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日本独自の製鉄法 たたらとは?

島根県雲南市吉田町には、日本で唯一、たたら製鉄を行なっていた高殿が現存する「菅谷たたら」があります。

現存するこの「菅谷たたら」は1751年から170年間に渡り創業を続けました。

バリバリ現役だった「たたら」の姿を、そのままの状態でお目に掛かることが出来るのは、日本で、唯一、ただ、ここだけです。

冒頭から熱量高めで語り出しましたが、そもそも「たたら」って何なんでしょうか。

ジブリ映画「もののけ姫」より、こんなシーン見覚えありますか?

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たたらとは、元来「ふいご」という足で踏んで風を送りこむ装置のことを指します。

日本はこの「ふいご」を用いて、千年以上前から鉄を作ってきました。

転じて、このふいごを用いた製鉄のことを「たたら製鉄」とか、製鉄場所のことを「たたら場」と呼ぶようになります。

さて、「たたら製鉄」は一体どんな手法なのか。

レシピを紹介します。

材料:

「砂鉄」2トンくらい

「木炭」12トンくらい

作り方:

まず、砂鉄を木炭で1,400度まで温めてください。

3日間、温度を保って砂鉄を燃やし続け、砂鉄が十分に溶けましたら、冷やして、固めてください。

十分に冷え固まったら、出来上がりです。

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砂鉄と言えば、昔、理科の実験で磁石にくっつけて、遊んだ、あの砂鉄。

人々は、山、川、海から土砂を集め、ふるいにかけ、そこからひたすら砂鉄を集めました。たたらが盛んな地域では、砂鉄を集めるために、山を切り崩し、そのせいで地形が変わる程だったそうです。

そして、一度のたたら創業で必要な木炭は、12トン。森林面積では1ヘクタール(テニスコート38面分)分が必要でした。たたら製鉄によいとされる木炭の木は樹齢30年−50年の木だったそうです。それを一度で1ヘクタール使い切る訳ですから、たたら製鉄には膨大な森林が必要でした。

そして、製鉄を行うための炉を築きます。

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ぱっと見、このお風呂みたいなのを作るだけと思うでしょう!?

違うんです。この下に壮大な仕掛けがあるんです。

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(画像は和鋼博物館から拝借)

地表に見えるのは、この真ん中のお風呂の部分だけ。この地下がすごいんです!

これをたたら操業の度に、毎回作り直します。

で、装置が完成したら、製鉄の開始。

三日三晩。寝ずの作業です。

30分置きに、このお風呂(?)に砂鉄と木炭を交互に入れていきます。

徐々に温度を上げながら、投入する砂鉄や木炭の量を調整します。

最終的に1400度まで熱していきますが、昔は温度計など存在しませんでしたから、燃え上がる炎の色と、音を聞いて、感じたそうです。(匠・・・!)

そうして、冷え固まるとケラ(鉧)ができます。

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これをバラバラに分解して塊にしていきます。

中でも、純度の高い良質な鉄の塊は「玉鋼」(たまはがね)と呼ばれます。

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これは、日本刀に使われる原料となるのですが、これはなんと、現代の技術を持ってしても、たたら製鉄でしか作れないのだそうです・・・!!!

そして、このたたら製鉄は、「村下(むらげ)」と呼ばれる指導者によって主導されました。村下は世襲制で、しかも、伝統的に、一子相伝(いっしそうでん)といい、その奥義、秘法を自分の子どもの中のひとりにだけ伝えて、他の者には決して言ってはならないという、超絶コンフィデンシャルなものでした。

日本での最後のたたら操業は1945年。

それから20年がたち、日本刀の伝統を維持するためにも、たたら製鉄の再開を望む声があがりますが、たたら製鉄のやり方を誰も知らない。

いや、村下しか知らない。

でも、もう生きてる村下がほとんど居ないのです。

村下が居なければ、たたら製鉄は出来ない。

しかし、ギリギリのところで、日本に現存するラスト村下がようやく見つかりました(もう80代だったそうです)。決して他人に言ってはならないと言われてきたその奥義を他人に話すことには、相当な葛藤があったと思いますが、なんとか、そのラスト村下が亡くなる前に、ギリギリセーフで、そのやり方を保存・記録することが間に合ったのです。

こうして、1977年、たたら製鉄は、文化保護の観点から再開されました。現在でも年に3回操業を行うそうです。・・・いつか生で見てみたい。

なお、村下はたたら操業中に、その燃え上がる炎の色を見極めて、投入する砂鉄や木炭の量を決めていました。そのため、村下はその激しい炎のために視力を失う運命にありました。少しでも長く、目が見えるように、操業中は両目で見るのではなく、片方で見ていたそうです。

和鋼の世界。奥が深いです。

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