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「韓国映画」と「韓流映画」のトワイライトゾーンはあるのだろうか

 韓国で主な芸術賞を総なめしたテレビドラマ「椿の花の咲く頃」だが、Netflixの再生回数では、「愛の不時着」」に遠く及ばないのはなぜか。
 そして、輸出コンテンツとしては、「愛の不時着」があれほど独走態勢にはいっているのにかかわらず、賞レースでは、「椿の花咲く頃」の後塵を拝しているのはなぜか?

 わたしのその答えは、「椿の花の咲く頃」は「韓国映画」の流れをくむ作品であるので評価が高くなるのに対し、「愛の不時着」は「韓流」とカテゴライズされているから、である。

 あくまで個人的見解だが、韓国映像コンテンツ業界において、「韓国映画」と「韓流映画」とは、はっきりと区分けされ、棲み分けされているのではないだろうか?
 
 わたしが、最初にそう思ったのは、「四月の雪」と「私の頭の中の消しゴム」を見たときに遡る。
 どちらもヒロインはソン・イェジンのラブストーリなので、比較するとわかりやすい。 日本の興行収益の韓国映画のトップは、「パラサイト」に抜かれる前はずっとこの「私の頭の中の消しゴム」だった。
 しかし、これには、ひとつカラクリがある。
 上映する映画館の数である。空前の韓流ブームのさなかのヨン様主演の映画「四月の雪」の上映は全国展開であった。
 そして、そのスクリーン数をそのままに「私の頭の中の消しゴム」が上映されたのだ。その後、「パラサイト」まであれだけのスクリーン数で韓国映画がかかったことはないように思う。スクリーン数が多ければ、当然観客動員数も上がるわけだから、「私の頭の中の消しゴム」がトップをとれたのは、人気を誇ったヨン様のお蔭なのであると私は思う。

 では、なぜ、ヨン様が主演なのに、「四月の雪」が振るわなかったか?
 見ればわかるのだが、「四月の雪」は韓国映画のワクだが、「私の頭の中の消しゴム」は韓流映画のワクなのである。
 そのころの日本人の観客が観たいのは、あくまでも韓流映画だったから。
 韓流スターのでる韓国映画より、韓国映画の俳優がでる韓流映画がヒットしたのは当たり前ともいえるのだ
 さらに、韓国映画の俳優で韓流映画は撮れるが(ただし、イケメンならばであるが)、韓流スターを韓国映画に起用すると演技力不足の批判の嵐で、なかなか次に続かないのだ。もったいないことだと思う。
 韓国映画の一種独特な世界観や空気感も含めて、作品を解釈する演技力が伴わないせいで批判されるのだろうが、映画は集団による創造芸術なので、出演しているうちにどっちも上手く演じられるようになると思うのだが。

 そこへいくと、ソン・イェジンなんかは、最初から、韓国映画も韓流ドラマもどちらでもできるように、作品選びなどもマネジメントされていて、事務所の先見が光る。
 ヒョンビンも、韓流スターとして名を売ったのちは、韓国映画に出るようになったが、主演映画の観客動員数が振るわなくとも、メンタルが強いのか次々と出続けられるのも凄いと思う。ヨン様やウオンビンみたいに気にして、作品を選び過ぎて出演を控えることのないように祈る。
 本当に、今回、大統領賞受賞、おめでとう。良かったね。

 まだまだ、明らかに、海外市場で競争力のあるのは韓流作品なのである。もちろん、大衆路線の韓流だけに留まりたくないという映画人の思いや創作意欲もわかる。
 韓国映画界が、そこら辺をどう折り合いをつけ、さらに発展させていくのか。今後の動向に注目したいと思う。

 

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