"アパシー"

最近Twitterでフォロワー400人の元アイドルの女の子の「コンカフェのゲスト出勤探してます!」というツイートを見たのだが、何か引っかかる部分があった話をする。

サブアカウントにツイートした内容ではあるが、僕は銀行通帳の残高で自分の価値が決められている感覚がするのだ。
これは狐火というポエトリーラッパーの受け売りではあるが、それは何となく感情として共感、シンパシー、デモクラシー、ギャラクシー。落ち着く為の素数の暗唱のように、語尾の「thy」「cy」が付く単語を考えると落ち着くが、そうしないと冷静にならない高揚感の伝心を感じたからである。

そこでアイドルや表舞台に立つ人間を考えた時、自分の価値は動員、売上と共にSNSのフォロワーに反映していく感覚を得てしまいそうだ、なんて思うのである。
それが肯定意見だとされた場合、フォロワー400人という少数のフォロワー(フォロワーの数の多い少ないと把握する標準値は人それぞれではあるが、僕のアイドルという枠組みの中での標準値かはするとだいぶ少なく感じる)しか持たない女の子が自信を持っていることが凄まじく喜怒哀楽の哀の感情として僕の脳内伝達物質の中に存在してしまうのだ。

ましてやコンカフェのゲスト出勤など、上記が顕著に現れるだろう。全て宣伝もインターネット、SNSで完結する訳で、伝える人数が少なければ少ないほど売上の減少が生じてしまうことは容易に考えられるからだ。多分運営側もそうであろう。これくらいのオリジナルシャンパン、いわゆるオリシャンの発注量やラベル生産量は全てその評価で決定しそうだ。ノルマが最低限用意されてるのは勿論だが、「普段来ないお客さんを呼んで売上を立ててくれ」という期待のもと呼ぶことを決めてるだろうし、はい全然売れませんでした、次頑張ろうね、なんてことはゲストにはない。常勤じゃないのだし。その期待感を背負えるほどの自信がフォロワーと掛け合ってなくて、悲しいのだ。怖いのだ。

ただ、そういったフォロワーが人間の価値として存在する風潮、それを何となく鵜呑みにしている僕も悪いことかもしれない。

実際のところ、SNSは無料コンテンツに他ならない。無料だからこそ知りたい情報しか仕入れない、そんな感覚を持つ人間がほとんどなのだと思う。知りたくない情報、興味がない人間の投稿など見ても無駄。無駄は言い過ぎではあるが、是が非かといったら、大概が非なのだ。

ただ。そう。例えばそう。昔はライブハウスに入り浸って存在証明していた少女がいた。その少女は特に理由もなく、ふらっと、当てもなく、漠然と、ライブハウスにいた。
イベントの途中。知っているバンドが終わり、あとは知らない、興味のないバンドだったから帰ろうかとも思ったが「折角お金を払ったのだし」と思い、終演まで見ることにしたのだった。
イベント最後の出番のバンド。聞いたこともない。名前も知らない。だが、凄くカッコよかった。好みの音楽だった。そうして少女は高揚感を保ちながら帰宅するのだった。

僕はそんな少女のように、モノの価値を五感全てで感じて決定するべきではないのか?と思うのだ。興味があることをとりあえず体験するためにお金を払い、好きを見つける。これが1番面白いとは感じる。

コンカフェでも同じだ。アイドルでも同じだ。興味があるからとりあえず行ってみたら、今日1日だけ出勤している女の子が好みだった。たまたまステージで見た女の子に魅力を感じた。だから好きになった。1番面白い。

だが今はその前のひと段落に「インターネットで情報を仕入れる」が加算されている。そこで振るい落とされる事柄が無限にあり、死んでいく。
とりあえず、興味があるから買ってみるか。面白そうだから行ってみるか。そんな感覚が現代では薄れていっているのかもしれない。

だからこそ、好きなモノには無料コンテンツで感じるだけでなく、他の四感を使用して感じで欲しい。僕はそう思うが、現代の流れは違う。無料コンテンツで価値を決定し、数値で人を見て、評価し、罵倒し、殺していく。違うのではないのか?だが、それを否定も出来ない。数値至上主義になってしまったからだ。残高のように、フォロワーの様に、僕のように。

話を戻そう。
フォロワーが少ない女の子を否定してるわけではない。集客が少ない、ファンが思うほど付いてこない、そんなのは二の次だ。確実に時代となった数値の多さによって決まる世の中が悲しい。そしてそれを理解していない女の子が被害を受けている感覚がして悲しい。それは変えようとも変えられない事柄である。

自己肯定感が低い人間からしたら、そんな期待をバネに出来そうな女の子は嫌悪までいくだろうか。それも悪い癖なのだと感じる。

本質的な時代の流れの事柄は、テトラポットにならない限りは防げない。つまり。seaの流れには抗えないのだ。シンパシー。そう。高揚感だけでなく、悲壮感も落ち着きを見せる。そんな事柄にはお金を払おうなんて話だ。この場合は辞書だったりするのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?