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一度感情を喪失したからこそ辿りついた、私なりの感情表現 #創造的に生きるインタビュー #ニューヨーク展示挑戦

2021年に、参加した全員が芸術家として生き始める、が意図のプログラムを運営していました(創造的に生きる、プログラム)。

表現が怖くてできない、表現ができるようになりたい、と参加してくれた栂瀬 雅月(とがせ かづき)さん。あれから3年が経過し、「感情のドローイング」という表現にたどり着き、2023年に個展を開催。応募した企画展で受賞し、ニューヨーク展示のチャンスを勝ち取り、人生初の海外展示に挑戦されています。

この記事は、一見キラキラして見えてしまうストーリーの裏にある、表現への恐怖、また葛藤など、(かなり)生々しい変容の物語を伺った、雅月さんへのインタビュー記事です。

表現をしてみたい、年齢関係なく挑戦してみたい、という方はぜひこの記事を読んでいただきたいですし、興味を持った方は彼女が挑戦しているクラウドファンディングも御覧ください。

アートの本場、ニューヨークでの展示に45歳から挑戦。


——まず、自己紹介をお願います。

アーティストのカヅキです。アーティスト活動と、フリーランスで企業向けのブランディング、明日から(!)会社員としても、富士吉田の地域活性化の新規事業担当としても仕事を始めています。

——ニューヨークで挑戦する展示について教えてもらえますか。

2023年の年末、ニューヨークで日本人のアーティストを紹介する企画に応募したところ、受賞し、ニューヨークで展示をする機会をいただきました。2月後半に2週間現地に滞在し、グループ展示を行います。

展示だけでなく、ニューヨークで出会った人や日本の人とともに、旅自体をアート作品にして共創したいと思い、クラウドファンディングにも挑戦しています。

——具体的にどんな作品を作っているのですか。

『感情のドローイング』という、感情を感じながら、感じた感情を色や動きで表現する作品です

また初めての試みとして、ニューヨークで出会った人々、支援してくださった方々の感情のドローイングを行い、それらをコラージュして「みんなのコラージュ作品」として制作します。

4月24日〜30日に、山梨での展示も決まっています。

感情のコラージュ作品「Collage of Feelings」」

ニューヨークに圧倒されて何も出来なかった、学生時代の私。


——ニューヨークでの展示は、アーティストなら一度は憧れる舞台だと思うのですが、実際、いまどんな気持ちなんですか。

23年前、大学生の時にニューヨークに滞在したことがあります。現地の美大生の家に泊めてもらいながら美術館めぐりをしていました。でも実は圧倒されすぎて、ギャラリーに自分のポートフォリオを持っていくことが全く出来なかったんです。

自分の作品を見せることにずっと怖い気持ちがあって、ニューヨークというアートの世界の中心の一つで、そこで出しきれなかった自分が悲しい、悔しい、という感情がありました。

今回のクラウドファンディングにおいて、クライアントワークでもなく、自分の中身を出すことにとてもドキドキしています。展示の権利をいただいたときは、お金がかかるし、仕事もあり、行ける状況ではないと思っていましたし、大してわくわくもしませんでした。

喜んでくれる周りの友人たちとは裏腹に、学生時代の情けない自分が蘇り、今回も行ける機会があるのに、行けない理由を作っているんだなと思った時に、行くことが大事なのでは、と思い直しました。行きたいというよりも、行かないと、という気持ちがありました。

3月から子どもと離れて暮らしながら「新しい家族の形」も模索している中で、「日常的に子どもと一緒にいない母親としてどう生きるか」、は大きなテーマでした。ニューヨークに行って夢を叶えて、次へ進もうとすることは、その新しい家族の形として、子どもにも自分にも意味付けができるかもしれないと思い、挑戦を決意しました。

「ニューヨークだ、イェイ!」という感情はあまりないですね…。クラファンもニューヨークも、子どもたちと離れても、頑張っていると胸を張って言い切れるのか、という葛藤も在るし。そういうものが、ぐるぐるしています。

——プロセスを聞いていて、成功しているとか、うまくいっている、という意味ではなく、自身の衝動に素直に生きることを選択しているように感じます。

長女が生まれて生活が一変。虐待してしまうのでは、と自分が壊れるほどに追いつめられて。


——カヅキさんと以前お話していた時に、仕事を始め、さらに母になり、自分が何をやりたいのかわからない、何を感じているのかわからない、といったお話も聞いていました。

自分の人生を生きるんだ、という方向性になる道のりは、どのように始まっていったのでしょうか。

大きなきっかけは、子育てに没頭し、精神が崩壊しかけたことです。

長女が生まれ、自分が何を食べたいのかすらわからない状態になり、さらに双子が生まれて忙しさに拍車がかかり、長女にものすごい怒ってしまう状態が続きました。「このままだと私、虐待するかもな…」と怖くなり、子どもではなく、「自分を何とかしないと、本当にやばい」と思いました。

一方、出産前は仕事も趣味も楽しみ、目指したいキャリアも明確で日々やりたいことに突き進んでいました。私が小さい頃にした、中学受験もイギリス留学もそうでした。あまり周りのことを考えずに、自分のやりたいことをやっていました。

それが可能である環境にも、とても恵まれていると思っていました。

あなたから何一つ感情が感じられない、と言われて始まった自分探し。


——その状況に陥り、最初は何から始めたのですか。

コーチングにお世話になりました。コーチから、無料でも良いので一度お話ししませんかとご連絡をいただきました。私の相談内容から、何一つ感情が感じられず、連絡をしたとのことでした。

そこでの自分が抱える葛藤や想いを話す機会を通じ、自分が見えている世界は自分が作っているということを初めて知りました。私は、自身の不幸せはすべて旦那のせいだと思っていたのですが、それを覆すのは本当に辛くて、抵抗もたくさんしました。

そこから自分探しが始まったように思います。セッションを受けたり、コーチングスクールに行ったり。その過程で出会った人たちが、学び以上にとても大きくて。コロナ禍のタイミングも相まって、ご縁がご縁を繋いで、今ここにいることを実感しています。

なぜ私を見てくれなかったのか。母への不満を伝え続けて受けた、初めての全力ビンタ。


——この自分探しのプロセスで、どんな内的な声や、深いニーズのようなものに気づかれたのですか。

特に大きかったのが母親に対して「私を見て」と言うことでした。

5歳下の妹が生まれたことをきっかけに、言ってはいけない、という思いが積もり積もっていたんだと思います。

離婚をきっかけに実家に母と住んでいる間、「私を見てくれなかった」、というチクチクとした思いが湧き上がり、3時間嫌だったことを言い続けたら、最初こそ謝ってくれていた母が逆ギレして。

いろんなやりとりの後、母に、突然思いっきりビンタされて

震える母と無言で対峙し続けた20分。そこから大きく変容した、親子関係。

——母親からビンタ … 。そこからどうなったんですか?

逃げないぞと決めて、手を握りしめながら座っていたら、お母さんが、「カヅキ、怖い」と震えだし…。

慰めることもできず、無言で対峙すること20分、最後に母が、「鈍感で気づいてあげられなかったけど、お母さん、かづきのこと大好きだから」と言われて…。涙が溢れ出して、お腹から出るような本音の話がつらつらと出てきて…。

母は「離婚をきっかけに不幸せになる子どもは可哀想」と考えていて、私自身の子どものことを心配していました。新しい家族を作ろうとしていること、元旦那さんとそれぞれが頑張って生きていきたいという気持ちを、「お母さん、心配しないで信じて欲しい」と伝えたら「お母さん、じゃあ、カヅキを信じるわ」と。

それから、母に全くイライラしなくなりました

人生初の個展開催で気づいた、「私を見て」という心の声。


——カヅキさんがとても深く抱えていた、母親との関係性に向き合われたのですね。

母親が感情をむき出しになるほど向き合えたことにも驚きましたが、それ以上に、その後震える母親と手を握りしめながら、20分その場に居続けたことが …。本当にすごいなって …。

普通だったら母親にそこまで言わないですし、言われてもビンタされて終わるし、ビンタされてもその場にい続けることが出来ないと思うんです。

一つ大きいのは、母親との対峙の前に、初めての個展を通じて、「私を見て」の気持ちに気づけていたことだと思います。

しかし、「私を見て」という心の声を、行動に移すことには怖さが常にあります。個展を開催できたのも、関わっていたプロジェクトなど、すべて辞め、後を無くしたことが大きかったです。

個展開催は9月末でしたが、6月の時点でアーティストになると決めないと、仕事で使う左脳にスイッチが入ってしまい、アーティストとして絵が描けなくなると。でも、全然手が動かなくて、ずっとごろごろしたり、コロナに罹患したり…。

「個展をやろう」と思ったら、個展ではなく、グループ展や親子展がはどんどん予定が決まっていきました。その過程で、「個展を、一番最初にやりたい」と思っている自分に気づきました。ラフォーレ原宿のギャラリーがたまたま1週間空いていると聞き、グループ展と親子展の前にやるなら、全部考えた時に、そこしかないというタイミングと場所でした。

逆に、そこまで追い詰められないと個展できなかったんだな、と思いました。普通、ここまで自分のことを追い詰めないよなぁ、というところまで自分を追い詰めました。

初の個展『OPEN THE BOX』


やりたい、でもやりたくない。見てほしい、でも見てほしくない。恐れと葛藤し続けて。


——本当に、個展をやりたくなかったんですね。

とってもやりたい気持ちと、やりたくない気持ちが、ずっと相反しているんですね。クラファンも、実は始める10分前まで迷っていたんです。クラファンが終了する2月29日の前日に、娘の演奏会があることがわかりました。それに参加すると、ニューヨークに行けない

あんなに学校に行かなかった子どもの、小学校最後の演奏が見られないなんて、胸が張り裂けそうですし、クラファンを公開しない選択肢もある…。娘に「どうしても見たいんだけど、どうしたらいい」と相談したら、合同練習を見にいけることになりました。本当にギリギリまで応援してもらっているのに、自分は小さいなぁって思いながら。

毎回、そういうことで葛藤しています。

——お母さんとの関係性も、娘さんとの関係性も、最後の最後まで諦めずに、自分の感情に率直になろうとされているんですね。


自分の感情を吐き出したくて、やむにやまれず始めた感情のドローイングや、個展の開催を通じて、自分の感情を出し切り、客観視し、感情を受け取ることが少しずつ出来るようになっていました。

これらの経験から、母にも、そして娘だったり他者にも、本当の心の声を届けられるようになっていたのかもしれないと思います。

感情を失う体験をした私がたどり着いた、感情のドローイングで表現できる喜び。

——改めてここまで話を聞いていて、「心が何一つ感じられない」と言われるまで追い詰められていたカヅキさんが、「感情のドローイング」をテーマにしていることは、本当に興味深いと思います。

感情を絵で吐き出す

一つ一つ起こる事象に意味があるのかはわかりませんが、意味を見出すならば、感情を失うという体験を深く出来たからこそ、感情を扱う喜びや感情と出会い、つながる喜びを、全身で感じているのだろうな、という気がしました。

やりたいことを全部出来ていると思っていた人生を経て、家族、そして子どもが出来、喜びもありつつも、心を失ってしまった人生から、自分を見つけようとするプロセス。

最終的に気づいた一つの深い願いであり、声は、「私を見て」でした。これが本当に難しいし、でもだからこそ、個展もやりたかった。やると決めても、やらない理由ばかりが出てきて、今でも葛藤をずっとしています。

インタビュー後、みんなでほっこり

苦しい現実も全部自分が作っている。でも大丈夫。小さなことからでも始められる。

——ありがとうございます。乗り越えたり、葛藤したりを繰り返し、いまのカヅキさんがあるんですね。

ここで一つ質問なのですが、今のカヅキさんが、一番しんどかったときの当時の自分に声をかけるとしたら、何と声をかけますか。

とても厳しいかもしれませんが、「苦しい現実は、全部自分が作っているよ」ということ。もう一つは、「でも大丈夫」ですかね。

——過去のカヅキさんと同じように、生きることに悩んでいる人がたくさんいると思います。その方々へのメッセージをお願いできますか。

ニューヨーク、個展のようなビックワードが表に出がちですが、最初は、自分がやりたいこともわからなかった。今、何を見たいのか、食べたいのか…今寝たいのかとか、「自分の今」に少しずつ答えてあげることから、すべてが始まって、今ここにいます。

この記事を読んで、今、思っていることや、今、やりたい、飲みたいを、どんな小さいことでもいいので、一つでも自分の望みを叶えてあげることからやってあげてほしいな、と思います。

世界中でアートに触れる場をつくっていきたい。ニューヨーク挑戦はその大事な一歩。

——このニューヨーク展示を経て、次の挑戦や考えていることなど、将来のビジョンなどあったら教えてください。

将来やりたいことの一つが、アーティストインレジデンスを作ることです。アーティストが作品を制作できる地域に一ヶ月ほど滞在し、地域の人たちとの交流をしながら、その町で作品を展示します。

私は環境が恵まれており、イギリスで学ぶことができましたが、日本にも地域の人と海外のアーティストが触れ合う機会を作りたいです。交流や共創をしながら、その土地の人たちがアート作品を通して、地域をもう一度違う視点で見る循環が素敵だと思います。

今回のニューヨークではアーティストインレジデンスに滞在はしませんが、向こうで作品を作り、応援してくれた人も同じ旅にいるような気持ちになってもらえるように、現地からレポートをしていきたいです。

アートは作品そのものではなく、作品と見てる人の間に起こることがアートだと思っており、世界のいろいろな場所でアートに触れ、それによる循環を起こしていきたいです。ニューヨークはそのための第一歩です。


※ インタビュー編集後記(松島より)

カヅキさんは、高校生の時にアーティストになりたいと願い、イギリスの美大へ留学されます。その後グラフィックデザイナー、また広報職にて、クライアントの要望に答える形で表現をしてきたそうです。

その中で「自分らしい表現をしたい」という欲求を忘れていたことに気づき、「何の要望も要求もない、まっさらな状態で自分が表現したいことは何なのだろう?」と思った時にどうしたらいいのか分からない、と悩んでらしたタイミングでお会いしました。

絵を描けないコンプレックスがあると仰っていたのが3年前。そこから試行錯誤を重ね、感情のドローイングという表現スタイルに出会い、個展を開き、現在はニューヨークでの展示に挑戦しています。

葛藤も悩みも無くなったわけではなく、むしろ大きくなっているかもしれませんが、人生を歩み続ける覚悟を持つ、そんな力強さをカヅキさんから感じます。

カヅキさんの生き方、あり方が一人でも多くの方に伝わればと願い、この記事を執筆しました。

最後に、ちょうど昨日ニューヨークでの展示を終えたそうで、カヅキさんから本記事に対するメッセージをいただきました。こちらも含めてご覧いただければと思います。

「ニューヨークでの展示への挑戦を終えて。(カヅキさんより」

展示を終了して、この記事を改めて読んだ時、涙が出ました。

こんなに応援していただいて来たニューヨークなのに、来る前にどれだけ来たくなかったか(笑)。そして、今、現地に来て、どれだけ予想を超えた素晴らしい体験をしているか。

展示をしたことで、繰り返し、作品の意味を問われ、説明することで、この作品は、私の10年間の子育て中に抑え込んだ感情を開いた作品だったと気づきました。

その時はじめて、闇だと思っていた子育て期間が、色とりどりで愛に溢れた時間だったと、受け容れることができました。

最終日前日のパフォーマンスで、それを伝えると、深く頷きながら聞いていた女性がいました。

彼女にも感情のドローイングをお願いすると「カオスと苦しさがあるけれど、幸せな絵が描けた」と笑顔になりました。「伝わっている」と、深く感じた時間でした。

母からも「離婚してたからニューヨークに行けたね。本当によかったね」と言ってもらい、子ども達にもNYの毎日を伝えています。

素晴らしい出会いとNYのアートシーンに触れ、来る前とは、まったく違う目で世界を見ています。

滞在中も葛藤は続いていますが、本当にNYに行くことを決めて良かったです。応援してくださったみなさま、出会ってくれたすべての人に感謝しています。

Edited by 渡辺優

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