錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):5

 弓魅が勤めている風俗店『エマ』。その看板には人気店という以外にもう一つ重要な側面がある。この街に絶大な影響力を持つマフィア組織が直接運営に関わっているという点だ。そのトップである朱纏からの指令を受けて直接トラブルの対処にあたる精鋭がそこで働いているのも、そんな一面の表れでもある。
 もっともその精鋭である彼女――緋芽にしてみれば『エマ』での仕事は決して副業などではない。朱纏から送られてくる指令よりもそちらの方にやる気の比重は傾いているし、店の仲間たちとの他愛ない交流もかけがえのない時間である。要するに大切な居場所の一つなのだ。
 だからこそ今回、その仲間が傷つけられた一件については許し難いという気持ちが人一倍強かったし、たとえ朱纏からの指令がなくても個人的な感情だけで動くつもりは満々だった。朱纏の事務所に『彼』が来客するまでは。

「……全く、君ってヤツは随分と根が真面目なんだね」
 デスクに両足を投げ出し、葉巻を咥える朱纏の表情はとても人懐っこい。その視線の先には、応接用のソファで深々と頭を下げている長髪の青年。表情は見えなかったが緊張で強張っているだろうことは誰が見ても明らかだった。
「今回の一件は暴走したマキナのせいなんだろ。君がそう仕向けたわけじゃないんだ、わざわざ詫びを入れなくたっていいんだよ。ええと……楼亜(ロア)だっけ?」
「いえ、俺の監督不行き届きです。俺がしっかり管理していればこんなことにはならなかった」
 楼亜と呼ばれた青年は顔を上げると、未だ強張ったままの顔で低く呟く。今回の一件を失態と感じての罪悪感の方が割合としては大きいらしく、朱纏をまっすぐに見つめ返す視線には恐怖らしきものは微塵も宿っていなかった。
「この街のトップはあなたです、朱纏さん。あなたに通す義理を欠いたままじゃ俺はここで生きていけない。たとえ不慮の事故であろうと、迷惑をかけたのに知らん顔でこのまま過ごすのは筋が通りません」
「だから、そんなに気にしなくていいって。弓魅ちゃんも大きな怪我はなかったし、仕事にもそこまで穴があく心配もないんだ。むしろラッキーだと思ってるくらいだよ」
「でも、せめて治療費くらいは」
「いいって。そっちも大した額じゃない、十分保険が効く程度のもんだし」
 朱纏はそう言って、葉巻を咥えたまま小さく笑う。ふてぶてしい態度で喧嘩腰に来るでもなく、必要以上に怯えるでもなく真摯に謝罪の意を示す楼亜の姿はとても好感が持てるものではあった。だからこそカマをかけて脅すような台詞を告げる気にはならないし、むしろ素直に応援したいとさえ思わされる。微笑ましいものだった。
 背もたれに背中を預け、朱纏は後方に視線を送って渋い顔の緋芽に語り掛ける。
「そういうことで、彼のことは勘弁してやってくれよ緋芽。僕の顔を立てるってことでさ」
 はぁ、と緋芽はため息をついて諦めたように肩をすくめた。肯定の意だ。今すぐにでも一発殴ってやりたいところだったが、こうまで朱纏に彼を庇われると下手に手を出せばこちらの身が危うい。ここで危害を加えないようにトドメの一手を指されたようなものだった。
 しかし、今回の一件自体はこれで解決したわけではない。マキナが暴走して弓魅を襲った経緯に不可解な点が多すぎるのも事実である。だからこそ緋芽の憮然とした表情は消えない。
「……ボスがそう言うなら彼のことはいいけど、そのマキナの件はどうするんです?」
「ああ、それなんだよなぁ。どう考えてもまともじゃない。暴走してるんだからまともって言い方もおかしいだろうけどさ」
 突然獣のようなヘッドギアを装着し、その姿通りに獰猛に人間に襲い掛かる暴走状態のマキナ。それが単なるシステムエラーだと片づけられるわけがない。いかにマキナの構造に詳しくない人間であってもそのくらいのことは容易に理解出来る。朱纏も渋い顔で煙を吐く。
「何かの細工をされたってのは可能性として間違いないとして、それをやったのが誰なのか……何か恨みを買うような覚えは?」
「どうでしょう。俺に覚えがないとしても、思いつく可能性なんていくらでもあります」
 朱纏の質問に対して、楼亜は即座に返答する。
「女性絡みのトラブルか、ウチの営業妨害をしようと他所の店がちょっかいを出してきたか、マキナに接客させてること自体が面白くないのか、どれも十分アリだと思ってます」
「つくづく真面目だね。どれが当たりでも単なるいい迷惑だ、恨まれて当然ってわけでもないだろ」
 口にした可能性は、全て楼亜に非がある内容というわけではない。恨む方が筋違いというべき理不尽な動機ばかり。覚えがないのは当然だとしても、そんな可能性を自ら口に出来る楼亜はどうやらかなり俯瞰で事態を見られる広い視野の持ち主なのだろう。その慧眼に朱纏は素直に感心する。そしてその上で、自らの罪だとして受け止めている彼の生真面目さにも。

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