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学習者の思いを聞くこと、寄り添うことの難しさ

こんにちは。日本語教師のはやしえみです。

昨年、日本語教育アドバイザーとして関わった地域日本語教室が4月からリニューアルされたと聞いて、見学に行ってきました。

そこで、ちょっとした出来事があり、学習者の思いを聞くことの難しさを改めて考えたので、共有してみたいと思います。

決して、日本語教室の支援者(ボランティア)を批判したいのではなく(批判どころか、感謝しています!)、みんなで考えるきっかけとして、発信してみます。

皆さんの意見もお聞かせください。

こだわりの強い子ども???


その日の地域日本語教室は支援者のリーダーさんが場をしきり、みんな笑顔で開始しました。

まずは全体に向けて、日にちや天気の確認。

その後、グループに分かれて、個人レッスンやグループレッスンをする教室です。

その日集まった学習者の中には3月に来日したばかりという子どもが数名いて、支援者が1人ずつつくという指示がありました。

それ以外の方々はグループになって、それぞれにやりたい教材を開き始めています。

私は来日したばかりという子どもたちが気になって、その子たちを教えているグループの近くで見学させていただきました。

そこから聞こえたきたのは、支援者お二人の「今日は学校をやらなければいけないね!」という言葉。

「学校をやる」??

どういうことか意味がわからず見ていたら、一番小さい子についた支援者はその子に五十音表を見せて、「あいうえお」から書くように指示している模様。

ああ!「学校をやる」というのは「文字を教える」という意味なのかもしれない。

でも、初めて日本語を勉強する子どもに50音か…

と、違和感を覚えながらも、どんなふうに教えるのかを観察しました。

ところが、子どもは首を振って、書こうとしていません。

ただ、えんぴつは持ち続けていたから、書きたくないわけではないようです。

そのグループで起こっていることが把握できず、気になるので、少し近づいて会話を聞いてみると、困った支援者の声が聞こえてきました。

「なんで書きたくないのかなあ?」

「書けないと、学校で困るよねぇ。」

「こだわりのある子は難しいよね。」

ああ、この雰囲気は良くない…

しばらく見ていましたが、子どもがうつむき、大人(支援者)は困り果てて他のグループの方を見始めたので、子どもに中国語でどうしたのか?と聞いてみました。

すると、その子が言ったのです。

「僕は五十音の前半はもう覚えたから、後半を勉強したい。「あいうえお」はもう書けるから、「まみむめも」から練習したい」

なーんだ!

勉強したいことをちゃんと自覚できている子だったのか!

困ったこだわりなんかじゃない!

勉強したいことがあるだけ。

その目を見ると、「まみむめも」から、教えたら喜んでどんどん吸収してくれそうな雰囲気です。

そこで、支援者に彼の言葉を通訳して、

「まみむめも」からやってあげてくれませんか?

と言ってみました。

でも、支援者さんは

「いや、まだ[あいうえお]をやっていないから!」

と強引に頭から書かせようとします。

「頭から書かなければならない」理由ってなんだろう?

その理由があったとしても、地域日本語教室は学校じゃない・・・

というか、学校だとしても、子どもがやりたいことがあるなら、それに合わせてあげてもいいんじゃないかな?

と思いつつも、私は部外者

今日は見学させていただいている身。

教える内容ややり方を指示する立場にはありません。

どうしたものかと迷い、結局子どものほうに、

「先生が復習は大切だと言ってるよ。あなたがもう書けることはわかったけど、復習するのはどう?」

と言ってみたら、

「OK」と答えて、黙々と五十音を頭から書き始めました。

それを見て、「わー!書けるんだね!すごいねー!」と喜ぶ支援者。

なんだかな・・・とは思うものの、先ほどの険悪な雰囲気は薄れていたので、ほっとしました。

見ていると、彼は支援者の口元を見ながら、何かをメモしています。

きっと地頭のいい、勉強慣れした子なんでしょう・・・

五十音を書いているだけなんて、もったいない。

この子に必要なのは「日本語で楽しむこと」だ…と思ったので、休み時間にトイレに案内するついでに、

頭、目、耳、口、鼻

を指さして遊び感覚で言葉を教え、お互いの顔を指さすゲームをやってみました。

すると、あっという間に覚えて、自分からそれを日本語で書きたいと言ってくれたのです。

すかさず、支援者に「頭、目、耳、鼻、口」をひらがなで書きたいと言っている。これまで書いたひらがなで全部書けるものだから、書かせてあげてほしいと伝えました。

今度は支援者も「やっぱりことばを先に覚えたほうがいいんやね」と納得してくれたので、ひらがなを単体で書くよりも、言葉で書いた方覚えやすいし、楽しいかも??とお伝えしました。

地域日本語教室に必要なこと

さてさて、今回の出来事。

まずは観察者に徹しきれなかったことを反省。
やはり私はお節介です・・・

そして、強調したいのは支援者さんは何も悪くないということです。

初めて日本語教育に関わった方が、「入門から日本語を教えなければならない」となったとき、まずは五十音からと考えるのは自然なことと思います。

だからこそ、こういうところで教授内容をデザインできる専門家が必要なのです。

そして、集まってくれた支援者にはまず「地域の教室で日本語を教える」ことについて、オリエンテーションのようなものがあったら良かったのかなと思います。

やるべきことは「支援者が教えたいこと」ではなく、「学習者がやりたいこと」

教えるというよりは、サポートをしてほしい。

「まみむめも」を書きたいと言っている子どもには「まみむめも」を書いてもらえばいいんだと思います。

あの教室でこういうお話はされたのかな?
支援者をサポートする体制はあるのかな?
なければ、早急に整備する必要があると思いました。

学習者の思いに寄り添う難しさ

そして、私自身についてもふりかえりました。

今回は子どもが頑として「あいうえお」より、「まみむめも」が書きたい!と意思表示をしてくれました。

でも、私の関わる留学生くらいの年齢になると、自分が「あいうえお」はもう書ける」と思っても、教師に気を遣い、場の空気を読んで、合わせてくれたかもしれません。

そして、やりたくもないことをやらされて、モチベーションを下げていた可能性は大いにあります。

そのとき、私は学習者の本当の思いに気づくことができるのか・・・自信がありません。

しかも、今回はたまたま中国語を母語とする子どもだったので、彼の本心を聞くことができました。

でも、これがタイ語だったら?フランス語だったら?

私は最後まで彼の思いを理解できなかったことでしょう。

「まみむめも」を書いて、それを使って「耳」、「目」を書いていた彼の嬉しそうな顔!

もし、はじめに「まみむめも」から書きたいと言っているのを理解してあげられなかったら、あの顔は見られなかったと思います。

難しいことを意識し続ける


私たち日本語教師は常に学習者の思いを聞き続けなければなりません。

でも、その思いを聞くって本当に難しいことなのだと改めて感じました。

思いを聞くことは難しい。思いに寄り添うことは難しい。

このことを忘れないで、常に学習者理解につとめ、思いに寄り添う努力を続けたいと思います。


最後に。
賢く、自分の意志をはっきり伝えられるあの子が日本で楽しく生活できることを祈ってやみません!適切な教育が受けられますように。

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