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永久の星よ。愛しい星よ。リライト #クリスマス金曜トワイライト


こころから愛している人よ。
こころから、愛しい人よ。

例えて言うなら、あなたがグラスでぼくはビールだ。
あなたを目いっぱい満たしてあげたい。
あなたとともに過ごせるクリスマスに感謝したい。
今、愛していると伝えたい。
ぼくの愛の真ん中にはいつも、あなたがいるから。

ぼくは今、生きていると思った。
あなたと一緒に、生きていると思った。

 

 

◇◇◇

 

 

心拍数198、時速56㎞。ハンドルに取り付けられたちいさなサイクルメーターにはぼくの限界が表示されていた。目いっぱい踏んでもこれ以上は出せそうになく、恨むべきは自分の脚力だと知った。夢まであともうすこし。そのもうすこしが、限りなく遠い。あの坂を越えれば、ゴールが見えてくる。ラストの直線でエースを送り出すそのときまで、脱落するわけにはいかない。無慈悲な風を真正面から受けて、ぼくは無我夢中でペダルを踏んだ。
今年の自転車ロードレース最終戦。チームの仲間の、ぼくの、悲願。手が届くかどうか、すべてはこの瞬間にかかっている。このためにこれまで、すべてを犠牲にしてきたんだ。仕事も、プライベートも。そして、あなたのことも。

歯を食いしばり、坂を上り切った。身体を自転車に引き寄せる腕は震え、地面と平行になるほど前傾させた身体は酸素を求めて激しく喘いだ。口は大きく開き、漏れた唾液がだらしなくうしろへ流れていく。ペダルを踏んで、踏んで、限界を超えてついに、ラストの直線へ--

 

 

懸命にハンドルを握っていたはずの手に、柔らかくて優しい手の温度が重なった。遠くにぼんやり響いていたパイプオルガンの音と聖歌隊の歌声が、今はちかくで聴こえる。目を開けて、ゆっくりと顔を上げる。天井まで高く伸びたステンドグラスが、ぼくを現実に引き戻す。
あなたはハンカチを取り出して、ぼくのよだれを拭いてくれた。何だか胸が苦しくて、身体が重たかった。とても、疲れていた。教会の厳かな空気のなか、あなたはふたたびぼくの手を優しく握ると、静かに微笑んだ。ぼくはそこに、聖母様を見た気がした。

 

 

ある日、自転車ロードレースに出ると伝えたら、あなたは応援すると言ってくれた。鉄砲玉みたいに走り出したらどこまでも止まることのできないぼくを、あなたはいつも穏やかに見つめてくれていた。ダメなぼくを、いつでも励ましてくれていた。

あなたなら、できる。
自分の道を、信じて行けばいい。

あなたがぼくにしてくれたように、ぼくはあなたに優しくすることができただろうか。仕事に振り回され、誇れるような実績もなく、余裕のない日々を送ってきた。気づけば今年も終わろうとしている。ぼくはあなたへ、何と言えばいいのだろう。今日こそ伝えようと思っているのに。ぼくはあなたに、何ができるのだろう。あなたがくれた優しさを、ぼくもあなたに返したいのに。ぼくはいったい、どこまでダメな男なのだろう。

 

 

スタンドのコーヒー屋さんで、あなたに出会った。赤い自転車に乗っていたあなたに、ぼくは一目で恋をした。二度目に会ったとき、あなたは何だかとてもやせ細ってしまった気がして、ぼくはあなたのために一生懸命ご飯をつくったんだ。あれから何年経ったのだろう、そんな日がつづいて、やがてぼくらは一緒に暮らすようになった。

数学が得意で設計図も書けたからか、あなたはインテリアを選ぶセンスが良かったし、図面を読むのが上手だった。IKEAのテーブルの図面を読むあなたに言われるがまま、ぼくは電動ドリルでボルトを留めていった。テーブルに、白い花を飾った。あなたの言うがままに、ぼくらの部屋は彩られていった。あなたがぼくに与えてくれたのと同じ優しさで、部屋は満たされていった。
どんなに仕事が大変なときにも、あなたは笑顔を忘れなかった。あなたがぼくに何かを注文することはなかったし、ぼくを怒ることもなかった。長い間、そんな時間がつづいた。あなたは早起きだったからあなたの寝顔を見ることは多くはなかったけれど、ときに見るその寝顔のあどけなさにぼくは、いつも恋をしていた。この平穏をずっと、守りたいと思った。

今年前を向かせてくれたあなたに、溢れる想いを伝えたい。
今年力をくれたあなたに、言葉にならない想いを伝えたい。
今年、もっと好きになれたあなたに。
どこまでも届くほどの、熱い想いを伝えたい。

あなたは、ぼくにとっての星だった。
人生の航海に、必要な目印だった。
ぼくはあなたに、何と言えばいいだろう。どう言えば、伝わるだろう。そう思った。だから、ペンをとったんだ。

 

 

教会を出て、川沿いの小道をふたり並んでゆっくりと歩いた。ふたりの影が、長く伸びている。もうすぐ、陽が暮れる。

「今年もいい年だったね、ありがとう」

ぼくを見つめるあなたの目が好きだ。
茶色くて、吸い込まれるような青に縁どられたあなたの切れ長の目が、ぼくは好きだ。

 

--ぼくは、あなたが大好きだ。

 

通りに面したバルの窓際の、刻々と深みを増していく空がよく見える席にぼくらは腰をおろした。青いエプロンが似合う優しい表情の店員さんが、静かにビールを置いてくれた。ぼくらは互いのグラスを合わせた。

「カンパイ」

あの日の最終レースは、2位に終わった。来年はチームのスポンサーが降りる。チームは解散だ。チームメイトは、転勤するものもいれば転職するものもいて、そして、自転車ロードレースの本場、フランスへ渡るものもいた。来年は、みんなが散り散りになる。
ぼくはといえば。
レースは今年で辞めることにしたんだ。そう、伝えた。

ぼくは、姿勢を正した。そして、謝った。礼拝で寝落ちしてしまったことを、いつも疲れ切っていることを。生活がだらしなくてわがままで、いつもあなたの優しさに甘えていることを。あなたは驚いた表情で、ぼくを見つめていた。
ポケットのなかから静かに、ぼくは指輪のはいった青い箱を取り出した。メッセージカードを添えて、あなたの前にそっと置く。

 

「結婚...してくれるかな」

 

あなたの目から零れ落ちたものが、今まさに表の樹々の向こうに沈もうとしている陽の光に煌めいた。それはまるでほどなく降り注ぐ星のしずくのようで儚くて、斜めの光に照らされたその横顔をぼくは、とても美しいと思った。
ぼくの片方の手が、柔らかく包み込まれた。握る手は温かくて優しくて、ぼくは胸が詰まって苦しくなった。どこか遠い世界の、憧れでしかなかったものを見ているようだった。夢を、見ているようだった。

 

「約束するよ。この気持ちが永遠だと」

 

ぼくはゆっくりとグラスを口に運び、ビールをひと口だけ飲んだ。すこし温度の上がったビール。その苦味だけが、口いっぱいに広がる。香りも味も、ほかには何もわからなかった。あなたの言葉をただ、待った。時が、止まった気がした。
そして。

 

「...はい」

 

頬を流れたしずくのあとに手を当てて、あなたは恥ずかしそうに笑った。あなたの美しい切れ長の目がまた潤んで、零れた透明なしずくがずっと忘れない夜のはじまりを祝福する空に煌めいた気がした。ありがとうとぼくは伝えたかったけれど、胸がつかえて言葉にならなかった。歓びと安堵の思いで流し込んだ、すこし温度の上がったビールの味はやっぱりよくわからなくてぼくは、ただあなたをぎゅっと、抱きしめたいと思った。

 

 

 

 

こころから愛している人よ。
こころから、愛しい人よ。

例えて言うなら、あなたがグラスでぼくはビールだ。
あなたを目いっぱい満たしてあげたい。
あなたとともに過ごせるクリスマスに感謝したい。
今、愛していると伝えたい。
ぼくの愛の真ん中にはいつも、あなたがいるから。

ぼくはこれからも、生きていくのだと思った。
あなたと一緒に、生きていくのだと思った。

 

 

fin

 

 

∽∽∽∽∽

 

 

こちらのnoteをリライトしました。

 

・なぜこの作品をリライトに選んだのか

前回のリライトのときもリライト作品を同じ理由で選んだのですが、今回もこの作品が4つのなかで唯一の(明確な)ハッピーエンドだったから。小説を書く経験が乏しいのもありますが、やっぱり書くならしあわせなお話を書きたい。そう思ってこちらを選びました。あとはこれも前回と同じ理由で、ぼくも趣味の範囲で乗っているロードバイクのエピソードが出てきたから。限界を超えてペダルを踏みこむことのキツさ、程度はちがうかもしれませんが、ぼくもすこしは知っているつもりです。

 

・どこにフォーカスしてリライトしたのか

こちらも前回のリライトと同じです。意識したのはこの2点です。

①流れを変えない。あくまで池松さんの世界観から離れないこと
②その中に自分の空気を落とし込めるところを探すこと

読んでいただいてお分かりかと思いますが、元のnoteとあまり変わっていません。設定も変えていないし話の大枠も変えていません。あまり引かず、あまり足さない。それを意識した上で、ぼくがリライトした跡をのこすことができるとすれば、それはどこかと考えました。そうして取り組んだつもりなのが、小説を詩的にすることです。回顧録的なニュアンスが、池松さんの作品にはあるなぁと思っていて。であれば、クライマックス(このお話ではふたりが結ばれること)を先に持ってきてもいいのではないかと思いました。結末のわかっているお話をさいごまで読んでもらうことは難しいかもしれないな、そうも思いましたが、そのために重要になってくるのが、文章がまとう空気感なのではないだろうか。そのあたりを意識して書いたつもりです。

 

おわりに

2度目の金曜トワイライトのリライトチャレンジ、今回はとくに、リライトというよりは編集といった方がニュアンスが近いのかなと思いました。企画の趣旨に照らしてどうなんだとも思いましたが、自分のリズムをこっそり入れこむこと、自分の空気感でふんわり包みこむこと、そのような目的はある程度果たせたのではないかと思っています。
前回に引きつづき、貴重な経験をさせていただきました。池松さん、ありがとうございました。読んでいただいた皆さまにも、感謝を伝えたいです。ありがとうございます。
以上、クリスマス金曜トワイライトのリライトでした。
とっても楽しかったです。



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