錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):9

「放して、放しなさいよこのポンコツ!邪魔なのよ!」
 2人が向かったのは店の玄関先だった。SP役のマキナが数体集まって相対しているのはボサボサの長い黒髪の女性。どうやら強引に中に入ろうとして揉み合っているらしい。いたずらに人間を傷つけることが出来ないというマキナの原則から荒っぽい真似はしていないが、それ故に追い払う決め手もなく苦慮している様子が伺える。
「やめろ美歌!いい加減にしろって!」
 たまらず声を荒げる楼亜。すると美歌と呼ばれた女性はその声に興奮したように余計に激しく動き出し、何とかしてマキナたちの合間をすり抜けようともがき始める。
「楼亜、来てくれたのね!待ってて、今行くからッ!」
 どう考えても歓迎している様子はないのに、美歌の声色はとても明るい。すると本気を出せないマキナ達を無理やり押しのけて、ラグビーのトライでも決めるかのように彼女がこちらに向けて突っ込んで来る。
 しかし、そこで動いたのは充琉だった。あっという間に彼女の片腕を掴むと思いきりひねり上げながら地面に押し倒す。どこまでも冷淡な表情で。
「あぐっ!」
「……聞こえなかったのか、楼亜はいい加減にしろと言ったんだ」
 護身術の類なのか、充琉の動きにはまるで無駄がなかった。美歌は完全に関節を極められていて拘束を脱出できず、コンクリートの上に顔を押し付けられながら憎々しげに叫ぶ。
「このっ……は、放しなさいよクソ女ァ!」
 遅れて合流して来た錬金術師も状況を目撃し、すぐさま大方のことが理解出来たのか呆れたようにそんな彼女を眺めている。明らかに正気とは思えない目の色だった。パンダのように真っ黒に染まった瞼はそういったメイクなのか、それともこびりついた隈なのか判別がつかないほどに色濃い。一目で見て面倒そうな手合いだと理解出来る。
「どういう間柄だ?」
「前の店からずっと俺を気に入ってくれてた常連だったんです。けど、最近は仕事終わりについて来たり他の指名客に嫌がらせしたり、どんどんトラブルを起こすようになって……」
「普通にストーカーじゃねえかそれ。警察に突き出せよ」
「何度か相談もしてますし注意もされてます。でも、一向に懲りないんです」
 見えない壁でも作っているかのように、楼亜は一定のところから美歌に近付こうとはせず彼女の様子を見つめている。そこまでトラブルが続いているのなら適当なところで見切りをつけて強硬な手段に出てもいいだろうに、そう出来ないのが彼の甘さなのだろう。横目で楼亜の表情を伺いながら錬金術師は気だるそうに肩を落とす。
「邪魔しないでよ!私と楼亜は運命で結ばれてるの!誰にも邪魔する資格なんかないのよ!」
 取り押さえられている割に、全く落ちない美歌の勢い。明らかに理性はどこかに失われてしまっている。直接こうしてストーカーという人種を目にするのは錬金術師も初めてのことだが、そういった相手がいないことに心底から安堵の息をつき、冷たく吐き捨てる。
「何が運命だよ、アホくせえ」
 と、その台詞が美歌を不要に刺激してしまったらしい。口撃の矛先は錬金術師にあっという間に切り替わる。
「ちょっと……何よアンタ。馬鹿にしてるのあたしたちの運命を!?」
 まるで首輪に繋がれてそれ以上動けない犬のようにやかましく吠えたてる美歌に、錬金術師は顔をしかめて目を逸らした。ああ、全く言わぬが花というやつだったのだろう。自らの失言を心から後悔させられてしまう。
「……どうやら、警察の前に1ヶ所寄り道を増やしたいみたいだな」
 そんな中、一人淡々とした表情を貫く充琉が腕に力を込める。ギリギリと片腕を極められた美歌の片腕が悲鳴を上げ、激痛と憎しみにいっそう表情が歪んでいく。
「あぁああっ!放せ、放せこのクソがァア!殺すぞォ!」
「寄り道がしたいなら連れて行ってやる、病院に。ただし二度と出られないようにしたうえでだが」
 充琉の態度には一分の容赦も見られない。たとえ楼亜が止めに入ってもそのまま彼女の片腕をこのまま折ってしまうだろう。緋芽以外にも荒事について心得のある人間がいることが錬金術師には少し驚きだったが、それが充琉であるということは普段の言動を考えるとどこか納得がいく部分もあった。
 そしてそんな彼女を止めるつもりは、もちろんさらさらない。楼亜にとっては不本意だろうがこのまま美歌にはいなくなってもらったほうが店のためにもなるだろう。ポケットに先程受け取ったUSBスティックがあることを念のために感触で確かめて、錬金術師はそのまま店を立ち去ろうと一歩を踏み出す。
「――ァ、アガ、ガ、ガガガ」
 しかしその時。先ほど押しのけられて倒れ込んでいたSPマキナの1体が突然ガクガクと痙攣を起こした。どう考えても普通の動きではないその異変に誰もが気を取られる。そして異変は次の瞬間にさらに起こった。突如その頭部にどこからともなく銀色のスライムのようなものがブワッと展開してまとわりつき、どんどんと変形していく。頭頂部には2つの小さな突起が現れ、顔面にあたる部分は前に突き出していき、それはまるで犬か狼のような猛獣を思わせるシルエットの――
「っ、まずい。お前らさっさと離れろ!」
 ハッと気づいた錬金術師がとっさに叫び、異変をきたしたマキナにタックルを仕掛ける。反応が間に合わずに吹っ飛んだマキナの上にそのまま跨ってマウントを取ると、その眼前で頭部を覆っていた銀色の液体金属は見覚えのある姿を形成しつつあった。警察署で見た、今回自分が修復の依頼を受けた『あれ』と同じ。
「クソッ!」
 考えている余裕はない。すぐさま体を離すと全体重を乗せてその胸板を片足で踏み抜く。呆気なく心臓部はグシャリと踏み潰され、変形した頭部の影響によって暴走しかかっていたマキナの活動はすんでのところで強制的に停止させられた。間違いない、これは『狂犬病兵』だ。誰にいつ仕掛けを施されたのか分からないが既にそちらに感染させられていたのだろう。
「チッ……いつの間にやりやがったんだ」
「くっ!」
 今度は舌打ちをした錬金術師の後方で、充琉が地面に倒れ込む音が聞こえる。そちらに目を向けると、片腕を押さえながら美歌がよろよろと立ち去っていく背中が見えた。どうやら今のマキナの異変に全員の意識が向けられた隙を突いて充琉の拘束を振りほどいたらしい。
「大丈夫か充琉!」
「私はいい。それよりあいつを!」
 すぐに楼亜が駆け寄り彼女の安否を確認するが、特に目立った外傷は見られない。慌てて駆け出そうと充琉が立ち上がるが、錬金術師は振り向かないままにそれを制止した。
「今は下手に動くな!次が来たらどうする!」
「っ……!」
 果たしてこの暴走が、今この1体だけで終わるとは限らない。『狂犬病兵』なのだから、兵が単独でそもそも行動するものではないのだ。近くに別の暴走マキナがいたとしたらまた楼亜や充琉が標的にされてもおかしくはないし、そうなった場合錬金術師が素手で彼らを守り切れるかどうかも怪しい。とにかく彼らを孤立させるわけにはいかなかった。
 この場に『フラスコ』を携行していなかったのは間違いだったかもしれないと、錬金術師は内心で自身の油断を恥じる。次が来ないならそれがベストだが、果たしてそううまくこの場が収まるものか。一瞬たりとも気は抜けない。
「……まさか、あいつか?」
 ふと、この場を立ち去って行った美歌の姿が過ぎる。もしや逃走の隙を作るために敢えてマキナを暴走させたのか。だとすれば暴走のタイミングはランダムではなくある程度任意で決められるということだ。どんな芸当でそれを可能にしているのかは知らないが、だとすれば放逐していてはこれからも楼亜や充琉が危険に晒される。今ここで『何か』が起こらなくても、しばらく今後も気が抜けない状況は続くわけだ。
「やってくれるじゃねえか、飼い主サンよ」
 そう毒づく錬金術師の目には、静かな怒りの火が点り始めていたのだった。

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