錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):26

 そして、数日後。
 朱纏の事務所の応接間に通された楼亜は、向かい合って座る朱纏から深々と頭を下げられていた。理由はどうあれ、『クレッセント』を廃業に追い込む甚大な損害を出したのは充琉――朱纏の組織が管理する店の関係者だ。その責任の一端は自分にある。そう考えた朱纏は『クレッセント』再建のサポートを進んで名乗り出たのだ。
「改めて、ウチの人間が迷惑をかけてすまなかった」
「いいんです、朱纏さんは何も悪くない。俺があいつの言うことを聞かなかったのが悪かったんです、きっと」
 しかし、楼亜はそれを断った。『クレッセント』再建は諦めてこの街からも出ていくのだという。皮肉にもそれは、充琉が全ての事件を引き起こした動機に従う判断だった。
「……ここにいると、多分充琉のことを思い出しちまう。そんな気持ちでここには暮らせません。だからこれでいいんです」
 楼亜と会話する機会は少なかったが、それでも彼が頑固な人間であることは朱纏にも理解出来た。その彼が初めて充琉の意を汲んで譲歩しようとしている。その意志をもう一度変えさせるというのはきっと誰にも難しいことなのだろう。仕方ないと肩をすくめ、朱纏はそれ以上の制止を諦めた。
「そうかい。なら、後の始末だけはこっちでさせてもらうよ」
「始末?」
「ああ。君が店を畳むっていうんなら、アル君にメンテを任せてたあのマキナの扱いを考えなきゃ」
 懐から取り出した葉巻に火をつけ、朱纏はソファーを立つと隅の方で緊張した面持ちの弓魅に視線を向ける。
 彼女が錬金術師に依頼したのは、『クレッセント』に在籍していたが故に充琉の手で暴走状態にさせられたホスト役のマキナだ。一連の事件が落ち着いてからようやく本格的にメンテナンスが開始され、それが数時間前に完了したのだと彼女に連絡が入っていた。しかし『クレッセント』がもう存在しなくなるとなれば、楼亜にそれを返却しても使いどころがない。
「要らないならこっちで引き取らせてもらってもいいかな。リプログラミングすれば違う使い道も見つかるかもしれないし」
「それは……そうですね。その方がいいかもしれない」
 そこで再び自分が引き取ろうと名乗り出ない楼亜の態度に、朱纏はまたほんの少しだけ罪悪感を憶える。今回の一件はかなり彼にも堪えたのだろう。つまりその反応は、しばらくは新しい店を構えることもなくゆっくりと気持ちを休めたいという意志表示に他ならないわけで。そこまで誰かを追い込んでしまうというのは決して簡単に許されることではない。
「あの……それだったらあたしが買い取ってもいいですか?」
 と、おずおずと弓魅が手を上げて買い手に名乗り出る。彼女にとってはお気に入りのマキナだ。図々しい話だが手元に置いておけるなら是非ともそうしておきたい。彼女なりに空気を読んで大人しくしているつもりだったが、さすがにここは黙っていられなかった。
 ただし――その思慮の浅さが、とにかく弓魅の欠点だ。隣に立つ緋芽がポンとその肩を叩くと、どこまでも冷淡な声色で彼女に無情な宣告を告げる。
「そんなことしたら、アンタの半年分の稼ぎが全部吹っ飛ぶわよ」
「えぇっ!そ、そんなに高いの……?」
「てかそんな金があったらさっさと錬金術師に報酬払いなさいよ。利子バカにならないわよきっと」
 顔面蒼白で立ち尽くす弓魅を尻目に、緋芽は彼女の傍を離れると空いているデスクに腰かけて天井を仰いだ。
 今回は、色々とあり過ぎた。仕事仲間同士で銃を向け合ったし、そもそもその仕事関係のトラブルに端を発してしまった部分もある。大路たちマキナのメンテナンスを斡旋する先が一つなくなってしまって、そちらのことも考えなければならない。店は色々とてんやわんやの状態だし、きっとそのうち関係の連絡も来ることだろう。まだまだ後始末にやることも色々とあり過ぎるから、出来るだけ余計なことは考えずにいたい。
「にしても、アル君も仕事が終わったんなら直接顔出せばいいのに」
 と、煙を吐き出して朱纏が何ともなしに呟く。珍しいことに今回、錬金術師は仕事が終わったという報告を簡素な電話のみで済ませていた。面と向かってその挨拶をするのが彼のいつもの流儀で、技師としての礼儀を果たしたいという矜持の表れだというのに。
「それが、何でも調べたいことがあるって言ってて」
 その疑問に答えたのは弓魅だった。電話での連絡を受けた時に、併せて錬金術師が彼女に直接告げていたのだ。その声色はどこか険しさを残したままのようで、一仕事終えたという充足感は微塵も感じられなかった。
「調べたいこと?もう事件は終わったんじゃないのかい?」
「あたしもよく分からないんですけど……何かそんな安心した感じじゃなかったです」
 弓魅の返答は要旨を得ないものではあったが、それでも朱纏にはその不穏さが十分に理解出来た。『あの』錬金術師の勘が外れるということはほとんどない。彼が何かあると感じたら、実際そこには何かがあるのだ。そのおぼろげな不安感の正体が掴めず、朱纏はここにいない彼を思って煙と一緒に疑問をこぼすのだった。
「……アル君、一体どうしたんだよ?」

 その錬金術師がいたのは、警察署内の検死室だった。充琉を襲ったあのマキナの残骸を回収した警察の鑑定結果を待っていたのだ。
「鑑定、終わりました。これを」
 そこに紙束を差し出したのは覚理だ。与太にも同じものを手渡すと、眼鏡をくいと持ち上げて深呼吸を一つして結果を告げる。
「……予想がどうやら当たっていたみたいです。あのマキナは一度確かに機能を停止していました、そこから再稼働した形跡があります」
「やっぱりか」
 短く答えると、錬金術師はざっと斜め読みしていた鑑定結果の資料から目を離してため息をついた。それは彼が考えていた通りの結果だった。
 あの時、確かに錬金術師が作り上げた『犬笛』は正常に動作していた。だからこそ『クレッセント』店内で大路が戦闘していたマキナたちは一斉にその機能を停止し、『狂犬病兵』は全て無力化されたのだ。
 本来『犬笛』から発せられる信号に指向性はない。つまり『犬笛』から送られた信号の有効範囲内に『狂犬病兵』となったマキナがいれば無差別に作用する。特定のマキナだけが信号の対象外になるということは本来ない。
「それじゃあ、充琉ちゃんが死んだのはまさか……」
 与太の表情が曇る。この鑑定結果から導き出される答えは一つしかない。
 錬金術師と大路は『クレッセント』店内のマキナ全ての頭部を破壊して完全にその活動を停止させた。信号によって無力化されたマキナも含めてだ。つまり店の中に再稼働しうる可能性を持つマキナがいるはずはない。楼亜を襲い、充琉を結果的に殺すことになったあのマキナを再稼働させたのは――もう一つ別に作られていた『犬笛』。それを所持していた誰かがあの現場の近くにいたということだ。となれば再稼働させた理由も、それを実行したのが誰かというのも必然的に決まって来る。
「初めからあのマキナは、楼亜じゃなく充琉を殺すつもりで再稼働させられたんだ。あいつの口を封じるために」
 そこまで吐き捨てると、錬金術師は憎々しげに資料を片手で握り潰した。『真犯人』は見事に錬金術師を出し抜いてのけてしまったわけだ。『犬笛』の信号を無力化出来る方法をどうにか見つけることが出来た錬金術師の苦労を嘲笑うかのように。
 接触を持っていた充琉がいなくなればもう『真犯人』に辿り着くための道筋は完全に断たれることになる。行方知れずになっていたあのマキナの危険性ばかりに気を取られていて、そちらの可能性を考慮していなかった錬金術師たちの隙を見事に捉えた一手としか言いようがない。これはひどく悔しく、屈辱的な敗北だった。
「どこの誰だか知らねえが、やってくれたじゃねえかクソ野郎が」
 全く犯人像のヒントすらも与えない、完璧な一手。充琉の命を救えなかった後悔よりもその可能性を見抜けなかった屈辱の方が胸中で膨れ上がり、ふつふつと怒りが湧いて来る。銀髪の前髪の奥、錬金術師は未だ正体不明のその『真犯人』に向けて、これまでにないほど鋭い憎しみを視線に宿して低く呟いた。
「……この貸しは、いずれ何十倍にして返してやる」



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