錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):13

「『クレッセント』のストーカーが犯人だって?」
 翌日。警察署に再びやって来た錬金術師の言葉に与太は眉根を寄せた。『狼男事件』とストーカー事件の結びつきが全く思いつかなかったからだ。疑いの眼差しを向ける与太を真っ向から睨み返して、錬金術師は忌々しげに吐き捨てる。
「マジでボケっとしてんじゃねえよ警察のくせに。犯人捜しはそっちの仕事だろ、未だに分かってねえのかよ」
「こっちだってお前に犯人捜しを頼んだ覚えなんかないんだよ、勝手なこと言うな!」
 ムキになる与太の態度はいつも通りのはずなのに、今は妙に気に障る。自分たちが危険な目に遭わされてもなお未だに真相に辿り着けていないのが腹立たしいのか、それとも面倒な仕事が増えたことへの苛立ちなのか、とにかく錬金術師もらしくないとは自分で思いながらも強い語気を抑えることは出来なくて。
「頼まれたってやらねえよ本当なら。とにかく早いところ身柄押さえろよ」
 一方的にそう言うと、すぐさま錬金術師は踵を返す。しかしその背中に待ったをかけたのは覚理の声だった。
「待ってください。彼女が容疑者という線は考えにくいです」
「あ?」
 覚理は相変わらずの冷静な表情で錬金術師をじっと見つめていて、その手には懐から取り出した警察手帳。あるページまで手帳をめくると躊躇いなく覚理はそれを錬金術師に手渡す。
「先日あなたが言っていた『狂犬病兵』とやらの話が本当なら、そのデータをサルベージ出来るのは相当な手練れのハッカーです。彼女にはそんな技術はありません」
 そこに書かれているのは、これまでの聞き込みで美歌について得てきた情報だ。ストーカー容疑で何度も彼女は警察に身柄を押さえられてきたし、そこで直接彼女自身から聞いた話もページの中に記されている。だがその中に、美歌がマキナや機械の知識に詳しいといった結論に至るような糸口はない。ざっと目を通すだけでその点は錬金術師にも理解出来る。しかしそれでも容疑者でないという判断の根拠は弱い。
「なら誰かが手を貸してんだろ。腕のいいハッカーを雇ったとか」
「ますますあり得ませんよ。彼女にそんな人間を雇う財力はない」
 錬金術師の反論に即座に返答して、覚理は手帳のページをトントンと指さす。書かれているのは彼女が起こした金銭トラブルのリスト。『クレッセント』に通い詰めるためにあちこちで借金を繰り返し、中にはそれを踏み倒そうとしたという記述まであった。男で破滅するタイプとしては典型的な女性ということだろう――いや、もうすでに破滅しているとさえ言えるが。
「これだけ借金を重ねている現状です、雇う金の都合をつけるのだって簡単じゃありませんよ」
「知り合いにツテがある可能性だって」
「だとしたらもうとっくに調べがついています。それに、ここまで男に狂って問題だらけの人間の面倒を未だに見てやれるお人好しがいるとでも?」
 錬金術師の仮定をことごとく真っ向から打ち返す覚理の勢いに、与太は先ほどまでの怒りも忘れたかのようにあんぐりと口を開けて黙るしかなかった。理論立ててこうまで責め立てられると、感情的に抗議されるよりもかえって恐ろしいもので。後輩ながらに覚理の頭の冴えに畏怖すら憶えさせられてしまう。
 それは錬金術師にとっても同じことで、もはやぐうの音も出ないと言った感じで手帳を持ったまま立ち尽くすばかり。見事に論破されて形なしになったその手から手帳を取り返すと、覚理は眼鏡を光らせながらあえて意地悪にとどめの一言を告げた。
「犯人捜しは仕事ではないんでしょう。なら、当てずっぽうで犯人を決めつけて僕らを惑わせないでくださいよ」
 自分の台詞を引用され、錬金術師は悔しげに彼を睨みつける。何より悔しいのは――反論が全く思い浮かばないことで。やっとのことで口に出来たのはせいぜい語彙のない陳腐な言葉だけだった。
「……テメェ」
「さて。となると皆さんの目の前でマキナが暴走させられたのはどういう理由なのかを考えないと。美歌さんが逃げる時間を稼いだのだとすれば、こうして彼女を犯人に仕立て上げるためのブラフだった可能性が一番有力ですが」
 錬金術師の視線を意にも介さず、覚理はマイペースに手帳を仕舞いながら推論を次々と口にしていく。性格が悪いのかそれとも人の感情を汲み取ることが不得手なだけなのか、いずれにしても彼も彼で曲者なのだ――今回ばかりは、与太も少しだけ錬金術師に同情して憐れみのような視線を向けた。
「……何見てんだよ」
「別に。まあ、何というかお互い苦労するなって思っただけ」
「うるせえ」
 生温い視線が余計に不愉快に感じられて、錬金術師が吐き捨てる。ともあれ覚理の言う通りだとすれば他に誰が犯人なのか。犯人捜しをする気はないが今回の『狂犬病兵』の一件を治めるにはそうするのが最も近道なのだから、考えないわけにもいかない。
 ともあれこれで話は振り出しだ。三者三様に頭を悩ませながらも、少なくとも厄介な状況であるという認識だけは、彼らの中で一致していた。

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