マキナの街の錬金術師(アルケミスト):19

 とーーもの言わぬ残骸となったのは襲撃に出たマキナの方だった。
 次の瞬間にはマキナの腹部を何者かの片腕が貫いていて、一瞬で物言わぬ鉄くずにしてしまっていたのだ。
「……お前じゃないな、標的は」
 その腕の主、大路は何の感情もこもっていない冷たい口調でそう呟くと、うざったそうに腕を払ってマキナの骸を放り捨てた。やや遅れて翡芽が拳銃を手に合流し、マスターと歳蓮を庇うようにして大路に並び立つ。
「こいつらをどこかで操ってる誰かがいるみたいね。どうする、大路?」
 言いながら翡芽が発砲。しかしあくまでも彼女は生身の人間なので戦闘能力は高くない、迫ってくるマキナ達の足止めが精いっぱいだ。大路は片手を振ってこびりついたオイルを振り払いながら、翡芽に返答する。
「探し出すのは多分無理。守ることに集中したほうがいいよ」
「そう。で、行けるの?」
「こいつら多分リミッターを外されてる。相手するには出力がまだ足りない」
 芳しくない返答だ。大路の冷静な分析に大きくため息をつくと、翡芽は銃を下ろして観念したように声を発して――蝶の入れ墨の入った首筋を差し出すようにジャケットをはだけた。
「仕方ない……程々にしてよね」
「了解」
 すると大路は、その首筋に突然噛みついた。鋭く走った痛みに翡芽が一瞬だけ顔を歪めるが、すぐに大路の牙から流し込まれた麻酔薬で痛みがぼかされていき、ほんの少しだけ表情が上気していく。目の前で繰り広げられる驚くべき光景にマスターはぽかんと口を開いた。
「な、何をして……」
「大路はね……人間の血液を取り込んで、エネルギーに、変えるの」
 荒くなった呼吸交じりに、翡芽が返答する。どんどん血を奪われ、血色が悪くなっていく彼女の表情はしかしそれでも慣れているかのように平静を保っていた。
「あたしは、その補給係……だから、大路とセットでここに、いる」
 ある程度の量を確保したのか、大路は首筋から牙を抜いて乱暴に袖口で血を拭った。目の色が変わっている――先ほどまでの気だるそうな態度ではなく、彼の全身からははっきりとした殺気が発せられていた。
「翡芽。後は休んでていいよ」
 ズボンのポケットから取り出したくしゃくしゃのガーゼを翡芽に差し出す大路。しかし、その視線は目の前に近づいてくる敵たちに向けられている。明らかに襲撃用に改造を施されたそのマキナ達の目的は明白だろう。歳蓮以外の者を全員始末して彼女を連れ去る。そのためにここに集まったのだ。
 大路が背中を丸め、全身の力を漲らせる。取り込んだ血液を瞬時に発熱させ、自らの出力に変換――呼気が熱を帯びて白煙を上げる。戦闘の準備は整った。
「後は……俺が、やる」
 刹那のうちに大路の姿が消え、まずは目の前のマキナの1体の首が胴体から離れて宙を舞った。1体を仕留めた大路はあっという間に別のマキナの懐に飛び込み、振り上げた手刀でナイフを持った片腕を斬り飛ばし、落下してきたその腕を回し蹴りで別のマキナに蹴り飛ばす。握られた刃は呆気なくその額を貫通し、活動を停止したがくりとマキナが膝をついた。
 先ほどよりも明らかにスピードが上がっている――出力のレベルを上げた大路を目下の大きな障害と認めたのか、他の招待客たちを標的にしていたマキナの一部がそちらに注目の目を向けた。
「っ……」
 身の危険を感じ、歳蓮を庇うように抱きかかえるマスターの表情がさらに強張る。と、宥めるようにその肩に翡芽の掌が触れた。
「大丈夫……後は大路と、私に任せて」
「し、しかし君は!」
 翡芽の顔色はまだ悪いままだ。首筋に当てたガーゼにもうっすら血が滲んでいて、まだ回復しきっていないことを如実に物語っている。しかしそのガーゼを持つ手にはまだ拳銃が握られていた。休んでいいと言われていながらまだ彼女は――戦うつもりでいる。
「心配ない、見れば分かるでしょ……それに、大路は強いんだから」
 それでもそう気丈に微笑んで、翡芽は拳銃を持ち換えて片手で握りしめた。大路がもし撃ちもらすようならば自分が何とかするしかない。その覚悟だけは決まっている。ふうと大きく息をついて、大路の背中に翡芽は精一杯のエールを送った。
「とりあえず無茶しないでよ!アンタがやられちゃったら、終わりなんだからね!」
「了解」
 正反対に静かな大路の返答。しかし――能面のように無表情だったはずの大路の顔は、ニヒルな笑みを浮かべていた。
「さあ、来いよ。みんな壊してやるから」

 ――罠だとは分かっていたつもりだった。しかしあわよくばという気持ちもあった。この機を逃す手はないとも思った。
 銃撃が飛び交う戦場と化したホールから走り去りながら、彼は己のその判断を後悔していた。本来ならあの場に百足が事情も知らずに襲撃を仕掛けてくる格好になって、全てが奴の犯行という形でうやむやになっている間にひっそりと歳蓮をさらって手に入れる算段だったのだ。
 しかしどういうわけか百足は現れず、そのうえ朱纏たちが襲撃のタイミングも分かっていたかのように完璧な迎撃をして。挙げ句に秘蔵っ子として温存させていた『あの』大路まで駆り出していたとは。そんな話はさすがに読めていなかったし、『聞いて』もいなかった。これでは完全に計画が台無しだ。
 あの時――『アビス』の襲撃に乗じてその場で歳蓮を手に入れ損ねたからこそ、今回は絶対に失敗は許されないと考えていたのに。結果として店1軒が潰れたことで朱纏がどれほど怒っているかを考えれば、ここで少しでもしくじって自分が犯人だと分かってしまった時のリスクは計り知れない。だからこそ失敗はもう出来なかったのに。
 それでもこうなってしまった以上、あの場に長居するわけにはいかなかった。幸いにしてあの混乱の中だ、自分がいなくなったところでどうせ誰も気に留めることはない――

「……どこに行こうってんだよ、こんな時に」

 不意に目の前から聞こえてきた声に、彼は慌てて足を止めた。目の前に立つのは黒いフードをかぶった男。そのフードの奥で赤く瞳が光り、まっすぐに自分を見据えている。
「まさかボスの危機を見捨てて自分はケツまくろうってか。そりゃねえだろ、なあ?」
 近づいてくる。ゆっくりと。やがて月明かりに照らされたその影の正体は――無論、錬金術師だ。その口元にはどこまでも不敵な笑みが浮かんでいた。まるでこうなることを全て見越していたかのように。
 そして錬金術師は告げる。ようやく待ちかねていた、その『犯人』の正体を。
「それとも、あの場に長居したくねえ後ろめたい事情でもあったのか?受付の兄さんよ」
 見透かすような彼の言葉に――会合の受付を務めた男はサングラスの奥で眼を見開いたのだった。


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