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余命


2020年9月に私は脳梗塞を発症した

その日の夜、母親が癌の闘病後に亡くなった

その話の詳しい経緯については

私の過去の投稿を

お読みいただければ幸いです



脳梗塞で年間6万人が亡くなるらしい

私は運良くこの世に生かされた

懸命に支援してくれる妻の事を考えたり

これからどうやって生活して行けばいいのか

悩んだりしていると

自分は何の為に生きているのだろうかと

問うようになった

復職を目指して懸命にリハビリもしたが

100%回復はせず、2021年3月31日に退職した

自分の存在意義を疑いながら生きるのが

1番苦しい

実際、私は苦しかった

でも、リハビリにと始めたSNSの影響や

周囲の支えもあり、私は生かされている意味を

自分なりに設定するまでになった

生きることに意味などない

生きる意味など考えもせずに

普通に生き抜くことこそ大切だと学んだ

幸せを感じたいなら

自分なりの意味を見いだせば良いと学んだ

私の生きる意味は支えていただける方々に

恩返しをするため

特に必死で支えてくれる妻に恩返しを

するためなのだと設定できるまでになった

そうなると毎日、めまいとの闘いはあるが

生きる事への張り合いがでてきて

以前とは違う生き方をするようになった

そんな今の自分の疑問の一つがこれだ

自分は何歳まで生きれるのだろう?

現在56歳と7か月だ

60歳か?

いや70歳?

脳梗塞の再発率は

1年以内が10%

5年以内が35%

10年以内が50%らしい

しかも、再発すると初発より重症化するらしい

次はいよいよ...と覚悟はしている

生かされていることへの

感謝を感じつつ

また、支えてくれる妻への恩返しを

実践していると

どうしても自分の余命が気になるのである

くだらない問いかもしれないが

病後に無職状態になり

日々、頭の中にこの問いが

ちらつくようになった

いつお迎えなのかわからない!

だから今が不安

しかしわかれば安心なのか?

いやいや

かえってこわい!

仮に

"あなたは63歳でお迎えがきます"

と言われたら

のちの人生を

計画的に懸命に生きられるだろうか?

余命を宣告されてもなお

素晴らしい生き方をされている方々を

私は知っているが

私の場合はどうだろう

自暴自棄が待っている気がする

どんな視点で日々を送ればいいのか

なかなか明確に答えられない

暗闇のトンネルの中を進んでいるような

感じだ

張り合いと同時に不安を抱えながら

生きているのが現状だ

これほどまでに

生と死を考えたことはない

どこまで行っても答えは出ない

またまた迷宮に入り込みつつある

このままではせっかくの生かされている

人生も台無しだ

何か行動から変えなければ底沼に

はまると思い思案した

そんな中、最近の学びで

実践していることがある

それは「いい事ある」と

心の中で言いながら、何かいい事を

見つけて日記に書くことだ

これは私にとって効果的であった

人生をとらえる視点を私に与えてくれた

どうとらえるかはその人次第なのだ

と教えてくれた

見つけようと思うと

不思議と見つかるものだ

過去の日記を読み返すと

愚痴の羅列でひどい

特に昨年の日記は母親の闘病生活が

書かれているのでつらくて

読む気にもならない

「いい事ある」の視点は

私に未来への視点も与えてくれた

明日に死を迎えようとも

今日をありがとうと生きよう

そう思えるように

なってきたように思う

昨日も妻に「ありがとう」と言えた

だんだんいい事が増える気がする




お読みいただきありがとうございました^_^









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