錬金術師と千里眼(ブルズアイ)の亡霊:15

 連日、客の入りが途絶えない『エマ』は今夜も忙しい。店自慢の看板娘たちが甘い香りを漂わせて男性客を見送り、また入れ違いにやって来た別の客を個室内へ迎え入れる。
 だが疲れがたまるのも当然のことではあって。休憩室で一息をついていた緋芽はぐったりと机に突っ伏したまま、大きくため息をついていた。
「は~~~~~~……」
「緋芽、最近大変そうだね色々と」
 仕事仲間が心配して、背後からペットボトルのミネラルウォーターを差し出す。突っ伏したままの状態でそれを受け取った緋芽は彼女の音域の中でも最も低い声で返答した。
「分かるよねぇ、そりゃ」
「そりゃそうでしょ。あの厄介客、もういい加減ブラックリスト入りだもん」
 話題にあがっているのは、このところ頻繁に緋芽を指名しにやって来るあのチンピラのことだ。羽振りよく店に金を落としてくれることはありがたかったが、だからといって営業に支障をきたすような真似を容認は出来ない。特にここ最近は決められた制限時間を無視したり、先日のように引き抜きのようなしつこい勧誘をして他の客との入れ替わりの邪魔になったりと、さすがに問題行動が増えてきている。
 どんな世界にもルールはあるものだ。そしてそのルールを守れない人間に居場所は与えられない。それを分かっていない部類の輩が初めてというわけではないが、今回はその中でもかなり悪質ではあった。
「そろそろさ、大路にマジで潰させに行ったら?受付に待機させるとかさ」
 ボディガード役のマキナはこの店の嬢たち全員に必ずあてがわれている。あの男のような厄介な客を追い払い、危害が及ばないようにするために。大路は緋芽専属なので当然相手をするのは彼の役目だ。実際先日も錬金術師が介入することがなければ彼が手を出していたはずだった。
 ぐび、と一口水を飲んで緋芽がため息をつく。そう、それでいい。それはよく分かっているのだが。
「それも考えてはいるけど……大路、あの性格だし」
 大路は基本的に、仕事以外の事柄にはとことん無気力だ。誰がそのようにプログラムしたのかはもう知る由もないが、ああしていつも気だるそうで愛想のない大路が受付にいると、自然と店の雰囲気が悪くなる。そんな予感がどうしても緋芽の中にはあって。何とも言い難いところはあった。
「大路が店に迷惑かけちゃったらさ、それもあたしのせいってことじゃない。ちょっとそれはなぁ……って」
「何言ってんのよ。あのクソ客のほうがよっぽど迷惑だってば」
「そうよそうよ。お客さんたちにはあたしらがうまいこと言っておけばいいんだしさ」
 憂鬱そうな緋芽の背中に温かい言葉を投げてくる仕事仲間たち。疲れ切った顔をしながらも、そんな彼女たちの対応が嬉しくて緋芽は笑みを浮かべた。こうして体を売る仕事をしているとどうにも世間から妙な偏見を抱かれることも少なくないが、それでもここを辞めたくないと思える理由はここにある。一緒に働く優しい仲間たち。この店は、間違いなく自分にとって大事な居場所なのだ。だからこそ――その居場所を汚されたくない。
「ありがと、みんな。でもホントどうしよっかなぁ……」
 大事な居場所を守りたいからこそ、出来れば店内での面倒ごとはこれ以上増えて欲しくない。なかなか名案が浮かばず、緋芽の表情がまた曇り出す。と、その時だった。
「緋芽ちゃ~ん、ちょっと電話出てもらっていい?」
 受付を担当していたボーイが、若干慌てた様子で休憩室にやって来る。緋芽はペットボトルの水をまた一口飲みながらそちらに目を向けた。
「どしたの?なんかまたあの馬鹿客の話?」
「違う違う、ボスから連絡なんだよ~。直接伝えたいことがあるって」
 ボス――その言葉に、緋芽の表情が一瞬だけ険しくなる。
 その呼称が示すのは即ちこの店の経営を担っている組織のトップ、朱纏に他ならないからだった。

「――じゃあそういうことでよろしく、後で僕も行くから。うん、そういうことで、はいはい~」
 色とりどりのネオンが光る街並みを事務所の窓から見下ろしながら、朱纏は片手の携帯端末を通して軽い口調でやり取りを済ませていた。
 通話の相手は、仕事の合間で休憩を取っていた緋芽だ。タイミングが良かったというべきか、来客もなかったようですぐに彼女は通話に応じてくれた。そして必要としていた情報をしっかりと共有してくれた。口元に笑みを浮かべて端末を懐にしまうと、朱纏は振り返っておもむろに口を開く。
「アル君が予想した通りだったよ。ここのところよく来てた厄介客、今夜予約入れてるらしい」
「だろうな、近いうちまた顔を出すだろうとは思ったよ」
 そこにあったのは、ソファーにふんぞり返って天井を見上げる錬金術師の姿だった。突然事務所にやって来たかと思いきや、緋芽の店に連絡するようにと提案してきて、その意図もあまり分かりきっていないまま言う通りにしてみたらこの通りの結果だ。朱纏も自分のデスクに戻ると、葉巻の箱に手を伸ばしつつため息交じりに切り出す。
「まさかそんな厄介な客が来てたとはね……店の警備は整えてたつもりだったけど」
「下手に荒事に出れば営業に支障が出る。お前の落ち度でもねえさ」
「フォローしてくれるんだ、優しいねアル君」
「大した話じゃねえよ。現場に出くわした人間として、耳に入れといたほうがいいと思っただけだ」
 いつもと変わらないような、距離感を探りつつも言葉の上だけは友好的なやり取り。しかし錬金術師はその内心でいつもとは違う緊張感を微かに抱いている。基本的に自分に対して気を許している朱纏の態度に、わずかながら自分を試すような――あるいは疑うような、不穏な気配が感じられたから。そしてその理由が自分にあることも、分かっていたから。
「……それにしても、本当なの?そいつが今回の狙撃事件に一枚噛んでるって話」
 葉巻を咥える朱纏の口元から先ほどまでの笑みが消え、どこか口調も鋭さを増す。錬金術師は姿勢を変えず、わずかな動揺も悟られないようにして返答した。
「ああ。そいつの一味が恐らく『千里眼の亡霊』に依頼を出したんだ。そんでお前の組織に喧嘩を売って来てると考えていい」
「僕のことをよく知らない余所者だって話ならまあそれは分かるさ。そういう予想もしてたし。でも」
 その情報自体は朱纏にとってはありがたいものではあった。先日直接命を狙って来た敵の尻尾を掴める機会なのだから、当然歓迎しないわけはない。だが重要なのはむしろ。
「どこでそんな情報を?」
 朱纏の視線に一瞬宿る、鋭い光。その不穏さを肌で感じつつも錬金術師は視線を合わさず、フードに隠れたその口元を少しだけ強張らせて応える。
「見たからだよ、そいつと連絡を取ってる現場を」
 しかし実際のところ、それは真っ赤な大嘘で。そんな嘘をつかなければならない背景を思い返すと、さすがに錬金術師でも平静ではいられなかった。
 何しろその理由は一つ――この件は、『あの』荊良が絡んでいた話だったのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?