夏の疲労と、今日の事件で感じたこと。

絶不調である。

久々に、身体的に疲れ果てているし、精神的にも疲れている。定期的に通っている東洋医学系の施術士の方に身体を見てもらったら、「本当に疲れていますねぇ。腎臓がやられています。」と言われた。

彼の解説によると、暑いがゆえに、冷たい飲み物を飲みすぎなのと、かつポカリスウェットなどの糖分が多く含まれている飲料を息子とがぶ飲みしていることが、腎臓に負担をかけている要因とのことだった。昨年もこの時期に体調を崩し、同じようなフィードバックをもらったことを思い出した。

その上で、息子は熱中症からか、先週末から、毎晩吐き続けたり、妻もそのあおりで体調絶不調になったりして、家族の疲労が僕にも来ていたのだろう。そうした中、今日の元首相の事件。

不謹慎かもしれないが、ちょっと漫画の世界に生きている気がする。思い出すのは、かわぐちかいじ著の「太陽の黙示録」だ。また、渋谷で選挙演説をしている人たちの不思議な服装や主張を見ると、手塚治虫の「火の鳥」で、危機的状況の中、未来の平和ボケした社会を描いたシーンを思い出す。

そして今自分の中に湧いてくるのは、もっと知らない人と対話をしたい、という欲求だった。残念ながら、僕のまわりのひとたちは、本当にいい人で、悩みながらも仕事もプライベートも前向きに生きている人ばかりだ。人に暴力をふるような人はいない。

でもそれは、極限られた、恵まれた人の世界なのだろう。最近、仕事面でも、まったくこれまでとは違った人と関わる機会が多く始まっている。障害を持った人々や、また学生さんだったり。

僕は、本当に小さな世界に生きている。もっと世界は広い。だから、今回の時間のことを理解できないし、今回の犯人への理解ができない。「なぜそこまで、、、」と思ってしまう。しかしその感情は、分断を生む結論にしかならない。

「分からない」を、「分からない」で終わりたくない。最後の最後までわからないのかもしれないが、それでも「わかろうとする努力」をしたい。そして、もっと人と出会いたい。人の話を聞きたい。そして、自分の人としての器を広げていきたい。そう感じる一日だった。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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