錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):3

 ――昔々、まだマキナが一般に普及し始めて間もなかった頃の話だ。
 ある戦争大好きな国のお偉いさんが、隣国を侵略するためにマキナを使った新兵器の開発プランを提案した。
 内容はこうだ。その辺にいるマキナを簡単な仕掛けで暴走させて、近くにいる人間たちを無差別に殺しまくる殺戮兵器に変える。その仕掛けはピアスやネックレスみたいなごく小さなサイズのものに偽装してあるが、一度スイッチが入ると中身の液体金属が変形してマキナの頭をすっぽり覆い、あっという間に中枢回路に接続して暴走を引き起こすウィルスを流し込むってな具合でな。
 ロクな技術テストもせず、とにかく早く隣国をものにしたいと考えたバカなトップの判断ですぐにそいつは実行に移された。露店に偽装した兵士たちがマキナ用のアクセサリーだと偽ってそいつを客に買わせ、まんまと罠に嵌ったことも知らずに自分が可愛がっていたマキナにそいつを付けさせる。やがてスイッチが発動すると、同時にあちこちでマキナが暴走してあっという間に地獄絵図は出来上がった。
 とまあ、ここまでは確かに計算通りだったが、問題はそれに便乗して攻め込んだ兵士たちもその暴走マキナにとっては区別なく『獲物』と見なされたことだった。そりゃそうだ、暴走してるマキナに敵味方の区別なんかつくはずもねえ。目につく人間は全員殺すようにセットされちまったんだからな。
 結果的に自軍にも大損失が出て、計画は頓挫。そんな恥晒しを世界に広めてたまるかってことで、お偉いさんは計画に関わった人間たちを身勝手にも全員秘密裏に始末し、製造レシピも記録ごと完全に抹消された。
 その名前が『狂犬病兵(レイビーズ・アーミー)』――一度発動すると周りの人間が全員死ぬか、そのマキナが破壊されるまで止まらねえ、タチの悪い病気ってわけだ。

 錬金術師が語ったおぞましいエピソードに、与太と覚理の表情が凍りつく。つまり、相当な危険性の兵器がこうして目の前にあるという衝撃。そして同時に今回3件目にして死人が出なかったことがどれだけ幸運だったかということも想像に難くない。
 と、与太がそこでハッとなって錬金術師に目を向ける。今の話の中には一つ大きな矛盾があった。本来、情報は全て消されている話だったはず。
「待てよ。記録ごと抹消されたっていうんなら、何でその話をお前が知ってるんだ?」
「ああ、記録はねえよ。これは単なる噂話、マキナに関わる技師の一部で都市伝説みたいに面白半分で語り継がれて来た、事実かどうかも分かりっこねえ他愛もないエピソードだったのさ――今この瞬間まではな」
 錬金術師はそう言って、コンコンと獣の形に変形したヘッドギアを軽くノックする。手つきは随分と馴れ馴れしかったが、錬金術師の表情は全く笑っていない。いつものふてぶてしさも鳴りを潜めるような、緊迫した状況だということをその様子が雄弁に物語っている。
「そんな厄ネタが、噂でもなく事実として今ここにある。それがどういうことなのか……分かるよな」
 完全に闇に葬られたはずの、禁断の殺人兵器。それによる事件が立て続けにこれで3件。もちろんこれで終わるはずがない。もしこれが単なる前哨だったと考えれば当然この先に待つのは――想像が確信に変わり、覚理が強張った表情で口を開いた。
「……すぐに対策本部を設置しないと。このままじゃ街が大変なことに」
「落ち着け覚理、そんなことしたら朱纏だって黙っちゃいないだろ」
 意外にもそれを止めたのは与太だった。思わぬ彼の反応に錬金術師が目を丸くする。
「そんなこと言ってる場合ですか。放置してたらどうなるか先輩だって分かるでしょう」
「これ以上殺気立ててどうするんだよ。俺たちの手に負えなくなるだろ!」
 この街は、巨大マフィア組織のトップに立つ朱纏という青年によって統治されている。情けない話ではあったが朱纏の影響力はこの街では警察以上に大きなもので、警察内部でも彼らの組織と癒着している人間がいるという噂もまことしやかに囁かれていた。ともあれ朱纏たちは表立って何か治安を乱すようなことをしているのではなく、あくまでも自警集団のような振舞いで街を彼らなりに守ろうと、治安を保つ側としてのスタンスを示しているのだが。
 そんな状況下で警察が大きな動きを見せれば、朱纏がどんな行動に出るか予測がつかない。むしろ警察が積極的に介入するよりも大規模な騒ぎになるかもしれないと考えれば、そちらの方が『大変なこと』だった。
 与太の意図を察し、それ以上の言葉を吞み込んだ覚理が視線を外して歯噛みする。これ以上の抗議がないことを確認すると、改めて与太は錬金術師をまっすぐに見つめ返す。
「……実のところ、お前に用があるのは俺たち警察だけじゃないんだよ」
「何だって?」
「今の話を聞いて余計に頼むのはどうかと思ったんだが……正直、こっちも手を焼いてる話で」
 そう言うと覚理に顎で合図を送り、報告書を再び自分の手元に引き寄せる与太。その指先は表紙の次のページ、最新の3件目の記事に載っている被害者の顔写真を示した。現在まさに事情聴取が進行中である彼女――弓魅の写真を。
「今回の被害者は弓魅ちゃん。緋芽ちゃんの店の仕事仲間なんだが、その……この暴走マキナ、彼女のお気に入りのホストらしくて」
「おい。マキナがホストって何だそりゃ」
「いいから聞けって。彼女……このマキナを修復して欲しいって、お前をご指名なんだよ」
 ツッコミを遮って与太が口にした内容に、思わず錬金術師はぽかんと口を開けた。殺戮兵器に変えられて暴走、挙句に機能停止させられたマキナを修復せよというあまりにも素っ頓狂な依頼。そんな話をよりにもよってマキナに襲われた張本人が持ってきたのだから。しかもその兵器は曰くつきの『狂犬病兵』。確かな情報が全て闇に葬り去られた、忌まわしい技術の産物。
「……正気かよ、それ」
 やっとのことで口に出来た言葉は、あまりにも陳腐過ぎて笑えない台詞だった。

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