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痛みが、自分を盲目にする。

近所の山を、走りながら下っていたら、思いっきり、コケた。

めちゃくちゃ痛くて、その後、山の中を走るのが、嫌になってしまった。痛いのはもう嫌だ、コケたくない、そう思った。そうして小さい頃を思い出した。

車で30分程の場所にスキー場がある環境で育ったので、小中高と、冬はほぼ毎週スキー場にいた。中高時代はスノーボードにはまっていた。いつも自分の実力以上のコースに全速力で挑むのだけど、まぁ、うまくいかない。

20回すべったら、だいたい20回は全力でコケる。何回転もする。それでも、その限界ギリギリのスピードが好きで、毎回も挑んでいた。顔面全部が傷だらけで、やばいときもあった。でもごく稀にうまくいった瞬間のエクスタシーが凄かった。

いつもコケていたから、コケて傷つくのが当たり前で、傷や痛みを恐れていなかった。でも気づいたら、年とともに、痛みに敏感になってしまっていた。少しずつ傷つかないことができるようになるのだけど、傷つく回数が減ると、逆に傷への耐性が落ちる。気づかぬうちに、痛みはあっても大丈夫から、痛みは避けるべきもの、に変化してしまう。

良くないな、と思った。無意識に痛みを避けていると、一つ一つは小さいことでも、いつのまにかに可能性を減らしているし、思考と視点の盲点を生み出してしまう。

痛みが、自分を盲目にする。

トラウマなどはまさにこの典型だろう。もちろん、身体が自分自身を守るために、痛みに敏感になり、痛みを避けてくれるのは素晴らしいことだ。でも、無意識に痛みを避ける人生は嫌だな、と思った。

息子と何かを一緒にして、全力でコケて、あぁ、失敗したね、でももういっかいやってみようか、そう笑って言えるパパでいたいな、と思った。痛みを避けるのではなく、痛みの中に身を置いて、困ったら、笑っていられる自分でいれたらな、そう思った週末だった。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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