錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):16

 一方、『エマ』の控室――事件の詳細よりも弓魅にとって重要だったのは、あくまでも錬金術師に依頼したマキナの修復の行方ではあって。仕事に復帰したはいいもののそのことを考えるととても気が気ではなかった。片手の携帯をじっと見据えたまま、今か今かと進展の連絡を待ち続けている。
「……ねえ弓魅。もうあの店行くのやめた方よくない?」
「何でよぉ?」
 同僚が後方から心配そうな口調で語り掛ける声にも、彼女の表情は全く変化がない。目当てがいないから行くのを今は控えているだけで、怪我をしようが来店する気持ちは微塵も衰えがないのだ。それが周りからするとかえって心配の種になってしまう。
「いや、だって最近あそこで色々事件あったし……アンタだってそれで痛い目見たでしょ?」
「それとこれとは関係ないの。今のあたしにはあそこが人生の全てなんだから」
「全てってアンタの人生どれだけ薄っぺらいのよ……」
「あたし自身が幸せなら問題ナシ。そのためにも錬金術師さんには頑張ってもらわないといけないのっ」
 仲間たちの忠告が彼女の意識に届くことはない。どんな事件があっても、世界が滅んだとしても『クレッセント』が残っているならどんなことをしてでもそこに行く。それほどの覚悟の前にはどんな言葉も何の意味もなさないのだ。
「錬金術師って言えばさ、充琉のマキナのメンテどうなってるんだろ」
 ――と、自然と湧いて来るもう一つの問題の話。すでにメンテナンスを依頼してからかなりの期間が経っているのに、未だに特に何の進展も見られない。おかげで充琉はまだ現場に復帰できないでいる。そのことは他の誰もが心配していた。
「長いよね、絶対」
「うん、長い。そんなに長くニートしてらんないよね」
「あたしも絶対無理だわ。充琉大丈夫かな……」
 独りの世界に完全に閉じこもり、周りの忠告を無視した弓魅はその会話に参加しない。とにかく錬金術師からの一刻も早い経過報告を待つばかりで、それ以外のことはどうでもよかった。だから知らないのだ、その充琉が『クレッセント』の一件に積極的に自ら介入していることも、そもそも店主である楼亜と縁が深い人間であることも。
 その時だった。遂に待ち焦がれた一報が入ったのは。
「来た来た!」
 携帯が振動し錬金術師を示す番号が表示されたのを確認して数秒後、弓魅の指はすぐさま画面をタップして端末を通話画面に移行させる。
「錬金術師さん、仕事どうなってます!?」
 食い気味に弾んだ声で第一声を放つ弓魅。それに対して、受話器の向こうの錬金術師の声は対称的という言葉すら似合わないほどに冷め切っていた。
「どうなってますどころじゃねえだろ……状況分かってんのかお前は」
「はい、分かってないし分かる気もありません!」
「大バカ野郎。仕事投げんぞテメェ」
「ぁ、そ、それは勘弁してください……」
 メンテナンスを投げ出されることだけは絶対にあってはならないことだ。錬金術師の脅し文句にようやくトーンダウンし、弓魅は背中を丸めて声を潜めた。周りの同僚たちの冷ややかな視線よりも今は錬金術師の一言の方が胸に刺さってしまう。
 受話器の向こうから聞こえるため息。そしてややおいて、錬金術師はようやく現状についてゆっくりと語り始めた。
「とりあえず、例のマキナのメンテナンスについては都合がついた。いいニュースとしてはそのぐらいだ」
「本当ですか!って……悪いニュースもあるんですか?」
「……マジでお前の依頼受けたのを後悔してるよ今」
 さらに深いため息交じりの錬金術師の声。依頼の件にまっしぐら過ぎて何も現状を顧みていない弓魅だからこそ、最初に警察署で彼女の話を聞いた時点から悪い予感がして引き受けないつもりでいたのに――予想通りの展開過ぎて頭が痛くなる。もっとも弓魅はそんな錬金術師の苦悩など気にするわけがないのだが。
「それで、その悪いニュースっていうのは……」
 いくら頭を悩ませたところで仕方がない。弓魅の配慮のない問いかけに思考を放棄した錬金術師はわざとらしくもう一つ大きなため息をついて、今目の前に広がっている光景をぐるりと見まわしながら口を開いた。
「先に片付けなきゃならねえ話がある。下手をすればそもそも『クレッセント』ごとなくなっちまうかもしれねえ話がな」

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