"薄野"

すすきのは今日も平和だった。

平和と言っても、比較対象が北斗の拳の世界のような暴力と殺戮が混じり合った世紀末なので、何か引っ掛かる部分が存在する、なんてものは今回の議論の部分ではない。すすきのの普通として、普通に平和だった話である。

勿論、夜職の人間同士の殴り合いや交差点で叫ぶ人間なんていう光景をピックアップされていることで街のイマジナリティが構成されている部分はあるし、実際その光景も一晩に一回は見る。ただ、龍が如くのような反社会的な人間が関わる騒動がありました、なんて話はそこまで聞かないし、漫画の中の世界に存在する繁華街なんてものは数十年前に終わっているだろう。死んだ。

そうやって移り変わる社会の中で、皆が変わらないアルコールを摂取している。だからこそ平和なのだ。

そんなアルコールが成分の一部として存在している【酒】という飲類はよく『コミュニケーションツール』なんて言われている。近年はそんなコミュニケーションを拒む若者もいるが、コミュニケーションが嫌い、酒が嫌いな人間は少数派であって、大半の理由がコミュニケーション相手が嫌いなだけである。ただ、よくそんな事実に対しマスメディアはこぞって『〇〇離れ』なんて言うのだが、特定の人間が嫌いだから離れることは昔から普遍的なものだし、だからこそ不特定多数の人間と酒を飲む場所、1人飲みが流行っているのかもしれない。

かく言う僕も、そんな一見のお客さんと話すことがまあまあ好きな人間である。新しい知識を得られるからだ。自分の知らない世界の話を聞くことが1番興奮する。
例えば。先日で言えば、薬物所持で逮捕歴のある人間、ホストクラブのキャスト、メンズアイドル、最近音楽活動を始めた新進気鋭のバンドマン等が挙げられる。全部自分が知る由もない世界を経験しているから、そんな人たちとコミュニケーション、会話をすることが楽しくて仕方ない。僕はそんな性格である。

そんなマインドの僕が一見さんとコミュニケーションをしている中、たまに連絡先を交換して頂くことがある。昔は「もう会わないから連絡先交換しても…」と思っていたが、経験談として、自分が働いているお店にその連絡先を交換してくれた方が来てくれることがあり、それは本当にビジネスをやる上でお客さんを掴む一種の方法であり、最適解なのだ、と僕は思うようになった。

脳内イメージを言語化しよう。
自分の中の人間関係を、住んでいる家だとしよう。最初は部屋も狭い。ただ、他の人と知り合うことで、家が勝手に増築されていくとした時、入り口が一つだと出入りの自由度がない。なので、自分で入り口を広くしたり、二つにした方がいい。そうすると、勝手に行われていく増築もしやすくなるだろう。

つまり、入り口を増やす、広くすることでどんどん輪が広がっていくのだ。勿論、自分でオートロックに改造することも手である。その思想は人それぞれではあるが、すすきのという場所は何故か皆玄関の鍵をかけていない人間が多い。それは人柄だし、インターネット情報ではなく人伝の情報伝達方法が主流であることが主な理由だと僕は思う。そんなところが、僕は好きなのだ。

好きな人と行く、好きな場所にいる人。そんな人間は大抵好きになってしまう。友達になるし、一緒に住んでみたい。

そう。
そうやって社会は回るし、変化していく。
実は何も離れてはいなかったのだ。

結局、酒は『コミュニケーションツール』であり、道具にしかすぎない。主体はコミュニケーションである。僕が思うに、この街はその点が顕著に出ているのだ。

だからすすきのは世紀末だし、今日も平和だった。そんな話である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?