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エターナルズ考察/信じれば最後に愛は勝つのか?

「TOKIOリーダーは『ラブイズオーケー』って簡単に言うけどさ、その愛どうやって確認すんだよ」
愛>力。
でも愛って、不透明で、分かりにくい。現代人の際限のない自己承認欲求もこの分かりにくさゆえなのかな?
でも力は違う。ぶん殴って勝てば、自分の方が強いってハッキリ分かる。弱肉強食はシンプルでいい。
けど、地球に人類が誕生してもう何千年も経つ。
僕たちはいつまでも弱肉強食のルールで生きていていいのか?
最上位捕食者がこのルールで生き続けたら世界は、最後の審判は、どうなるんだろう。

愛し、愛されるって信じるのは難しい。
たとえ素直に愛を告げても伝わるかどうかはわからない。
「愛してるから選ばなかった」としても、「選ばれなかったから愛されてない」と思ってしまう。
だったらわかりやすい既存の価値観のままやっていけばいいんじゃないかと思ってしまう。殴って言うこときかせた方が速いし。
愛は地球を救うっていうけど、難易度高くね?

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アカデミー賞監督クロエ・ジャオ

「愛」なんてよくあるテーマを惑星規模で語る。「私の家は地球」って映画を撮ったクロエジャオにはあってるかも。マッコリに本物の聴覚障害を持つ女優を使うのも監督らしい。 愛と聴覚障害と言えば「クワイエット・プレイス」を思い出す。
後は明確な悪がいないのもクロエ作品の特徴だよね。
特に今回はセレスティアの計画にも一定の理がある。だからといって愛着を持ってしまった人類を見捨てていいのか。小説「スローターハウス5」の主人公のように、残酷な運命を「そういうものだ」で済ませるのか。

そもそも何故エターナルズは人類に愛着を持ったのか。

思い出、記憶の重さ

エターナルズの中でセルシだけがずっと人間を愛し続けてる。
他の皆は、解散のきっかけになる1521年のテノチティトランでの戦いで人間に失望してる。
初めて地球に降り立ったエターナルズはどこか、上から目線で、人間を守っている。「任務だから」そんな感じ。上位の存在として現れる。ゆえに彼は人類の歴史に神話として登場していく。
でも人類とのかかわりが長くなるにつけ愛着がわいてくる。
それと同時に人類のいやなところも目に付くようになる。その臨界点が1521年のアステカ王国の滅亡だ。
この国の滅亡の光景がセナに過去の記憶を思い出させる。力で他者をねじ伏せたものは、その後さらに上位の存在によってねじ伏せられる運命だ。
スペインがアステカを滅ぼし、国を自分のものにしたように、人類もまた、セレスティアルズによって滅ぼされてしまう運命。
セナのパーソナル障害は過去の記憶によるところが多い。
愛着を持った生命体が最後は滅んでしまう事、それを何度も繰り返してきた。その記憶の重さに押しつぶされ、他のエターナルズを攻撃する。ここでも力で解決しようとするあたりが戦の女神と呼ばれるだけある。
セナのパーソナル障害は他者と距離を置きすぎるタイプのものだけど、それは嫌悪からじゃなくて、愛情からきてるんじゃないだろうか。
地球の生命体を待つ残酷な結末を何となく察していたから自分の心を守るために無意識に距離を置いてるんじゃないか妄想した。

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目に見える愛の証と結婚指輪


そんな中、セルシだけが信じ続けられたのは最初に渡したナイフがあったからだ。
現代編の冒頭はセルシが、ナイフの展示がされる博覧会の広告をスマホで撮るシーンから始まる。画像フォルダには何世紀にも渡ってその博覧会が行われたこと示す写真が保存されていた。ずっと大事にされてきたわけだね。
目に見える形で愛の証がある。結婚指輪的なものだね。でもほかのエターナルズは違った。人を信じられなくなってしまい、引きこもりがちになった。
でも結局はそれぞれ愛によって戻ってくる。
が、もちろんそうじゃないものいるわけで……

ポリコネとマイノリティ

もう今更、ポリコネ配慮について語ることはない。「ムーンライト」や「グリーンブック」がアカデミー賞をとったことで一般への認知度も上がったと思う。
後はどれだけスムーズに物語に溶け込ませるか。要は「配慮しましたよ」という特別感を出さない。
クロエ・ジャオはこの辺も上手だと思う。
敵対するものが明確な悪として描かれないと言うのは書いたけど、この映画の面白いところはマイノリティの代表である彼らから、また少数派が生まれることだ。
「アリシェム派」はイカリス、キンゴ、スプライトだけど、一番面白いのはキンゴだ。彼と似たようなキャラクターがいる。漫画の「ジョジョの奇妙な冒険5部」で途中で抜けるアバッキオだ。死んだわけでも戦闘できなくなったわけでもない。主人公たちとは同じ道を歩めないだけの人物だ。敵にはならない。後で帰ってくることもない。
そりゃそうだよね。「正しいからこの道を進もう」っていわれてもみんながついていくわけじゃない。でもそれを悪とはしない。「そういう奴もいるよね」それで終わり。現実では起こりやすいことだけど、このとおり対応するのは難しい。敵って思っちゃうよね。
なんにせよ、この映画は『超人』的な存在が愛を形作っていくから、そこに僕たち、『人』の世界での区別は一切ない。そこが良かった。説教臭くないし、自然に思える。だって人じゃないし。

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LOVE is OK.

人類に失望しながらも、セナとギルガメッシュ、マッカリとドルイグはそれぞれが愛し合うことで愛の本質である「愛すること=信じること」に気付く、ファストスにいたっては人間と愛し合うことでより深く愛を理解したようにも思う。
そして劇中にもあった。「愛するものを守ることは最も自然な事」と言うセリフはギルガメッシュからセナだけへの事じゃなくて、人類に対しても向けられる。「人は殺しもするが、笑いもする」だったらその笑いあってる人類を信じて守ろうじゃないか。
その信じる事は地球内にいるセレスティアルズにも通じる。結局、この映画内戦いでは愛が勝つ。イカルスもセレスティアルズも、力によって屈服させたわけじゃなく。愛によって協力し、自らの死を選んだ。
30年くらい前の日本の曲にこんな歌詞がある。
「信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」
勝っちゃったよ。

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