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帰国子女が巻き込まれる大人の世界

はじめに、もしかするとこれを読む人の中には不快に思う、同意できない人もいるだろうと思う。これを書くにあたっては1カ月以上の月日をかけて何度も書き直してきた。私が伝えたいのは、帰国子女ってイージーゲームだと思われがちだけれどそうでもないということ。そして、海外経験が豊富で羨ましいなどと「海外」がどうしてもフォーカスされるけれど、結局日本人コミュニティーに身を置いているという現実とのギャップに長年違和感を感じている子どもがいたということである。幸い、超ド田舎の米国と東南アジアでの日本人学校経験、そして東南アジアでの社会人経験と様々な立場から帰国子女を眺めてきた自分としては、ある程度客観的に自分を見ることができるようになった。この年になったからこそそういうことができるようになったこともあるので、文字に残そうとおもったトピックであることを了承して読み進めてほしい。あくまでも一個人の見解として客観的にお楽しみいただければ書いた本人は嬉しい限りである。

日本人が多い場所、主にアジアや都市部

日本人が海外で密集する場所は世界中でそう多くはない。というのも、駐在や現地採用で働こうとなると人が一定数以上集まる国や都市は限られる。その中でも断然多いのは東アジアと東南アジアの主要都市ではないだろうか。ワーホリともなれば人気なのは近場のオーストラリアやニュージーランドをよく耳にする。要は日本から直行便が出てている主要都市には、日本のサービスに需要が多いと考えるのが妥当だろう。

私の知っている帰国子女の多くは、中国・香港・タイ・マレーシア・インドネシア・シンガポールが多い。その中でも日本人が多いエリアとして挙げるとするならば、中国は上海・北京・大連。タイならバンコク(スクンビット)。マレーシアならクアラルンプール(KLCC)かペタリングジャヤ(モントキアラ界隈)。インドネシアならジャカルタはパクボノ・ガンダリア・ポンドックインダエリア界隈を抑えておけばスクールバスにも都合が良い。国土の小さい香港(東京都の半分くらい)とシンガポール(淡路島程度)は、行く学校を考えて居住区を決めれば同じコンドに日本人が密集するのは経験された方なら理解できるだろう。

ちょっと足を延ばしてワーホリの多いオセアニア地区、オーストラリアもシドニーかメルボルンで働く日本人が多いだろう。アメリカやヨーロッパもそれぞれが直行便のある大都市に多く住んでいる。アメリカはあんなに広大な土地を保有していても、結局日本企業が持つメーカーの工場がある州や都市は決まっているし、金融関係はそれが発達している都市に行く。要は、ビジネスに便利な場所に外国人は集まる。全く日本人がいない場所に出向する確率は全帰国子女人口の中でも稀なケースではないだろうか。

要は小さな要塞コミュニティー

日本人が多い都市に駐在すると、無駄に?必要以上に?日本人コミュニティーに囲われるような人間付き合いが始まる感覚がある。なんとなく小学校のころに似た学校も習い事も全部同じメンツのような閉塞感に似ている。今の子どもは塾や習い事で学校以外の複数のコミュニティーを持つ子も多いだろうから、余計こういった感覚を持つ子もいるかもしれない。田舎暮らしだと子供の母数が少なくこの生活に違和感はないのかもしれないが、あまりそういったケースの帰国子女は多くはないので割愛しておこう。

正直いって、都会で隣に住んでいる人のこともよく分からない生活をしているなか、学校も習い事も全部一緒で、なんなら家族ぐるみでお付き合いがあるといった密閉された空間で暮らすことはストレスになる。そのような場所で暮らすからこそマイノリティー同士が守られるという意味合いでは安全が保障されるのかもしれない。いわば要塞の役割も担っているわけだ。しかしかながら、学校のお友達のお父さんの会社名を知っていたり、母親同士の横のつながりの細かしい部分まで自然に視界に入ってきたり、自身のお友達関係が大人の事情に干渉されるなどは私にとってはTOO MUCHなのである。

こんな具合で、我らのような駐在員の子どもは知らず知らずのうちに親がどういう人間関係を誰と築いていて、自分のお友達の誰が親の会社の子どもでということをなんとなく知ることになる。特に閉鎖的の代表「日本人学校」はその中でも最たるもので、自身の親の仕事やそれに纏わる人間関係を鮮明に目に焼き付けることになりかねない。多感な時期になるとそれがジャックナイフのように私たちに牙をむけることもある。それが今からお話しする「ヒエラルキー」という社会のルールである。特に年頃の娘の地獄耳度合いにはご注意いただきたい。全部学校で喋っている可能性、、、濃厚!

子どもが見たヒエラルキーの話をしよう

支店長と一般社員たち

「支店長ってなんやねん!」そう思える帰国子女のあなたは幸せ者だ。大きな都市に配属になるファミリーはこの支店長と愉快な仲間たちの一員としてその国で生活することを余儀なくされる。夫の駐在にただ同行したはずだった妻には「駐在妻」というネームタグが貼られて周囲に認知されて日本から送り出される。その先に待っているのは支店長夫人ガチャ。この支店長夫人の人となりによっては向こう数年は気苦労堪えぬ日々が待ち受けている。大人になってから考え直してみれば、それはまるで「女子大学生ライフ」だ。
支店長夫人を取り囲む愉快な仲間たちを攻略するゲーム。パーティーメンバーには決まってサブリーダーがおり、そしてそのカーストを支えるべく金魚の糞みたいな騎士団がいるといったような構図。大都市などの駐在員が多い場所には若い駐在員も多くいるので、これらのカーストを読み違えないようにするための情報収集はとても大切な業務のようだ。

男性陣が基本的に駐在員として派遣されている構図が多く(最近は逆もあるらしいけれど)縁の下の力持ちとして女性陣がそれを支えるという基本的な仕組みはどうやら今も昔もさほど変わっていない。このフォーメーションを維持するためには駐在員には既婚者が好まれがちだ。昔ながらの言い方をするのであれば、内助の功で海外生活を乗り切ることが大切らしい。だからこそ女性陣は大奥みたいな政治を発生させて生活を守らなければならない。加えてライバル企業、他の日系企業なども同じ要塞コミュニティーに属しているともなれば、いつどこで夫同士の間でビジネスが生まれるかわからないし、逆に足元をすくわれるかもしれないという微妙な緊張感は常に持っている(賢い方も多くいるようだ)。

いやいや、2023年だよ?!いつの時代だよと思うかもしれない。しかし例に漏れることなく私の友人たちはこのようにして彼の海外駐在が決まったと同時に婚約・結婚。そして駐在妻として海外に出ていった。彼らは比較的SNSに依存した華美な生活を駐在に行くそのぎりぎりまで詳細に様子を発信していたのだが、渡航して1ヶ月もしないうちに突然SNS更新が滞り始める。そのうちの1名に老婆心ながらDMをしてみるとその理由が想像できる内容で唖然とした。支店長夫人から「SNSで恥ずかしいことを書かないでくださいね。我々の名前に傷がつきますから」と釘を刺されたという。自分の言動が支店長夫人を通じて支店長の耳に入ること、夫の出世が左右されるかもしれないという先輩からのアドバイスに彼女の承認欲求が完封されていた。
少し驚きのエピソードであるものの、実際駐在妻コミュニティーは夫の会社の人たちと関わる限りはプライベートすらオフィシャルになりかねないし、大都市では要塞のような小さいコミュニティで暮らすことへの苦労は計り知れない。

年頃の女の子はそんな母の背中をよく見て聞いている

こういった大変な仕事を持つ母の苦労を年頃の娘はよく見ているし聞いているものである。電話で話している大人の事情(というなの愚痴)も然り、寝静まった後に両親が開催していた雑談会然り、なんとなくだが子どもは察している。
今でも思い出すことは「日本人会」という悪き慣習がもたらす定期的なイベントに婦人会として出席させられる話だったり、支店長夫人のお宅にお呼ばれしてランチを食べる地獄のポットラックパーティーの話だったり。会社の看板、夫の看板、先輩後輩などの微妙な関係性が兎角面倒そうに見えた。父が日本出張がある場合、支店長宅への貢物をデパートに買わせに行くというミッションを耳にしたことがあった。日本には強力な助っ人、祖母がおり、父の帰国の日に合わせてデパートへ出向き、指定されたものを買い集め空港受け取りで父に持たせるなどしていた。
正直なところ、まさか娘がここまで詳細にそれらを記憶しているなんて母も思ってもいないとは思うが、本当に女の子は恐ろしいものである。

完コピされるヒエラルキー子供編

学校でマウントを取り出す、これが大都市日本人学校の闇

娘を見れば、母親がわかる方程式

女の子は良くも悪くも母親の立ち振る舞いを真似をする。言葉のチョイスや口調、怒り方などは年を追うごとに自分でも嫌なくらい似てくるもので、否応にも母親が娘の人生のロールモデルになりがちなことを自分をもって経験している最中である。
このように、普段から母親の言動を見ている娘たちはもはやミニと言っても過言ではなく、その振る舞い方は学校で完璧に再現されることも少なくない。ただし、彼女らが口にだす大人の事情のほとんどはただの耳コピであるため、その意味はよくわかっていない。しかしながら、母親の言っていることは一律に正しいと思っているので知識として人に話してしまいがちなのだ、女子とは悲しいことにそういう生き物なのである。ましてや、狭い狭い駐在のコミュニティーの中でそれも惜しみなく、本人たちは悪気などまったくなくそれを布教していくのだ。

大使の子どもには注意しなさいという教えが蔓延した話

未だによく覚えている話がある。日本人学校時代の「大使館の子どもとはあまり仲良くしない方がいい」という噂である。
大使館というのは大人の世界のヒエラルキーの世界でいわば頂点であり、国家権力エリートである。だからこそ一企業の一般人からしたら、彼らに失礼のないように適切な距離を置くに越したことはない。要は親にしてみれば子供にはなるべく近づいて欲しくない存在、それが大使館の子どもなのだと推測に容易い。私の時代にも、どこぞかの親から子へシークレットオーダーがそのように下ったようで、伝書鳩のようにその噂は広まった。

そんな具合に、何かあったらお世話になるだろう日系クリニックの子どもなども把握していたし、そう言った大人の世界を私なりに理解していたように思う。実際、子供たちもわかっていて「何かあったらパパが見てくれるよ!みんなの会社の健康診断だってほとんどうちなんだから!」と言った具合に軽いマウントは諸所取られることもあったし、だからこうしろみたいな交換条件を出すような子も中にはいた。

帰国子女のヒエラルキー英才教育

何で人を判断するかは親が基準になることが多い

まわるまわるよ時代はまわる

今までお話ししたことは私が経験してきたことの一例にすぎない。しかし、大きな都市で帰国子女として育った子どもが持つ「ヒト」や「モノ」そして「情報」に溢れかえった生活で私たち子供はヒエラルキーを身をもって体得していくことはなんとなく想像できただろうか。今も昔も、この世はいわば情報戦である。与えられるものを効率的に獲得していくには、この激化する情報戦をいかにして生き抜くか、その力が強いに越したことはない。

誰が上で、誰が下で、そして自分はどの位置につくことが得なのか。

これは基本パックで、ゲームで言えばこれを見抜かずして目の前のボスは倒せない。特に女の子は駐在員の母親がどのように生き抜いていくのかを背中でみてきている経験を持ち、自身もそれの一端を担ってきた。それは決して日本人学校出身者に限ったことではない。

例えば、現地校で卒業に必要な情報や受験のために知っておくとよいことがあったとする。その状況に応じて母と娘がタッグを組んで頭の良い子(または母)に意図的に近づいて情報を抜き出すことに翻弄するというイベントがある。テスト前になると突然ノート借りに来るようなタイプの人が大学にもいたし、人の努力を無償で刈り取ろうとするようなタイプである。

ただそれは彼らも必死なことを忘れてはならない。海外で生き抜くというのはそれだけハードなのだ。外向けには華々しい駐在員生活。娘や息子は日本の誰もが羨むインターナショナルスクールないしは現地校で生きているわけだけれども、そう現実は甘くはない。だからこそ最良の結果にするために、自分たちの体裁を保つために、どんなチートをしても生き抜こうとする。これが駐在員の辛いところである。こういったことを永遠に繰り返す、日本に帰れば学習塾、英語塾。英語力の維持に翻弄しなければならない。だからこそか戦闘力の高いお母さまが実に多い。

余計なことを覚えて大人になる

子どもが行うコピーはこれだけに限らない。大都市、特に東南アジア駐在になると物価がまだまだ安いと感じられる生活が待っている。だからこそ、日本にいるときよりも母親がブランド好きであればハイブランドを多く購入したり、★5ホテルでハイティー、アフタヌーンティー、エステなどを楽しむようになる。自動的に娘たちもこれらの名前をよく分かっている or 所有するのが東南アジアを中心とした駐在員家族の特徴である。
普段、東京・大阪・神奈川・名古屋・京都近辺で普通の暮らしていればリッツカールトンだのマンダリンだの、ウエスティンなどでご飯を食べる必要もない一般家庭の子どもが、たまたま海外で生活したことによりこれらの名称を認知し、その情報を親から吸収してヒエラルキー要素を構築してしまう。金銭の価値も何もわからない状態で甘い蜜を吸ってしまうのだ。

お恥ずかしい話ではあるが、私個人の話でいえば、国際線の基本はビジネスクラスだと社会人になるまでは思っていた。でもそれは、父の会社が出してくれるものであったり、父が出張等で稼いだマイルでアップグレードしてくれたことで享受していた恩恵であり、エコノミーないしはプレミアムエコノミークラスがスタンダートなのである。

このように一般人が富裕層の暮らしに少し首を突っ込んでしまった、そのような体験を知らぬ間に享受してしまった結果、身の丈に合った場所に不満がでるようになる。一度経験した生活水準を下げることは難しく、このギャップに後々日本での生活で苦しむようになる帰国子女は少なくはない。また、このズレが幼少期で起きてしまうと日本のクラスメイトから浮く原因になることもあるのだ。

昭和的ヒエラルキーはオワコン

帰国子女がみたヒエラルキーは昭和スタイル

高学歴、高収入で海外駐在に行き、子供はバイリンガルで良い大学に進学し、日本に住まう子供たちよりも恵まれた環境で育つので将来が有望になるといったドリームパッケージはもう終焉を迎えている。
今は日本で育って大人になってから海外で大輪の花を咲かせる人も大勢いるし、海外に出なくても裕福な暮らしをし、幸せな家族を持ち、幸せに暮らす人もいる。大学なんて行かなくとも専門性を深め、自分の満足できる生活を確保している人も多い。むしろ、良い大学に行ったがゆえに自分を過大評価しすぎて職業を選びすぎて社会人ニートのような生活をしてしまう人もいる。これから少子高齢化社会が進むことで、外国人労働者が多く日本に住まう時代もそう遠くはない。昭和的なスタイルはあくまでも私の時代までで終わりを迎えつつあり、新しい時代が訪れようとしているのではないかと思う。今はまさにその大きな変換期であり、多くの子供たちが昭和の親が信じている昔ながらの価値観を植え付けられて育っていて、その情報格差に子供がモロに影響を受けていく時代が今後の世代だと思う。

今ある職業の多くは淘汰され、多様化する未来

前に他のNOTE記事でも触れたのだが、今の時代は多様化が進み、職種の幅がかなり増え、豊かになる方法も多岐に渡る。その代表格として情報販売をするYOUTUBERが挙げられる。学歴もあるが就職せず、自らが学んだ知識を有料化して生計を立てている人たちだ。そう、まず学歴もなくてもそれは可能で、だからこそアイデアという無形の価値で富や名誉を獲得できる新しい時代になった。
要するに今まで良い大学をでて会社に入り、役職を持って終身雇用されるという時代はまだ大堂として残ってはいるものの、日本という国の国力がどんどん周辺の諸外国に押し負けているがゆえに、世界規模で生きていく資産を会社勤めのみで形成していくことは不可能だとなんとなくみんな気づき出している。
もちろん、勉強することは大切だし、専門性を磨いて資格を取ることは悪いことでもない。だたしそれが「すべて」ではなくなったというだけの話である。しかしながら、そう言った昔ながらの方法で生活を勝ち得てきた人にとっては職業に多様性の波が押し寄せていることを受け入れることが難しい。特に頭の硬い昭和的思考で社会の名声を得た人はこれを認めにくいので、いまだに塾に入れるいい学校に行かせる、いい大学を出て、いい会社に就職して良い人と結婚し、子供を2人ほどもうけ、30代にはマイホームを買って一人前の大人といった形をとらなければならないと考える大人が多い。医者の子供が医者になるような物だろう。それ以外の選択肢を知らない親が多い、特に帰国子女の親は自動エスカレーターキャリア形成の確固たる人生を歩んでいる人が多いのでそれが子供の幸せだと信じて疑わないのだ。私はこれを昭和的ヒエラルキー制度だと思っている。最近は海外の大学に行かせることがここに加わってきたものの、昨今の社会情勢から海外の有名大学を卒業させても雇用ビザが取れないことで日本の帰国を余儀なくさせるケースも多く、時代の波に乗るということの難しさ、子育てを時代に合わせてアレンジする柔軟性を親が強いられる難しい時代になったと思う。

そもそも親が干渉できる時代ではなくなってきている

そもそも親が全部を教えてくれる、フォローできる時代はもう終わっている。日本の縁故はまだあるものの、そのカードを確実に切って定年退職まで安泰に暮らせるような路線はこれから限られた人にのみ渡されるチケットになると思う。日本の経済が昔ほど明るくないし、グローバルな人材を受け入れて優秀な人を雇う企業が実際増えている。
今の社会は超情報化社会なのに40歳以上の世代は特にITの進歩についていけていない現実もある。携帯デバイスひとつ取ったって親がまともに使いこなせないケースも多く、IT文化を生まれながらに享受した柔軟な頭の子どもに教えられることはかなり限られている。
チャットGPTだと騒がれているけど、今はもうそれを単体で使うのではなくADD-ONツールだったり、そこから進化した使用用途別のAIソフトがサブスクライブで使える時代だ。
正直、インターネットなどというものがこの世の中で普及するまでは、親の言ったとおりにしていればある程度同じことが繰り返される日本社会の経済活動で生き抜くことができた。昭和と平成初期は世界と日本は遠い遠い存在で、選ばれたもののみが海の向こうに行ける時代だった。国際線に乗るためにネットで旅券を買う、Eチケットなんてものも存在しない。本当に重労働だった。だからこそ、その「行った」という経験だけで私たち帰国子女は特別な存在になることができ、社会で重宝された。でも、そんな時代はとっくに終わっているのだ。親はまだその希少だった頃の記憶が強いから我々に特別を期待する。ただそれだけの話で、実際は海外に行った、インターに行った、海外の大学に行っただけではその先は何も繋がらない。就労VISA一つまともに下りずに涙流して帰ってくる有名大学卒の学生なんて万といる。
今世界は平和ではない、だからこそ労働することは特に厳しい。海外経験を持ったバイリンガルの学生さんをサポートする側の人間としては、今は専門性を身に着けたほうが食べていける時代になったなと思うことも正直多く実務経験がないと就労VISA自体の取得が厳しくなっていることを知っているので特に親の世代の感覚をもっていきることは情報弱者になるだけであり、後々自分の首を絞めることになることは忠告しておきたい。

帰国子女というアドバンテージ

実際に触れることで経験することができるのが帰国子女のアドバンテージ

私たちは海の向こうを人よりも少し早めに見ることができるというEXPRESS PASSを取得済であるというアドバンテージがあることは忘れてはならない。世界の人たちを見て色々不思議に思い、それを比較し、そこに違いや共通点を見出したりして調べて歴史や芸術、国の成り立ちなどにもその興味関心を広げることができる。本の世界に浸らずに、目で耳で、五感でそれを経験することができるのだ。英語や言語が話せることよりはそのうちそこまで重要視されなくなる。しかし、日本以外でアウトプットする経験は海外特有の経験になる。

言われたことに「なんでだろう?」と理由を探せる力を持つことを私たち帰国子女は少なくとも海外で許されている。日本はそういったことを邪念だと考えて好意的ではない。このチャンスをドブに捨ててはいけない。
個人的には少し卑屈なくらいがちょうどいい。物事を誰が言っているか目線で善悪をつけるわけではなく、そのコンテンツ、コンテキストから読み取って、自分の頭で考えて迷い悩み、相手を巻き込んだりしながら解決していく。日本だけで通用する切り口で判断していては意味があまりない。そこが難しい。

正直、年齢が幼ければ幼いほどコンテンツの内容はどうでも良く、なぜだろう、どうしてだろうという問いを持ってそれをアウトプットしていく力を身につけることに一点集中してもいい。親の言っていることをただやるのであれば日本で十分に事足りる。海外で経験できるPASSを有効活用するのであれば日本の同調圧力から少し遠い場所で、「なあぜ、なあぜ」の経験を言葉や形に残す癖をつけていくことではないだろうか。

要は、日本にずっといてもその人生送れたんじゃない?と社会に言わせるような形になるのであれば、帰国子女であったことを封印していきたほうが幸せなのである。実際私くらいの年になると、恥ずかしくて言えないから封印している帰国子女が大勢いるのだ。親が成功したことと、自分が帰国子女のキャリアとして失敗したことのギャップに苦しんでいるのは男の子が特に多い。これは自分たちがヒエラルキーを認識するので余計に苦しいことなのかもしれない。(変な方向に吹っ切れて不良になる子もいるし、芸術や音楽、ダンスなどの道に走り去っていく子もたくさん見てきた)

海外というフィールドを決して今もうオワコンの大人のヒエラルキー事情を習得する場所に使ってはいけないし、早期から大人の世界に巻き込まれることで自分の未来を切り開く力を見失ってはいけない。あくまでも今子どもたちが見ている世界は、彼らが大人になるころには賞味期限が来ているもので、親が自分の知りえた情報で最高だと思っている教育は、これからの不安定な未来を保証できるものではない。これからの時代はきっと、これを書いている私もわからないくらいの速度で加速し、資源が枯渇し、自然が牙をむき、新しい伝染病もでて、それに対抗するように新しいテクノロジーが生み出され、それでも国々は資源を奪い合うだろうし、国力が弱ければ吸い取られていくような厳しい世界競争に日本も巻き込まれていくと思う。だからこそ他力本願で享受できるものは昔よりずっと少なくなる。そのための「生きる力」を経験から自分で探し生み出すことは、今よりももっと重視される世の中になるんだろうなと私は思っていて、帰国子女の子どもはそれを肌身で感じてアドバンテージとして活かしてもらいたい。


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