僕にとって、創作とは。

創作。
不思議な言葉だ。

創り、作る。
作品を、創る。
作ることによって作る。

"つくる" が2つも入っている。
色んな読み方ができる言葉。

本当は、どういう意味なんだろう。
きみは、どう思う?

目に見える何かを作ること。
何かと何かを組み合わせて新しいものを生み出すこと。
課題を解決するために作ること。

色んな意味がありえるよね。
でも、僕はこう思うんだ。

見えない存在との対話を通じて、この世界に出たがっているモノを顕にすること、それは創作じゃないかって。

僕にとって、詩を書く行為とは、自分の内側からふと湧き出てきたものを書き留める行為であり、見えない存在と、自己対話をする行為でもある。

"見えない存在との対話" と書いたのに、"自己対話" と書くと、一見矛盾して見えるかもしれないね。けど、僕の中では矛盾していないんだ。見えない存在は、自分の外にも中にもいるんだ。だから、自分の外の存在と対話しているとも言えるし、自分自身と対話しているとも言える。

僕はこう思うんだ。

この世界には、"この世界に出たがっている何か" がたくさんある。物語であれ、器であり、料理であれ、真実であれ。何であれ、たくさんある。

人はそれを「アイデア」と呼んだりする。でも僕が好きなのは、「インスピレーション」という言葉。インスピレーションは、Inspiration 。実は、神の息吹、という意味なんだ。

そう、神が「何かしら」を、この世界に顕したい時、息を吹きかけるんだ。この地球に。そしてそれを誰かが受け取り、自分のなりの感性と表現方法を駆使して目に見える形にできた時、それは、「作品」になる。

この一連の行為を、ぼくは「創作」と呼んでいる。

そして、この「創作」が出来た時、その人には不思議な事が起こる。自分が作ったものなのに、それを完成した後に見えると、自分が作ったようには見えないんだ。なぜ自分がそれを作ってしまったのかもわからない。でも、自分を通して生まれてしまう。それが「創作」で起きることじゃないかな。

ただ、僕にも分からないことがある。
この「創作」は、無邪気に好奇心の赴くままつくるのが良いのか、修行僧のように滝にでも打たれながらつくるのがいいのか、それとも表現者によくある家庭崩壊などの自己破壊的状況を味わないとつくれないのか。
ぼくには、分からないこと。

でも、ぼくは自分の人生を通じて証明したいことがある。
それは、「創作」が、悲劇や狂気の上だけで生まれるものではなく、満ち足りた、深い幸せの上からも生まれるということを。そして、人類みなが「創作」を楽しんでいった時、世界のありとあらゆる存在がお互いを理解し合い、認めあい、尊重しあい、じゃれ合いながら、みなが共生している社会が生まれることを。

ねぇみんな、一緒にこれを証明したくない?
ぼくは、きみと人生をかけて、このことを証明していきたいよ。

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