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自分の意見を表明すること

お久しぶりです。
日本語教師のはやしえみです。
ずっと放置状態でしたが、春学期最終日、心に残ることがありましたので、記録しておきます。

この記事は、ここに出てくる意見を言ってくれた学生の許可を得て、書いています。


意見を言いに来てくれた学生

最後の授業のあとで、ある学生が話しかけてきました。
「できる日本語初中級(黄色)」を学び終え、これから中級に入る学生です。

「先生、相撲の勉強をしたとき、外国人のお相撲さんのガッツポーズについて話したでしょう?」

昨年に引き続き、今年も相撲部屋の朝稽古の見学に行きました。
その授業の一環として、用語を紹介してから、相撲についてグループで調べる活動をしました。その際、外国人力士が増えていることも伝えました。

その活動の最後に、ディスカッションのテーマとして、外国人力士のガッツポーズを取り上げました。

日本の武道では礼節が重んじられていて、剣道や柔道同様、相撲でも勝った時にガッツポーズはしない。しかし、最近昔は見られなかったガッツポーズが見られるようになった。それを外国人力士が増えたからだと言う人もいる。数年前には外国人の横綱がガッツポーズをしたことで、ニュースになったこともある。相撲界では横綱はただ強いだけでなく、全ての力士の模範となることが求められている。横綱はガッツポーズをしてもいいと思うか?

これをかみ砕いて、もっともっとわかりやすく伝えました。

こういうテーマを話すとき、私が先にYes、Noの立場を表明すると、学生がそれに引っ張られてしまう……、というか、「先生に反論してはいけない」という文化を持った人たちが、私の意見に賛成する意見ばかり言うことになるので、できるだけ自分の立場は表明せず、中立にファシリテーターを務めることにしています。

その時は多くの学生から「ガッツポーズは自分でコントロールできるものではない」、「ガッツポーズをしてはいけないなんて、スポーツと言えない」、「相撲が外国人を受け入れるなら、日本のやり方ばかりを通すのではなく、外国人の意見も聞くべき」というような意見が出る中で、ある学生がグループ内で「横綱はガッツポーズをしてはいけないと思います」と言っていました。

少数派の意見だったので、ぜひみんなの前で言ってもらいたいと思い、全体のまとめのときにその学生をあてたのですが、その学生はモゴモゴして、「だめ・・・」と言ったきり、次のことば続きませんでした。

時間もなかったので、その時は「まだ、まとまってなかったみたいですね」と言って、彼女を飛ばしたのですが、実は彼女には言いたいことがあったようです。

「お相撲さんのガッツポーズについてなんですけど。」

その時の意見を私に言いに来てくれたのでした。

「私はカンフーが好きです。カンフーも柔道や剣道と同じ武道です。だから、武道の「気持ち(精神)が大切」、「マナー(礼節)が大切」というのがわかります。たくさんの外国人が相撲をやって、相撲が国際化されても、相撲は武道です。日本(の伝統)を守るためじゃなくて、武道(の伝統)を守るために、お相撲さんはガッツポーズをしてはいけません。私の意見はこれです。
 でも、あの時、クラスのみんなはガッツポーズをしてもいいと言っていたし、先生もみんなの意見に賛成していたから、ちょっと失礼かなと思って言いませんでした。」

そっか。

私は中立を装っているつもりでいましたが、相槌や表情に自分の意見が出てしまっていたようです……。そして、それが彼女の発言を躊躇させてしまった……。反省。反省。大反省。

「反対してもいいのに・・・。」

ショックな気持ちを押し殺して言いました。

すると、彼女が言いました。

「あの時はそうだったけど、あとで考えて、自分の意見を言わないほうが失礼だと思って。先生は賛成(の立場)だけど、反対の人の意見を聞きたいのはわかりました。あの時から、先生の顔を見ると、いつもいつもこれを言いたかった。」

私は中立なファシリテートには失敗していましたが、学生の「言いたい、伝えたい」モチベーションの活性化には成功していたようです(苦笑)。

先生は賛成(の立場)だけど、反対の人の意見を聞きたがっているのはわかった

この言葉に救われます。そして、大きな気づきがありました。

教師は中立であるべきか

私は学生の意見を引きだすために、中立でいなければならないと思っていました。学生の意見を聞く前に、自分の意見を言うなんてもってのほか、そう考えていました。

でも、どんなに中立を装っていても、学生には私の立場(意見)が見えてしまうようです(←これは私の未熟さであって、うまくやれる先生もいると思いますが)。

ただ、今回のことで、たとえ教師の立場が学生に見えていたとしても、「反対の意見も聞きたい」、「反対の意見を歓迎している」ということが学生に伝わっていれば、意見を引き出すことができるようだということを学びました。

今までは自分の意見はできるだけ言わないようにしていたので、これは私にとって、大きな気づきです。

次回は自分の立場(賛成・反対)をはっきりと表明して、学生と議論してみようかと思います。

意見を言うのは怖い

そして、そして

今回のことで思い出したのは、私自身のX使用のことです。

私は以前、Xで自分の立場(Yes,No)をはっきり示して意見を書くようにしていました。その結果、有意義な議論ができることもありました(もちろんXは議論の場でないことはわかっています)が、思わぬところから批判が飛んできたり、斜め上の反応をされて戸惑うこともありました。時にはDMで的外れなことを言われて、ブロックしたこともあります。批判されるのは怖いし、テキトーな人の的外れな批判の標的にされたくないと思ってしまいます。

今回、彼女にとって、「教師も含め、他の学生がほとんど全員賛成の立場にいた」ことはみんなの前で反対意見を表明することの難しさの原因の一つだったと思います。

しかし、2人でいろいろ話していて気がついたのは、彼女がカンフーが好きで、武道について知識があったことも言いにくかった原因の一つだということです。

武道が好きで、日本の武道にも興味があるからこそ、武道を知らない人に簡単に批判されたくない。好きだからこそ、大切だからこそ、慎重に意見を言いたい。私自身はそういう気持ちを忘れかけていたかもしれません。

語学の授業では教師は気軽に「自分の意見を言いましょう」と言ってしまいます。

でも、自分の立場を明らかにして意見を述べるのは怖いことだいうのは忘れてはいけないことだと思います。

それが自分にとって大切なもので、アイデンティティに関わるようなことであればなおさら、立場を表明するって怖いことです。

彼女はこんなことも私に思い出させてくれました。

横綱のガッツポーズについて、意見を伝えてくれた学生に感謝します!

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