親の理解も得にくい。環境に適応する過程では、従来であれば「受けなくていい心理的ストレス」を文化・歴史・言語の部分で余計に受けることになるため、本来の教育という部分では日本で育つよりも余計に時間を要し、また心理的ストレスもかかってしまう。

浄化される現地での記憶

帰国子女になれば、現地の同世代にまつわる嫌な経験の1つや2つは確実に持ち合わせていると思う。日本人学校に通っていた人も、普段の生活の中で、現地人との嫌な思い出くらいはあるのではないだろうか?
面白いのは、私たちはこれらを嫌な思い出と捉えたとしても、引きずるような深い心の傷として抱え続けるケースは稀だということ。実際に、こういう話題は大人になるごとにネタとして消化されていく。あくまでも、こういう類の思い出は、時間と共に浄化されていくからだと思う。

時間が解決できないもの

一方で、時間が解決するどころか、深いトラウマや心の傷を作り出すこともある。その原因には「大人」という存在が深く関係している。
実際に帰国子女仲間から聞く話では、その多くが身近な大人である親、そして教師にまつわる暗黒エピソードが圧倒的に多い。私たちが帰国子女時代に抱え、引きずる心の傷の大半は、大人の不誠実さ、抑圧、決めつけ、無配慮、強制といったもので作り出されていることが多い。

その中でも、一番最悪ケースがある。それは今の世代の言葉を借りると「親デバフ」「親ガチャ」と呼ばれるものだ。海外という異質な環境で戦う子供の心を想像するとは無縁で、常に自分の駐在妻コミュニティー(買い物、お茶会、噂話等)に勤しみ、子供の交友関係すらそこで完結させようとするケースだ。この場合、あくまでも大人中心の駐在生活が進むため、よくわからない大人の事情を無意識に子供に押し付けたりすることがある。

もちろん、親は親で余裕がないし不安だと思う。語学ができない場合はより不安だし、自分の居場所作りに躍起になるのも理解できる。私が東南アジアの国で働いていたときにもそんな光景を沢山みてきた。ここは個人差が大きく出るところだが、結構な割合で余裕もないので、自分の都合の良いように子供が動かないと、ところ構わず憤慨する親も多い気がする。(日本もそうだけれど、日本の場合はまだ日本の環境だからマシ)

ただ忘れないで欲しいのは、あなたの子どもはもっと過酷な環境で戦っているということ。特に現地校で周りに日本人がいない環境の場合、学校で我慢する分、家庭では少しわがままを言いたくもなる。そうやって甘えて疲れた心を親で回復しようとする子供もいる。結局のところ、私たちの帰国子女の心の琴線は、大人が握っていると言っても過言ではないと言うことだ。

帰国子女同士の関係は複雑

帰国子女の種類が多すぎる

これを読んでいる親世代の方に想像して欲しいことがある。
独身キャリアウーマン、既婚の子なし共働きの女性、子持ちの働く女性、育児で専業主婦に転向した女性、社会に出ずに専業主婦になった女性が同一のコミュニティーに集って何かを一緒にする場面を想像してほしい。

帰国子女の私たちは、住んでいた国、年数、学校の種類が異なることで、生活リズムが大きく異なっており、先にあげた例くらいの感覚の違いがある。そんな集団が、帰国子女入試対策で同じ学びやに集められ、同じ試験に向けて勉強をし、合格した場所で帰国子女という呼び名でまとめられて生きていると思ってくれたらいいと思う。

当たり前だけれど、私たち帰国子女は全員が同じ国に行ったわけでもないし、同じ教育を受けたわけでもない。仮に同じアメリカに行ったとしても、アメリカは州ごとに大きくその教育レベルが異なっているし、同じ州だったとしても学区でレベルが違う。だから同じ学校でもない限り、その思い出を共有するのは難しい。社会は私たちを帰国子女とまとめたがるけれど、そんな単純ではないということだ。

帰国子女にはランクがある

日本には変な白人至上主義的な文化がある。白人さんはかっこいい、偉いというイメージだ。GHQでマッカーサーが日本に降り立った時、既にこの思想が定着していたらしい。若い女性の多くが、自国を苦しめて占領したマッカーサーにラブレターを送り、キャーキャー騒いだりしていたらしい。それくらい私たちの根本に白人文化が根付いているようだ。(勉強してみてね)

それに比例するように、駐在先にもランクがある。アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア。そしてそのどこの都市で駐在しているかでカーストがあるのは、なんとなく駐在員の子供だから知っている。実際、教育系の編集者として勤務していた時、シアトルからの帰国子女の同僚に、私が住んでいた田舎街を馬鹿にされた挙句、私の英語のアクセントも訛りがあるとからかわれたことがある。バカにしてきた彼女はマネージャーで当時35歳前後だった。このように、本当に英語の発音だけでマウントを取るような大人気ない(頭の悪い)帰国子女は存在しているのだ。悲しいのは英語教育に携わるものが、こういう基本的なところで世界的にNGとされることを平気でやっているということである。

要するに彼女は過去の経験を大人の世界でアップデートすることができていない。彼女が幼少時代なんとなく大人にインプットされてしまったことを今でも平気でやっているということともとれる。帰国子女は、このような日本の悪いイメージを踏襲しやすくなっているのは悲しいことだけれど発生する。そして、欧米の帰国子女は日本に戻ると自分のいた駐在地に優位性を感じる環境になるような社会のしくみがある。英語が話せるほうが他の言語を話せるより偉いみたいな幼稚な価値観を、今になっても持つのは親の普段の言動であったり、帰国子女の塾や予備校で大人たちがなんとなく作る空間であったり、やはりこれも大人が子供に渡すイメージで欧米や英語を優先するような意識を植え付け、それを30を超えても当たり前のように保持する第二世を爆誕させてしまう。特に英語の発音に関しては、本当に伝わる英語を話せるかが大事になっている世界とは逆行しているのが見かけばかりを気にする日本らしい。

帰国子女同士も同じ環境で群れる

上記の理由から、帰国子女同士も同じ環境にいたもの同士で群れる傾向がある。カーストもなく、同じバックグラウンドがあると安心するからだ。
日本人学校出身者同士、インターナショナルスクール出身者同士、現地同士。これが細分化されるとタイで小学校の頃、インターに通っていたもの同士、アメリカの高校で現地校に通っていた同士との具合だ。

日本に戻った帰国子女たちは、お互いの経験を認め合ってシェアすることがなかなかできず、孤立する者がでるのも不思議ではない。特に現地で日本人が全くおらず、日本語環境が側にない場合そうなりやすい。なぜなら彼らのアイデンティーは完全に現地の教育によって形成されているからだ。
このタイプの子供は、突然親の都合で日本に引き戻さるわけだから、自分が日本人であることが辛くなり、アイデンティティーが不安定になる。多くの場合、学校で仲間はずれにされたりすることで上記の現象が強くなるし、その結果、自己防衛のために相手が劣っている要素(例えば、英語の発音が悪いなど)を強く意識するようになる。このように、自身の環境をシェアできる場所がない、友人が作れないことが、帰国後の子供の心を壊しやすい一番の原因となってしまうことも多いのだ。

帰国子女という曖昧なものへの考え方

親はまず子どもの個性を観察し、認め、励ます

「帰国子女」という枕詞で子どもをみないであげてほしいと思う。あなたはこうだから、あなたはこういう性格だからと個性を認めてあげて寄り添うことで、帰国子女は帰国子女の呪縛から少し解放される。
正直、高校生くらいまでは親さえ味方で分かっていてくれたら、それだけで強くなれる時期でもある。社会に出れば勿論、社会での評価も欲しくなるけれど、高校生くらいまでは自分が主人公の狭い社会に生きていて、友達や恋人はそれを彩る一時的なエッセンス要素が強い(すぐ喧嘩して絶交して仲直りするし、恋人は自身のアクセサリーとして考える恋愛になりがちなのはご自身のご経験から想像できると思う)。だから結局、親さえしっかりしていればある程度どうにかなる可能性は高いのだ。そのためには、子供の個性、考えを認めて向き合ってあげることを優先してあげてほしい。(実際は子供だけれど)子供扱いをしないで、諦めずに対話の姿勢をとる習慣を家族内でいかに作ることができるかが大切だと感じる。

一番避けて欲しいことは、大人が帰国子女というブランドに踊らされて、帰国子女受験対策に明け暮れて、隣の芝生の青さに目を奪われて、自分の思い通りになるように子供を刺激することだ。

そんなことに時間を奪われるよりも、自分の子供の性格を分析し、彼・彼女が健やかに育つための方法を慎重に吟味し、早期に日本帰国がある場合には経済的な見通しを立てられるかも含め、英語の継続がどうできるか夫婦で何度も話し合ってほしい。その結果、もし英語環境の保持が難しいとなった場合には、せめて今だけは英語環境にどっぷり浸からせたいという一時的な感情を優先するのではなく、徐々に日本の環境に戻りやすいような海外生活を計画してあげてほしい。そういった親の努力が子供の心の健康を、そして20年後の子供の未来を作り出すからだ。

そう、大切なのは彼らの中学・高校・大学生活のブランド名ではない。アイデンティティー崩壊をなるべく防ぎ、社会人に無事になって定職を持ち、そこからの人生を一人で歩めるように自立させることだと思う。そもそも、小学校くらいまでの経験や考え方がその軸になっていることが多いので、小学校という時期は親との関係性であったりも含め、結構大切な時期だと思う。

子供はいつか自分の意思で将来一緒にいれるような大切な人を選ぼうどする。そして大抵の場合、男の子なら母親を基準に、女の子なら父親を基準に相手選びをするものだ。そして結婚した後、自分が満足に幸せに育ててもらったと思えば自然に子供を産む決意をし、あなたが育ててくれたやり方を模倣して子供を育てていくし、子供の頃が辛かったり嫌な思い出がある人は子供を産み育てることに抵抗を持つ。

とにかく人生は長い。まずは受験で良い学校、良い大学、そこから良い就職先かもしれない。でも良い大学に行ったからとて良い就職ができる世の中でもない。結局は子供の人間性がしっかりしていないと就職活動はうまくいかない。

だからこそ長い目で見てほしい。今自分が子供に強いていることは子供の心を壊しはしないか、自分たちは現実的に達成可能なことを子供に強いているのか、子供の挑戦に全力で寄り添い切る覚悟はあるのか。実際、あなたがお子さんと一緒に住める時間は刻々と減り、何かを伝えられる時間は限られていて、どんなに今は小さな子供もいつかは大人になってあなたの元から巣立っていかなければいけない。キリスト教的に言えば、子供は所有物ではなく、神様から預かっている一人の人間、要は他人なのだ。だからこそ自分の子どもはどのような個性があるのか人なのかを見極める方に時間を割いたほうがいい。良いチームを作るために邁進する親子の方がその絆もずっと強くなる。そして子供は親を尊敬する。子供から「考える力」を奪う大人にならないでほしい、これからはAIが簡単な作業は全部やってくれる時代になる。養わなければいけないのは「考える力」にシフトしていることを鑑みて、教育に携われる親に、そして大人になろう。

帰国子女でいることに疲れた君へ

まずは、毎日頑張っているよね、疲れているよね。お疲れさま。もし日本に帰ってきたばかりで周りに友達もあまりいない、仲良くできそうな子もいないで悩んでいるのだったら、そうやって考えて悩んだ自分をたくさん褒めてあげてほしいです。
君が色々と悩むのは、それまでに人と違うことをいっぱい経験したからです。だから色々考えて、悲しくなって、悩みを増やしてしまうのです。まわりのお友達が自分と違うことは悪いことではないのです。
人には個性があって、好きなものも、嫌いなものも、嫌なだと思うことも、楽しいと思うことも違うように、何に悩んで、何に怒るかも違うのです。だから人とは違う悩みを抱えることは、悲しいけどこれからもいっぱいあることだと思います。

大切なことは、その悲しいな、苦しいなと思う気持ちはどこから来たのかを「考える」ことです。そして自分が悲しい思いをしたからといってそれを人に「渡さない」ことです。例えば、自分がバカにされたからと言って、相手の英語の発音をバカにしたり、英語を頑張って勉強しているお友だちが悲しい思いをするようなことを言わないことです。あなたが日本で、そして海外で悲しい思いをしたことを人にしてはいけないのです。

もう一度言います。あなたが日本いるお友達と少し違うところがあって、何か変な気持ちになる時がある、その「違う」というのはあなたの個性です。そして、日本以外の国で一生懸命生きてきた証なのです。その頑張っていた君のことも、今辛い気持ちなことも、そばで見てきたお父さんやお母さんがいるから一人じゃないです。ただ、その悲しい気持ちは、お父さんとお母さんに話さないと伝わらないのを忘れないで。気づいて欲しいでは伝わらない、人はみんな違う心を持って生きているから、言葉にするという力で伝えるのです。だから言葉にする勇気を持ちましょう。

大人になると、「違うこと」は誰にも真似できないあなたの武器になります。誰も経験したことのないことを経験した人は社会で必要な存在になります。普通のカードの中に一枚だけ光るカードがある、それがあなたになります。だからこそ、あなたの考え方、世界で見てきたもの、思い出、それを言葉で伝える力を養ってください。これからの世界は、自分の考えを相手に伝わる方法で表現する力を必要としていると思います。英語を話す、書くだけならこれからはAIがやってくれる時代になるのです。でもAIはあなたのように経験することはできません、だからあなたには勝てません。

もし、これを読んでいるあなたが、楽しいことを楽しいと、嬉しいことを嬉しいと感じることができなくなって、毎日どこかに消えてしまいたいと思うようになってしまっていたら今すぐ、帰国子女の先輩としてして欲しいことがあります。それは、恥ずかしがらずに心のお医者さんに行くことです。
このブログをぜひ一番近くの味方であるお母さんとお父さんに見せて今すぐ伝えましょう。「心が疲れてしまった、少し休みたい」と。
世界には心理カウンセラーという人たちがいます。この人たちは世界では大切にされている心のお医者さんです。医療内科ではなく心理カウンセラーを選んでもらいましょう。日本でも少しずつですが、この人たちは大切な存在であると考えられるようになっています。人は完璧ではありません、困ったら他人に助けを求められる人が場所が必要なのですが、日本には「頑張れ」という文化がありすぎて、世界よりもわかる人が少なすぎるのです。

最後に、あなたは本当によく頑張っていて、前に進もうとしています。過去に私も、そして帰国子女を経験した大人も、きっとほとんどの人が同じことで立ち止まった経験があります。あなたは一人じゃないことをここを通して知ってくれたら嬉しいなと思います。



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