錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):1

 ――三日月が、頭上で輝いている。
 その真下、街では今日も凶行が繰り広げられていた。

「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
 傷ついた片腕を押さえて、涙を浮かべながら路地に倒れ込む気弱そうな女性。涙と鼻水でせっかくの化粧もぐずぐずに崩れてしまっていたが、今の彼女にはそんなことはどうでもいい。その視界にはこちらを睨みながらジリジリとにじり寄って来る影がある。
「ガ、ハァ、ア、アア、アァアア」
 ところどころノイズが混じった、声とも機械音とも区別できない何かを響かせながら影は歩を進める。身に纏ったブランド物と思われるスーツはところどころが擦り切れてしまっていてその価値を損なっていたが、それよりも異様なのはその頭部だった。犬か狼の頭部を象ったようなヘッドギア。その眼孔からは時々火花のような光がこぼれ落ちている。そう、それは人間ではない。人を模して造られた『マキナ』だ。
「な、んでよぉ……何でこんなことになってるのよぉ……」
 女性が息も絶え絶えに、かすれた声を放つ。どうしてこんな目に遭ったのか分からない。いつも通りの帰り道を歩いていただけなのに、突然襲撃にあって、わけも分からないまま怪我をして、そして今にも自分はこうして――マキナに殺されようとしている。
「やだ、やだ、やだやだやだ」
 駄々をこねるように首を振る。しかし目の前の異様なマキナにはそのアクションの意図が伝わることはない。獲物を前にした野生の肉食獣のように、動きは止まらない。背中を丸めて体を弛ませ、そして一気にとどめを刺しにかかる。
「いやああああああああっ!!」
 と、次の瞬間その背中に無数の弾丸が撃ち込まれた。ただの弾丸ではなく高圧電流を帯びた対マキナ用の銃弾である。一瞬で全身の回路に流し込まれた電撃によってボディのあちこちがショートし、糸が切れたようにマキナはその場にガックリと崩れ落ちた。
「ガ、ガガ、ァガ」
 プログラム自体も完全に崩壊し、マキナの機能は程なくして完全停止する。それを確認すると、構えていた銃を下ろして2人の刑事が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!すぐに手当てをします、動かないでください」
 1人はすぐに女性のそばに腰を下ろし、コートのポケットに持っていたハンカチを包帯代わりにと取り出す。女性はそこでやっと自分が助かったのだということを理解すると、はっとなって刑事の顔を見て――安堵したように彼の胸に顔をうずめた。
「こ、怖かった……怖かったよぉ与太さぁん!」
「ぇえっ、ちょ、何で俺の名前を!?」
 唐突に名前を呼ばれ、与太は包帯を取り落としそうになった。暗がりであまり確認出来なかった女性の顔を改めて確認しようと覗き込むが、その視線は綺麗なマニキュアを塗った掌で強引に遮られる。
「っ今の顔見ないでください!た、大変なことになってるし!」
「いや顔よりも怪我のほうが大変だって!じゃなくて、何で俺のことを!」
「聞いてますもん緋芽から!私、仕事仲間だし!」
「あ、あぁ緋芽ちゃんの同業……なるほど、そういう……」
 疑問の答えはすぐに解決した。緋芽――やたらと積極的に、むしろ強引なくらいにアプローチしてくるあの風俗嬢の彼女。与太はどうにもその圧の強さが苦手だったのだが、彼女が自分に抱いている好意を思い起こせば容易に想像がつく。まるで惚気話のように店の仲間たちに自分のことを触れ回っているのだろう。元々そういった店に行く気はなかったが、これでますます界隈に近付きづらい理由が出来てしまった。
「早く手当てをお願いしますよ。油売っていられる状況じゃありませんから」
 後方から、そんな状況をたしなめる冷たい声が響く。急かされた与太は顔をしかめて声の主に精一杯の抗議をした。
「分かってるよ覚理!ってか俺が悪いのかこれ!」
「誰が悪いとかそういうのはどうでもいいでしょう。今はそれどころじゃない」
 同行していた刑事――覚理は機能を停止したマキナから視線を外さず、淡々と言葉を続けている。否、その表情には若干の苛立ちがあった。ひとまず犠牲者を出さずに済んだことは幸いだったが、それでもなお全くの無事とはいかなかったことに対して。そして同時に、このマキナの異様な外見が思い起こさせる事実に対して。
「――『また』これです。これで3件目ですよ、狼男事件」
 近頃街を騒がせている、通称『狼男事件』。狼の頭部のようなヘッドギアを装着したマキナが暴走し、人々を襲うというものだ。残念ながらそこで救えなかった人命もあった。
 問題なのは、未だにその事件を解決に導くための決定的な手掛かりが得られていないことだった。暴走状態のマキナのプログラムをまともに解析できるはずはなく、何が原因なのかを突き止めるのは困難を極めている。今のところはこうして事件が起こった時に現場に駆け付けるというぐらいしか満足に出来ることがなく、完全に後手に回ってしまってばかりだった。
「一体何だってんだよ……月夜の晩に狼男って、オカルト気取りかっての」
 手当てを進めながら、与太もため息交じりに毒づく。オカルトは警察の専門外だし、そもそも誰に頼ればいいかも分かったものではない。いやそもそもマキナが絡んでいるのだから、オカルトかSFか――物語にして考えても分類があべこべだ。ふざけた話ではあるが、洒落で済ませるにはあまりにも悪趣味な話であることは間違いない。
 するとやや間をおいて溜め息をつき、覚理が与太に歩み寄りながら口を開いた。
「仕方ない、彼に捜査協力をお願いしましょう」
「はぁ?冗談だろそれ。あいつに頼みごとなんて後が面倒過ぎる」
 覚理の考えが読めた与太はその提案に思わず手を止めて精一杯の抗議をした。冗談ではなかった。確かにこういう事態の時に何かしら有益な情報が得られる可能性はあっただろうが、苦手な相手に物を頼むなど感情的に無視出来る話ではない。
「そんなことを言っている場合じゃないでしょう。今は少しでも手掛かりが欲しい状況なんです」
 しかし、覚理は譲らない。自分たちだけでどうにかできない以上は余所の知恵を借りるしかない。マキナに精通した相手であればなおのこと最適だ。これ以上の事件を防ぐために、犯人を早急に確保するために、選択肢は他に思いつかなかった。
「彼なら、きっと謎の答えに近付いてくれるはずです――錬金術師(アルケミスト)なら」

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