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デスゲームはただの思考実験になりがち

たまにデスゲーム系の映画を見る。有名どころで言えば、『カイジ』のようなもので急に前触れもなく、デメリットの大きい危険なゲームに参加してしまう。お金のためとか、人生一発逆転とかそこを繋ぐ描写はあるものの、基本的に「なくてもよいもの」だと感じてしまう。

『サークル』『Cube』『platform』などいくらかデスゲーム系の映画は見てきたが、その中に背景をしっかりと描くようなものはなかった。それは今回見た映画『OLD』でも同様だ。

「デスゲームは極限状態での心理状態を描くもの」であって、ストーリーを作りこむ必要はない。誰もそれを望んでいない、というのは僕も理解しているし、確かに不要だと思っている。デスゲーム系はそれでおもしろいのだけれど、見ていて「思考実験」感がをいつも強く感じてしまい、監督・脚本の「とりあえずやってみました」「お金たくさんかけて映画化してみました」感を感じてしまう。

独特の「お遊び感」をなくしてその必要性が描写されれば、ストーリーにリアリティがでてきて、本物の気味悪さに進化するのではないだろうか。
この方がおもしろくない?(完全に個人的主観)


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映画『OLD』について少し書いておくと、監督は『シックスセンス』のM・ナイト・シャマラン監督で、「年を取るのが早くなる空間」に居合わせた人間たちのおはなし。スプラッター描写や怖い表現は特になく、かといって気味悪い表現も少ないように思う。これも相まって、これまで見てきたデスゲーム系よりもより思考実験的な表現が多いように感じた。

思い出しながら思ったが、こういう類の映画は陰謀論的なオチになるような気がする。つまり飛躍したような、現実味がないような結論ということ。設定が奇抜であるほどオチをきれいに描くのは難しいのだろう。

まあ、ただ自分に映画を深ぼって理解する知性が足りていないというのも十分ある。ただこういった示唆を与えてくれることも含めて映画が好きなので、今後も見ていこうと思う。

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