錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):18

 与太が立てた推理はこうだった。
「その『犬笛』ってヤツの有効範囲がどのぐらいなのかは知らないけど、恐らく信号が届く距離はそう長くもないはずだ。ある程度近くにいなきゃマキナを暴走させることは出来ない。この仕事場の中でマキナが暴走したってことは、せいぜい隣1~2軒程度の距離圏内に犯人がいた可能性が高い」
「で、事前に近くの防犯カメラの位置が分かってたと?」
「カメラの死角に身を隠してそこで『犬笛』を作動させ、マキナを暴走させた結果がこの有様だ。ともかくそう考えれば犯人像はある程度絞れるだろ」
「カメラの配置とかの知識に詳しいプロか、あるいは――朱纏の組織の関係者か」
『エマ』との間で贔屓にされているメンテナンス技師ということは、必然的に店の営業母体である朱纏の組織とも繋がりは深い。そのサポートに組織が関わっていないことはまず考えにくいので、となれば容疑者もその中にいるかもしれないという結論に至るのはごく自然なことだ。
 ただ、その結論が示す展開を思うと与太は得意げなままの態度ではいられなかった。指を立てていた片手を広げるとその掌で顔を覆うようにしてため息をつく。
「……正直、後者の方は考えたくない。そう何度も朱纏と顔突き合わしたくないよ俺」
 あの朱纏のプレッシャーを想像しただけでも、十分すぎるほど寒気が止まらない。警察とマフィアのボスが同席する異様な光景はそれだけでも与太の緊張感を増大させる材料だし、ましてや相手は朱纏だ。笑顔で凄惨な拷問を躊躇わず行えるような底の知れない凶暴さを秘めた人間となんて日常的に会う気になれるはずもない。
「ご愁傷様だな。まあ愚痴に付き合うぐらいはしてやるよ」
 皮肉っぽく笑って、錬金術師がポンと慰めに与太の肩を叩く。その後方からにょきっと顔を出すと、緋芽が悪戯っぽく与太の耳に囁きかけた。
「ボスが怖いなら、うまく話つけたげてもいいんだけどな?」
「ぅおおおう!?あ、ああ……その、その時はよろしく……」
 前言撤回――苦手なのは朱纏だけでなく、とにかくアプローチに容赦がない緋芽もだった。
 飛び退きながら返答する与太のつれなさに緋芽はぷくっと頬を膨らませて抗議する。ともあれ、そうしてからかった時の反応が面白いからやめられないのも間違いなかったが。
 そんな2人のやり取りを横目で眺めながら、錬金術師の脳裏にはある疑問が過ぎっていた。その肝にあるのはもちろん朱纏の存在だ。どうにもこのところ――彼の組織の基盤を揺るがしかねないような事態が続き過ぎている気がする。
 あれだけ部下たちに恐怖と威厳を見せてきた朱纏の支配下にありながら、その組織のルールに反して自らの肉体を機械化して事件を起こした部下がいた。先日は彼の傘下に新たに加わろうとした余所者たちを狙撃させ、あわよくば朱纏本人の命も取ってしまおうと目論んでスナイパーを雇ったゴロツキの介入も許してしまった。その背後には朱纏を快く思っていない者も絡んでいたわけで。
 そこでもし本当に朱纏の組織の関係者が犯人だったとすれば、さすがにここまで事件が続いていることを偶然と片付けるのは無理がある。その背後には――もっと大きなスケールの『何か』があると考えるのが自然だ。そしてその存在をこれ以上見過ごせば、それこそ本当に街全体を巻き込んだ大きな事態になりかねない。
 だがその可能性が当たりでも外れでも、今回の一件の犯人は少なくともあの美歌ではないだろう。彼女には防犯カメラの配置に詳しそうな知識はないだろうし、もちろん朱纏の組織の関係者でないことも明白だ。もしそうならとっくに朱纏の耳に届いて相応の制裁を受けているはずなのだから。その点だけは悔しいが覚理の言葉通りだ。
「……どうしたのよ、急に黙って」
 錬金術師の表情を覗き込みながら、緋芽が怪訝な顔で問いかけてくる。その視線は与太に向けるものとは明らかに違う感情のもので。錬金術師は『フラスコ』を担ぐ手に力を込め直しながらぶっきらぼうに吐き捨てた。
「何でもねえよ。用が済んだんならさっさと行くぞ」
 ここであれこれと考え込んだところで何の意味もない。まずは目の前の厄介事を片付けることだけを優先すべきだ。そう思い直し錬金術師は出口へと足を向けた。
「もしもし――ああ覚理か。どうした?」
 その後方で、与太が電話に応答する声が聞こえる。どうやら現場に来なかった覚理は署に残って事件の情報を精査していたらしい。錬金術師と緋芽もおもむろにその声に振り向く。
「……何だって?」
 その目の前で、与太の表情にみるみるうちに困惑が広がっていく。ちらりと錬金術師に送ったその視線は――今口にした推理が裏付けられた自信と、とはいえ予想だにしなかった事態の驚きに満ちていた。
「美歌が暴走マキナに、殺された?」

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