これは「トラウマ」と言っていいのかな、というお話。
玄関で靴を履いた瞬間に、吐き気がする。お腹が痛くなる。あのときの経験が、今も尾を引いていると思う。
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たいそうな出だしで書きはじめたけれど、なんてことはない、これは小学校3年生の1学期の話。
歌を歌うのが、とにかく苦手だった。「来週歌のテストをします」。そう言われた日から、音楽の授業のある火曜日と木曜日だけ学校を休んでいた。クラス全員の前で好きでもない歌を歌うなんて、とんでもない。記憶はあいまいだけれど、火、木、火、木、くらいまでは親にもその法則を見破られることなく休むことができていたのではないかと思う。
けれど、もちろん担任の先生にはすぐにバレた。
「おまえ、音楽きらいなの?」
朝のホームルームのあと、教室で言われた。放課後に音楽室に行ってテストを受けて来い、と。
行ったけど先生がいませんでした、とでも言おうと思っていたけれど、結局その日に音楽の先生につかまった。
毎週水曜日、ぼくは図書室の掃除当番だった。いざ掃除、と図書室にはいって行くところで、ちょうどいくつか先の音楽室から先生が出てきて見つかってしまった。
先に控える合唱祭のパート決めのためのテストだそうだ。ほかにだれもいない音楽室、先生のピアノにあわせて歌う。先生しかいなかったからいくぶん気が楽だったけれど、ひとりで無理やり歌わされる、ということがとても苦痛だった。歌いながら、涙がにじんだ。歌い終えて掃除のため図書室に戻ったあとも、しばらくは気持ちが落ち着かなかった。
そしてその頃から、朝の吐き気と腹痛がはじまった。
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学校に行きたくないわけじゃなかった。実際それ以来休まなかったし、1時間目がはじまりさえすれば吐き気も腹痛も収まっていた。給食もよく食べたし、昼休みも放課後も元気に遊んだ。それでも毎朝、靴を履こうと玄関でしゃがんだ瞬間それらははじまった。靴を履いては脱いでトイレへ行き、教室についてはHRのはじまる直前までトイレにいた。1度だけ、HR中に机の上で吐いたこともある。クラスメイトたちの目がとても痛かったことを、よく憶えている。
通信簿に、担任の先生から保護者宛のひと言みたいなコーナーがある。1学期のおわり、そこには「朝はいたり、腹痛を訴えたり...」との申し送りがされていた。歌のテストが嫌だったんだと母親には言いたかったけれど、そんなことで心配はかけたくなかった。母はちょうど2度目の離婚をした頃だった。生まれたばかりの弟がいた。だから、だけではないけれど、言えなかった。
夏休みを終えて2学期、これまでの症状がまるで嘘のように、朝の吐き気も腹痛も収まっていた。歌のテストはそれから先も何度かあったけれど、毎回無言で下を向いて、曲が終わるのを待ちつづけた。音楽の成績は、いつも5段階中の「4」だった。筆記や楽器のテストは完璧だった。歌のテストだけ、ずっと0点を刻みつづけた。そして、それから30年以上たった今でもぼくは、カラオケに行くのがこわい。
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大学にはいって、社会人になって。飲み会の二次会は決まってカラオケだった。もともとお酒が強くないので二次会には行かない(行けない)派だったけれど、どうしても行かざるを得ないこともあった。場をしらけさせるのが嫌だったから、覚悟を決めて歌ったことも何度かある。憶えている限りすべて、苦痛だった。
歌を歌うことすべてが苦痛なわけではなかった。高校の合唱祭は3年とも力を入れて取り組んだし、好きなアーティストの曲を口ずさみながらドライブするのが好きだった。
だからどこにスイッチがあったのかぼくにもいまだにわからなくて、でもそれは過ぎたことだからとも思うけれど、いまだに緊張すると吐き気と腹痛が決まってやってくるから探ってみる価値もありそうなものだとも思っている。それでも引き金は間違いなくあのときの歌のテストでこんなことが30年以上たった今でも尾を引くなんて思ってもみなくて、たまに動揺するし苦労する。
トラウマ、と言っていいものなのだろうか、これはいじめでもないし理不尽な経験でもない。ぼくが弱いだけ、なのかもしれない。だから逆に思う、みんななんて強くて立派なのだろうと。
大好きなサカナクションを聴きながら、口ずさみながら料理をする、掃除をする。そんな日常を過ごしながら思い出した過去のこと。べつにたいしたことじゃない。たいしたことじゃないけれど、確実に引っかかっている。懐かしくて苦い思い出を振り返りながら、さて、これから夕飯の準備に取り掛かることにする。
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マリナさんのnote、ちょうどこんなことを思いだしていたときに読みました。あ、トラウマって...こういうこと?みたいな気がして、書きとめておきたいなと思ったのでした。
きっかけを、ありがとうございました。