錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):21

「いずれにしても、楼亜にこれ以上の迷惑をかける前にあの女はそのうち殺すつもりだったんだろうよ。たまたまそのタイミングを早めなきゃならなくなった、ってだけのことだ」
 設計図を基にして『犬笛』は順調に組みあがっていく。だがそのままでは意味がない。充琉が『犬笛』を使っていつでもマキナを暴走させられるのなら、その信号を無力化するための仕掛けも組み込む必要がある。設計図から得られたデータを元に、マキナを暴走させる信号と相殺し合う信号を解析。まだ作業は終わりではない。
「何で……何でそんなこと、するのよあいつが」
 錬金術師の推理は確かに理屈が通っていた。どうやって『狂犬病兵』のデータをサルベージしたのかは誰にも分からないだろうが、ここまでの事件の経緯とも辻褄は合う。だが緋芽には理解出来ない。そうせざるを得ないような動機が。だからこそ信じられない。
「そんな厄介な代物まで引っ張り出して、しかも店の仲間の弓魅まで怪我させて……あり得ないじゃない、充琉がそんな」
「弓魅がこれ以上頻繁に店に来たら、自分が関わってることがバレちまうのも時間の問題だ。あわよくば殺してでも店から遠ざけたかったんだ」
「バカ言わないでよ!何のためにそこまでのことを!」
 配慮のない非情な錬金術師の推理に、ますます緋芽の感情がかき乱されていく。しかし錬金術師は動じない。作業の手を止めないままに、淡々と推理を続ける。
「――楼亜を、この街から遠ざけるためだ」
「何、それ」
「あいつはお人好しの上に、言っても聞かねえ頑固者だ。この街で店を立ち上げること自体充琉はずっと反対してきたが、全くもって楼亜は説得に応じちゃくれなかった。なら、もう口だけじゃなく実力行使でいくしかねえ。物理的に店がやっていけねえようになれば、これ以上この街に居座ってもいられなくなる」
 元々、楼亜は他のホスト仲間との折り合いがつかなかったために自らが店を建てることを決めたという話だった。となれば同業者からは睨まれているわけで、下手に危害を加えられることがないように敢えて朱纏が管理するこの街を選んだのだろう。何か揉め事があれば朱纏の組織がそれを放置するはずがない。だから、楼亜はこの街で店を開き彼の庇護下に入ることを決めた。
 しかしマフィアのトップである朱纏と関わりを持つことは、もちろん常に危険と隣り合わせでもある。まともな商売をしている相手ならまだしも相手はマフィアなのだ――悪い話が転がり込んでくるリスクも当然なわけで、それを充琉が勧めるはずもない。朱纏の側近として秘密裏に仕事を任される緋芽の姿を、彼女は近くでずっと見てきたのだから。
「楼亜をこの街にいられなくすることが、楼亜を守ることになる。そいつがあの馬鹿女の目的で、全ての行動の根っこだ」
 錬金術師が語る目の前で、『犬笛』の輪郭がようやく整っていく。すぐにでも彼女を探して止めなくてはならない。これ以上街で殺戮が広がれば朱纏もいよいよ本格的に対処に動き出す。そうなれば――この街は殺戮を放置するよりも酷い血の海になるだろう。その前に楼亜がこの街を去ればいいが、それでもなお彼が自分の意志を貫くと決めた時充琉はどうするのか。その先の結末はもはや誰にも分からないし、そもそもそんな結末に辿り着くのを指を咥えて見ていられるはずもない。
「もう時間もねえから本題に移るぞ。とりあえず大路を動かせ」
「大路を?」
「忘れたわけじゃねえだろ。暴走マキナの中にはガード役もいるんだ、大路と同型のな。そいつを抑え込むのは俺でも骨が折れる」
 完成した『犬笛』のテストをしている余裕はもちろんない。ぶっつけ本番で作動させるとなれば、マキナの暴走を止めるのに失敗した時のことも考える必要がある。普通のマキナなら止めるのは難しくないが、戦闘能力を向上させたガード役のマキナが相手では話が別だ。ましてや人の血液を燃料代わりにしてさらに能力を底上げ出来る性質持ちで、それが暴走していると来た。人知れず無差別に何人が犠牲になったかは不明だが、その分強化が施されているとすれば――とんでもない『化け物』の出来上がりだ。
「信じる信じねえは、もう聞けねえぞ」
 錬金術師が目を開ける。目の前には推理と同時進行で製造を進めている『犬笛』。まだ中の仕掛けは不十分だが調整はこの場では済ませられない。それをひったくるように手に取ると、『フラスコ』に繋がった配線を半ば乱暴に取り外す。事態は一刻を争っている。
「悩んでる暇があるならとにかく動け。これ以上馬鹿な真似をあいつにさせるな」
 そこまで一方的に告げると、必要な荷物を揃えた錬金術師は空いた片手で携帯端末を掴んで通話終了のアイコンをタップした。緋芽の返答を待つ時間はない。早く彼女の行方を掴まなければ、取り返しのつかない事態はもう目の前だ。
 楼亜を守る――ただそれだけのためにこんなことをしようなど、そもそもまともな考えでないことは錬金術師にも分かっている。そんな結論に至った充琉の愚かさは誰にも弁護しようがないし、同情の余地もない。ただ一言言えるとすれば、本当に馬鹿な判断だったというだけ。それ以上の感想はもう出て来ない。
「……ったく、面倒くせえ性格してやがる!」
 ――だからこそ、そんな馬鹿をこれ以上のさばらせておくわけにはいかないのだ。

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