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一次元に生きる人たち

僕たちが生きている次元は三次元。横方向、奥行方向、高さ方向の軸がある立体的な空間に、僕たちは生きている。
二次元は平面空間。例えば、高さがないような世界。
一次元は一方向しか動けないような空間。

社会人として働いていると「一次元で生きている人」に遭遇することがある。その人はたしかにこの世界に存在していて、3次元の物理法則に従っている。しかし、その観念には空間的な広がりがなく、四肢をもがれたような複雑性のない形状を描いている。

極端な二元論。
そういう人に当てはまることがある。それは「人間を環境に合わせこむのが当然」という考え方を持っていること。形が異なる部品を強引にそこにあてこむように、過酷な環境に人間を送り込む。
おそらくこの手法では「兵隊のような人間」しか作られない。インターネットの普及とAI、機械化によって無駄な工数が徹底的に省かれる現代。兵隊は工数を稼ぐただの「穴埋め人材」であり、現代において価値はほぼない。
逆に言えば「兵隊」を育成するためには有効であり、この手法の是非は目的による。

加えて、極端な成果主義である。「見かけの成果主義」という言葉の方が適切かもしれない。
成果が出るかどうかは「個人の頑張りよりも環境要因が大きい」。easyモードでやればクリアは簡単だし、ルナティックなら自分だけではどうにもならないことが多い。献身により成果を1.2-1,5倍くらいにはできるかもしれないが、寄与率は小さいのでは、と思う。外的要因を排除した、「実質的成果」を見ない限り、短期的視点での評価に終始してしまい、未来の成果に繋がる価値ある行動を潰してしまいかねない。
このような「プロセス軽視」は組織の雰囲気を壊し、そして「好みによる主観的な評価」というさらなる悪習慣へと繋がる、と思う

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このような手法でマネジメントしている人はまだ多い、と感じる。いわゆる「おじさんマネジメント層」に当てはまる率が高い。この手法のメリデメを理解している人もいるだろうが、ほとんどが適切な人事評価をできていると思い込んで、極端な二元論で判断していることに気が付いていない気がする。

ただし改めて書くが、この手法は「兵隊育成」には合理的である。したがって、その是非は時と場合による。





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