「六芸2」
前回の記事ではタイトルの「六芸」については何も触れていなかった。(長いなあと思い、分けた)六芸とは、礼、楽、射、御、書、数という科目?のようなもの。
「昔は君子に必要な基本的な学術を「六芸」と言いました。これはヨーロッパもいっしょですね。自由七科という。東洋は六科、西洋は七科。(・・・)私の見るところではギリシャ・ローマ伝来の自由七科より、孔子の六芸の方が教養教育としてはより理に適っているように思われます。六芸とはすなわち、礼、楽、射、御、書、数のことです。」 『街場の教育論』(内田樹 ミシマ社 p84)
その後に、六芸の筆頭に礼が来る。礼は死者とのコミュニケーション。祖霊を祀る。一種の抽象度の高い事を「本当っぽく」振舞う事を涵養すること。西洋の7科だと、礼にあたるのは強力な宗教が担っているからのように思える。そもそもそれが大前提の世界観なわけで。それにくらべると東洋はそのような絶対的世界観では無いように思う。(その時代の権力者としての絶対感はあるだろうけど)そして、六芸の最後に書、数がくる。これは今の学校教育や世間で「大事」とされていることだろう。その表れが、「東大合格者数」と飽きずに週刊誌は特集を組む。それは世間ではそれが重要と思われているから週刊誌もそれを嗅ぎ取って記事にする。そして、現実の側面としてやはり、高学歴は高収入と絡んでいるのは否定できない。まあ、今は書、数、以下どうでもいい。という感覚か?しかし、それは大いに危ういというのが、岡潔が「情緒」というキーワードに込められているように思う。そして六芸の筆頭に「礼」がくることも、そして孔子をはじめ古代の賢人たちが重要視したのはそこだろう。
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