錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):24

 宙を舞った犬頭がガシャリと床に落ち、砕け散る。『クレッセント』店内、暴走状態と化したマキナたちと大路の戦闘は続いていた。
 後方から飛びかかってきたマキナを後ろ回し蹴りで吹き飛ばし、ソファーに思いきり叩きつける。頭から突っ込んだ衝撃で首のフレームがいかれたのかおかしな方向にマキナの首が傾いていたが、それでもそのマキナは何事もなかったように立ち上がり、ゆっくり大路に向き直る。
「まともじゃないって、こういうことか」
 静かに呟き、次いで迫ってきたマキナの胸板に拳を打ち込む。衝撃でのけぞりはするが、それでも数秒後には何事もなかったように上体を戻してまた近づいて来る。心臓部か人工知能を搭載した頭部が無事であれば、ボディの状態がどれだけ酷くてもお構いなしで活動出来るのが『狂犬病兵』というものらしい。そのことを学習したのか、大路は握っていた拳を緩く開いて構えを変えた。
 面の衝撃を加えてボディを圧壊するには相当の出力がいる。その出力のためにエネルギーを消費すると、補充のためには緋芽の血が必要だ。しかし店の外に出るわけにいかない以上そちらをあてにするわけにもいかない。となれば――点での攻撃に切り替えるほうが効率がいい。少ない出力で集中的に特定の部位を攻め破壊する。そしてその狙いは心臓部か頭部。しかし胴体を打ち抜くには的が広くて効率的ではない。となれば。
「グァアアアアッ!」
 首がおかしな方向に曲がったままのマキナが獰猛な叫びをあげて走り寄って来る。伸び切って露になった側のガードが甘い。狙うならそこだ。
「うるさい」
 開いた拳を手刀の形に変え、タイミングを合わせて振り抜く。呆気なく犬頭は胴体と泣き別れし、走りの勢いを殺せないまま大路とすれ違った胴体はそちらから迫っていた別のマキナと激突してもつれるように倒れ込んだ。
「よし、これなら」
 感覚を掴んだのか、大路はそのまま流れるように手近な別のマキナの懐に回り込んだ。そして犬頭の顎を下から掌底で思いきりかち上げて胴体から吹き飛ばす。その体が倒れ込むのを確認もせず、さらに近いところにいるマキナの頭部目掛けて飛び回し蹴り。とにかく頭部を潰すことだけに集中して戦えば無駄なエネルギーを使うことは少ないはずだ。しかし、そう判断したのがやや遅かったようだ。
「っ」
 着地の瞬間、人間でいう立ち眩みのような感覚に襲われて大路が片膝をつく。どうやらエネルギーの残量切れが近いらしい。いささかコツを見つけるまでに時間をかけすぎてしまったのだろうか。その隙を逃さずまた別のマキナが襲い掛かる。
「このっ!」
 とっさに振り抜いたフックが雑過ぎたのか、虚しく空を切る。まずい、カウンターの一撃が来る――

 と、その時突然店内のマキナが一斉に機能を停止した。襲い掛かろうとした姿勢から糸が切れたマリオネットのように全身の力を失うと、そのままその場に膝から崩れ落ちる。寸分のタイミングのズレもなく全くの同時だった。
「やれやれ。見切り発車だったが、今回は成功してくれたみたいだな」
 声とともに現れたのは、小さなスイッチ――『犬笛』を手にした錬金術師。充琉が持つそれとは逆位相の信号を発信してマキナの暴走を無力化する、先ほどギリギリまで製作に勤しんでいた逆転のアイテムがやっと完成したのだ。
「……いいタイミングだよ、錬金術師」
 安堵したように大路が構えを解き、壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。いい加減エネルギーも底をつき始めていて、平時の行動にも支障をきたしつつある。完全に動けなくなる前に間に合ってくれたのは本当に幸いなことだった。悠然と歩み寄り、錬金術師は颯爽と肩を貸してみせた。
「補給ナシでよく粘ったもんだ。ご苦労さん」
 周りを見渡すと、頭部を破壊されたマキナも数体転がっている。恐らくこちらは『犬笛』の信号を受け取る前に大路によって無力化されたものだろうが、変形した頭部を元に戻すことはどのみち出来ないのだからいっそ破壊してもらった方が手っ取り早い。それに倣っておく方が後々の労力は省けるだろう。
「さて、後始末といくか」
 ガラクタになった犬頭の『生首』を踏み砕きながら、錬金術師は背中に担いだ『フラスコ』にそっと手をかけた。

「……何?」
 後方で『クレッセント』店内の戦闘音が止まったことは当然充琉にも把握出来た。それが大路の敗北を意味する沈黙ではない、ということも。その静寂に気を取られた一瞬の隙を緋芽は逃さない。手にした拳銃の引き金を引き、充琉が握っていた銃をその手から弾き飛ばす。
「ッ!」
「今だ!確保ォオオオッ!!」
 刹那の内に与太の号令が飛び、後方に構えていた警官隊が一斉に充琉に掴みかかりその動きを封じる。その様子を見送りながら、ゆっくり銃を下ろした緋芽は安堵したように大きく息をついた。その瞬間、集中の糸が切れたからかふっと緋芽の意識が一瞬飛ぶ。バランスを崩したその体が後ろに傾いたところを――与太が思わず抱き留めていた。
「ぁっ」
 我に返り、緋芽が与太の顔を見上げる。バツが悪そうにそっぽを向いた彼の頬は一気に赤くなっていて。
「こ、これは違うからな?不可抗力だからな?」
 苦し紛れの言い訳が何だか微笑ましい。何だかんだ言いながらも見捨てられない与太の優しさが今は胸に深く沁みこむようで、緋芽は幸せそうに穏やかに微笑んで返すのだった。
「うん、知ってる」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?