"好きな古着屋が死んだ話"

僕は店舗型の「古着屋」で存続出来るタイプは2種類あると思っている。

質よりも量と価格で勝負するか。
量と価格より質で勝負するか。

この場合の『質』というのは色々あって、自分自身が好きなデザインだったり、文字通り品質だったり、僕は好きじゃないが有名なヴィンテージ品、例えば80年代リーバイスジーンズを推していくとか、そんな個人のこだわりが出てくる部分だと感じている。

結局何をするにも、商売利益を第一に考えてしまうと上手くいかない。自分がどんなものを売りたいか、どのお客さんに売りたいか。需要と供給の中で考えると、確実に需要よりも供給の面を考えていかなければ『質』の良さなど現れないし、一見のお客さんだけで全て回ってしまう。僕はそんな思想を持っていたりする。

クリエイティブ、なんて言ったら聞こえが悪いが、何かを創作することに楽しみを持つ人間にとって、周りの声は参考程度にしかならないだろう。まずは自分自身が何を創作したいか。これに面白さを感じるわけであるから、周りの「これをしてほしい」という意見は二の次である。勝手にお客さんはついてくるのだし。そのお客さんをどう離さないかというのは別問題になってくるのだが、それについては言及しない。

さて、話を変える。
先程地元でよく行っていた古着屋に行ってきた。

この古着屋に僕は面接を受けに行ったことがある。自分自身の創作のための稼ぎ口や、服の勉強、という名目を立てて行った訳だが、本当は「函館の古着文化を復興させるためのピースになりたい」という目的があった。

昔は駅前に古着屋が大量にあった。しかし、その古着屋たちは全部潰れ、看板だけが残っている状態なのである。そんな現状を変えたいと思った。函館を活性化させたいと思った。

そんなことを古着屋の面接の際にオーナーに話をすると、予想外の返事が返ってきた。

「仲良しごっこはしたくない」
「この〇〇(屋号)を広げていきたい」

その返事で、僕は正直受かっても断ろうと思った。この人は利益を第一に考えているのだ、と感じてしまったからである。経営する古着屋を広げていくのは結構だが、函館に店舗を構えている以上、函館の方に売らなければ広げるにも広げられないだろう。仲良しごっこではない。僕が求めているものは密着だ。履き違えて理解されたのは僕も悪いのだが、そう理解してしまった返事がこうだと、正直利害が一致しない。

まぁそんな愚痴は置いておいて、そんなオーナーが経営する古着屋に行った訳だが、何も隠さずに言うと、魅力がゼロになった。最悪になっていた。

店長が変わったのもあるが、元店長がいた時は量が随一だった。こんなもん誰が着るねん、って感想を得るボロボロのシャツもあったが、ミリタリーを主とした様々な服がラックと棚に大量に置かれていて、そんな中で一品の気に入ったものを見つけることが好きだった。だからよく行っていた。また、僕の服の系統はよく言えば邪であり、変わったものが好きだったりするから、大量の服の中から変わったデザインを探すのも好きだった。

そして現在。品数は極端に少なくなり、いわゆる「どこでも買えそうなデザインと品質の古着」がスペースを置きながら並んでいた。最初の話も合わせると、質も、量も、何も感じなかった。知っていた女性が店長をしていたが、多分二度と行かない。そんな感覚を得た。

店長が新しくなって品数を少なくして管理をしやすくしたかった部分もあるだろうが、その中でも個人の色も一切見えないし、これで「広げる」といっても無理な話だ。そこらへんのイオン内の服屋に行った方がいい。そんなレベルである。広げたいならポップアップでもして各地を巡ったらいいのに、なんて思ったりもしたが、ポップアップをしても売り上げは見込めないからしないのだと、僕は感じた。

このままだと、本当に函館の古着文化は消えていく。それは避けたい。そう思った。

なので、僕が古着をかき集めて、函館市内でポップアップを開こうと思った。基本的にはネット販売だが、定期的に開くことで、周りを巻き込んだ面白い催しになればいいかもしれない。

古着は、僕の感覚で集める。サイズは関係なく、僕が着たいものしか集めない。量も出来るだけ多くする。様々な方にウケるように、手に取って頂けるように。

まずは古物商を取って、金貯めて、古着を様々な国内倉庫、アメリカ等から集めて、函館で還元する。

それが僕の今のやりたいことの1つである。

来年にはやりたいな。

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