錬金術師と千里眼(ブルズアイ)の亡霊:14

「随分キツいことを言ったみたいね、錬金術師」
 無数の配線に繋がれた椅子で、狐はクスクスと笑いながら後方の来訪者に語り掛ける。壁に寄りかかって腕を組んでいた錬金術師は、チッと舌打ちをしてぶっきらぼうに答えを返した。
「甘ったれたこと抜かしてるから、喝を入れてやっただけだ。まあ、俺が言うことでもねえんだろうがな」
「いいんじゃない?私も別に否定はしないわ」
 狐の耳ざとさにはもうとやかく突っ込む気にもなれなかった。射魅から直接聞いたのかどこかでやり取りの様子を把握していたのか、とにかく錬金術師が彼女に言い放った言葉は狐にとっても納得がいくものではあって。辛うじて自由に動く首だけでうんうんと頷いて肯定の意を示す。
「あんまり本人の前で言いたくないけど、ちょっと覚悟が甘いというか……あれで本当に仇討ちが果たせるのかって疑問に思ったりもするのよね」
「ああ、絶対言わねえほうがいいなそれ」
 今、射魅は狐が用意したセーフハウスで身を休めている。義手の作り直しにさらに義眼が必要だということが分かり、当面はますます彼女に表立った動きは出来ないことが確実になった。よりによってその義眼を『千里眼の亡霊』――童銘が所有しているのだから、射魅がそれを探して下手な行動に出れば彼女の存在に気付かれ、警戒を強められてしまうだろう。そうして仇討ちの機会を自ら手放すような真似は許されなかった。
「まあいい薬にはなるんじゃないかしら。これで頭も冷えれば、まともなやり方の一つでも自分で考えつくかもしれないし」
「そう期待したいところだがね。俺も面倒ごとが増えるのはごめんだ」
「あら。面倒ごとは趣味なんじゃないの?」
「椅子ごとブッ飛ばすぞテメェ」
 軽口を叩きながらも、狐の目の前のモニターの動きは忙しない。街のあらゆる情報をリアルタイムで捕捉する彼女の情報網の基点。その中で興味を示すようなもの、あるいは役に立ちそうなものを狐は視線でピックアップして自らの武器、あるいは商売道具として用いている。今回で言えば、その童銘の行方に繋がりそうなヒントを探して。
「さて……それにしても、その仇の素性が割れたっていうのは大きな収穫ね」
「射魅からは聞いてなかったのか?」
「ええ。確証がなかったのか、それとも素性は隠したままで私たちを都合よく利用しようとしてたのか……まあそこまで色々考えて動くタイプではなさそうだけど」
「……割とあいつに容赦ねえな」
 遠慮なく射魅への皮肉を口にし続ける狐の言動に、わずかに錬金術師は引きつった笑みを浮かべる。対応としては餓鬼と同じくらいに冷たいものではないだろうか。この場に射魅がいたら顔を真っ赤にして激怒するだろうと容易に想像もつく。少しだけ彼女が哀れに思えた。あくまで、少しだけだが。
「ただ相当厄介な相手なのは間違いなさそうね。その童銘ってヤツ。全然面が割れないわ」
 珍しく、そう言って狐は糸のように細い目をさらに細くした。モニターには『千里眼』が存命だった頃に目撃された時の画像が次々に表示されているが、そのどこにも童銘らしき人物は見当たらない。基本的には彼が独りでいるところばかりだし、たまに射魅が一緒に写り込んでいることはある程度。それ以外の人影は見られない。
 元々現場に積極的に出向くのではなく、あくまで狙撃の下準備などといったバックアップを担当していたことを考えれば確かに目にする機会も極めて少ないだろうが、それにしてもやり口がどこまでも徹底していると感心すら憶える。
「街に最近入り込んだ連中の中で探せばいいんじゃねえか?」
「そんなの観光客とかも入れたら数が膨大だもの。効率が悪すぎるわ」
 情報収集に限って言えば大抵のことは難なくこなしてきた狐が、ここまでの弱音を吐いている。相手も情報を精査することが領分なのだとすれば、これはまさに情報戦の様相だ。その意味では狐としても戦いづらい手合いになるらしい。
「……なら、少し切り口を変えてみるか」
「切り口?」
 苦戦している狐の様子は見ていて胸がすく思いではあるが、そうは言ってもこのままダラダラと解決の糸口が見いだせないのは錬金術師にもいいことではない。義手と義眼を早く確保して自分自身の仕事を果たさなければならないのだから、童銘に繋がる手掛かりは何としても確保しておきたかった。
 その繋がりになるのは、おそらく今のところ一つしかない。
「やっこさんを直接探すのが無理だってんなら、依頼を出した人間を探せばいい」
 朱纏に明確に敵対の意を示し、『千里眼の亡霊』を雇った勢力。その情報が掴めれば童銘への連絡経路を絞り込むことも出来るはずだ。もっとも、敵対者を完膚なきまでに叩き潰す主義の朱纏にもその情報は伝えなくてはならないだろうが。
「そいつは恐らくこの街のことをよく分かってねえ。直接朱纏を狙うように指示を出すなんて、命知らずの馬鹿のやることだ。この街に長く暮らしてる人間ならまずそんな手段は選ばねえ」
「余所者がこの街で一旗挙げよう、って魂胆だと?」
「ま、そんなところだろうな。その筋の連中なら探すのはまだ簡単だろ」
 一般の人間と、マフィアなど裏世界に通じる人間とでは身に纏う空気感が大きく違う。その区別をつけることは誰にとってもそう難しいことではない。錬金術師が出したヒントに狐は大きく頷き、再び視線を忙しなく動かしてモニターに指示を出す。該当するであろう人物たちを絞り込むために。
「なるほどね。だとしたら、朱纏を今回狙ったのはここまで思惑がうまくハマってるから、調子に乗っちゃったってところかしら」
 動機としては実にありふれた、なおかつ賢明とも言えない三流の考え方だ。容易に想像がつくつまらなさに少しだけため息が混じったが、それでも狐は作業の手を休めない。そんな低次元な輩に手を焼かされていることは彼女のプライドが許さない。さっさと退場してもらわなければ溜飲が下がらない。
「調子に乗るとしっぺ返しは痛い。そういう相手を敵に回してるってことを、イマイチ分かってねえんだろうよ」
 物事を知らないというのは、時に哀れなものだ。無知故に自らの危機に気付くことが出来ず、命を失いかねない失策すら取ってしまう。この街の秩序のほとんどを牛耳っている朱纏に真っ向から敵対するとはそういうことなのだ。錬金術師もため息をついてよそ者たちの意思に侮蔑を示す。
「とびきり最期はぶざまなものになりそうね、となると……と、早速ビンゴよ」
 愉快そうに笑う狐の瞳が、ふと画面上のある画像を捉えて輝いた。錬金術師もその言葉に顔を上げ、フードの奥からその視線の先に目を凝らす。
 画像に写り込んでいるのは、すっかり見慣れたいかがわしい雰囲気の風俗街。その中でひときわ目立ち人の出入りが激しい名店『エマ』の玄関――朱纏が秘密裏に仕事を任せている緋芽がいるあの店だ。その玄関で彼女と揉めている人影に、錬金術師は覚えがあった。
「こいつ、確かこの前……」
 たまたま店の前を通りすがった時に見た、しつこく緋芽に言い寄っていたアロハシャツのチンピラ。その下卑た態度は一目だけでも随分と印象に残りやすかった。傍らで画面の端に無数の顔写真が高速でスクロールしていくが、いずれもそのチンピラとは人相が一致しない。
「この顔、少なくとも街の住人のリストにはないわ。知り合い?」
「たまたま見かけただけだよ。けど、なるほど確かにって感じではある」
 あの時、随分とこの男は羽振りがよさそうな態度を取っていた。調子に乗っているという意味ではこれ以上分かりやすい振舞いもないだろうというぐらいに。その理由が一連の狙撃事件にあって、成功のおこぼれに預かった喜びからだとすれば――きっとまたこの男は緋芽のところに顔を出すだろう。そしてこの間よりもさらに強固な態度に出て彼女を口説きにかかるに違いない。
 それを想像すると、何気に緋芽も可哀そうな立場にいるような気がした。彼女のためにも早く事態を収拾しなければ。
「こいつは恐らく下っ端だ。とすりゃ、そこから大元にはひとまず近づけそうだな」
 仇討ちに直接関連がある話ではないので、射魅には伝えなくてもいいだろう。もっと核心が近づいてからでも遅くはない。錬金術師は次の行き先が定まったと判断し、踵を返した。
 と――その時だった。懐の携帯端末が鳴り響いたのは。
「何だ?」
 おもむろに端末を取り出した錬金術師の顔色が、次の瞬間に不快そうに歪む。まさかという相手からの着信。そしてそれは、あまり深く関わりたくない相手の着信。出来れば仕事だけの付き合いで終わらせておきたかった人間の名前が、画面にはしっかりと映し出されていた。
「……チッ」
 無視しても後が面倒そうだと判断し、舌打ちをして錬金術師は着信のボタンを押す。とりあえず仕事の関係から連絡先として名前を登録してはいたが、頻繫に連絡をよこすタイプではないその相手からの話は――出来ればまともに取り合いたくはなかったが。
「何の用だよ。こっちは暇じゃねえぞ、荊良サンよ」
「ああ知ってるよ。でもどうしても大事な話があってなァ。ちょっとツラ貸してくれよ、錬金術師?」
 荊良のねちっこいその言い回しは、余計に錬金術師の不快感を煽るものだった。

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