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草刈り事件を通して気付いた、「雑草」と「それ以外」の植物の違いについて。

息子が、生き物大好き病にかかっている。

幼稚園に行くにも、道の途中で、ダンゴムシを見つけたり、アリを見つけたり、蜘蛛を見つけたり。はたまた、知らない虫を見つけると、発狂である。パパとママは大変だけど、すくすく育っていて嬉しいなぁと思う。そして我が家にはいま、ハチジョウクワガタとカブトムシとカイコがいる。

数日前、考えさせられる出来事が起きた。

たまたま住んでいるアパートの横に、桑の葉が自生していたので、カイコを育てることが出来ていたのだけど、ある日それがすべてなくなっていた。管理人が気を利かせてくれたのか、アパートの周りの「雑草」がすべて綺麗に刈りとられてしまったのだ。

大人の僕としては、蚊が減って嬉しい部分もありつつ、日々息子と虫探しをして、ミツバチやトンボ、またバッタなどを探していたのが、虫がごそっといなくなってしまったことが悲しかった。

そこで、「雑草」とはなんだろうと考えさせられた。カイコにとっては大事な「桑の実」が採取できる食料宝庫であり、息子にとっては大好きな虫たちを探すことのできる遊び場であった。しかし、それを「雑草」と名付け、一緒くたにしてしまう。

こんなことを書いている僕にとっても、結局、「カイコをかうのに役に立ち」「息子と虫遊びができることに役立つ」植物のみが、「雑草」を超えて、意味のある植物となる。そして「雑草」とは、人間にとって、意味のある(綺麗だったり、役に立ったり)植物以外のものを指す言葉なのかもな、と思ったのだった。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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