錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):22
日が、暮れかかっている。屋上から見下ろす『クレッセント』の店舗周辺にはまだ人影はない。そろそろ開店の準備のために楼亜がやって来る頃だろう――『やる』のはその前だ。
既に店内のマキナには全て仕掛けを済ませておいた。あの楼亜が他人を疑うことを知らないお人好しだったからこそ、造作もなくその下準備を完了させることが出来た。彼の性格を利用する形になってしまったのはさすがに申し訳ないと感じざるを得ない。
いや。思い返せばそれも今さらだろうか。これまでの犯行もこれからの出来事も全て、楼亜にとってはとんでもない迷惑なのは間違いないだろう。どうあってもこの街で生きていくことを強く決意した彼の意思を折るために取った選択肢なのだ。楼亜の心を打ちのめすために敢えてこうしているのだ。そんな些細なことに罪悪感を感じているわけにもいかなかった。
感傷に浸るのもこれが最後だ。ここで終わらせる。終わらせなければならない。朱纏はきっともう気付き始めている。本格的に彼が動き出せばどこまでもことは大きくなることだろう。自分がどうなるかなんてことはこの際どうでもよかったが、楼亜にこれ以上の干渉が及ぶ前にこの街を出てもらわなければ。だからこそもう――一刻の猶予もない。
ポケットの『犬笛』に手をかける。そろそろだ。最後の夜を始めなければ。
「充琉ッ!!」
その時、銃口と共に投げかけられる声。微かに震える手で銃を握る緋芽の視線の先には――あの特徴的な翼のタトゥをあしらった背中があった。
「……緋芽。やっぱり、来たんだな」
充琉は振り向かない。ポケットから取り出した『犬笛』を胸元で抱え込み、『クレッセント』を見下ろしたまま寂しげに笑っている。乱れた呼吸を整えながら、緋芽は声の限りに叫んだ。
「アンタ、何バカなことやってんのよ!店の仲間怪我させるわメンテ先潰すわ、どこまで迷惑かければ気が済むわけ!?」
「そこはもう少し、正義感っぽいこと言うタイミングじゃないのか」
「そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ!いいからさっさと『犬笛』を渡して!」
「それは出来ない。今日で全て、ケリをつける」
言って、躊躇いもなく慣れた手つきで充琉は『犬笛』のスイッチを押した。発信された信号は店内で休眠状態にあったマキナたちの人工知能に作用し、そのプログラムのあちこちで連鎖的に誤作動を誘発させる。暴走状態で起動するまでには数十秒もあれば十分だ。今回はこの前の――錬金術師のように起動プロセスが完了するまでの間に邪魔が入ることもないだろう。店内はほどなく凄惨な破壊の嵐になるはずだ。
「……本当に、アンタがやったの」
改めてその一連の動作を目の当たりにして、緋芽は逆に冷静さを取り戻し始めていた。錬金術師の言葉通り、この期に及んでは信じるかどうかなどどうでもいいことで。現実の光景として見てしまった以上はそれを受け入れるしかない。震えが止まった銃口の先では充琉がようやく、わずかに緋芽の方を振り向いていた。
「ここで私を撃っても、もう何の解決にもならない。店の中はそろそろ暴走したマキナで大変な状況になって、開店準備どころの騒ぎじゃなくなる。止めるならそっちが先だ」
眼下のビルから聞こえ始める破壊音が、どんどん複雑に重なり合っていくのが聞こえる。暴れ出した『元』ホストのマキナたちが店内の設備を破壊し始めているのだろう。豪華に飾られたシャンデリアも、広々としたソファも、ブランドものの酒が並ぶ冷蔵室も、全てがこれでただのゴミに変わり果てる。そうしてひとしきりの破壊の限りを尽くし終えたら、次に暴走したマキナたちはどこにその凶刃を向けるか。そんなことは考えるまでもない。
歯噛みしながらも、緋芽は静かに充琉に答えた。
「……分かってる。だから、そっちは任せてある」
そう告げる緋芽の言葉を合図にするかのように、店の前にどこからともなく現れる一つの人影。いや、人ではない。気だるそうに背中を丸めたそのマキナは、店内の様子を簡単にスキャンして大まかな状況を察知すると、緋芽の片耳に装着された通信機に呼びかけた。
「言われた通り、店の外には1体も出さない。店の中はムチャクチャになるけどいいよね?」
『もうとっくにムチャクチャでしょどうせ。いいからやって大路。ただしガス欠には気をつけて』
「了解」
緋芽との連絡を終えると、大路は正面玄関の扉を思い切り蹴破って店内に突入。蹴破られた扉が暴走状態だったマキナの1体に直撃し、扉と吹き飛ばされた先の壁でサンドイッチのように挟み込まれたボディが大きく損壊する。外敵の存在を察知したマキナたちの獣じみた視線を一身に浴びながら、大路は同じぐらい獰猛な笑みを浮かべて口を開いた。
「じゃあ――暴れるよ」
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