錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):12

 遠巻きに『クレッセント』の玄関を見下ろしながら、ビルの屋上で充琉はため息をついていた。
店の灯りは消えておらず、客足も衰えが見られない。あんなことがあった後にもかかわらず楼亜は店の営業を続けると決め、心配する自分の忠告を無視していつも通りに振舞うことにしたのだ。本当に、頑固が過ぎる。つくづく安心の出来ない男だと思った。
「あの、バカ」
 消え入りそうな声で小さく呟く。自分がどんな思いで彼のトラブルに首を突っ込んでいるのか、果たして気付いてくれているのかどうか。気付いていてもなお態度を変えないつもりなのだとすればなおさら人が悪い。いい加減恨めしい気持ちすら湧いて来た。
「――充琉。何でアンタここに?」
 と、そこに後方からかかる声。振り向くとそこには蝶のタトゥを首筋に施した見知った顔がいて。何となく充琉は安堵の笑みを浮かべた。
「緋芽か。何だ、やっぱり君も動いてたんだな」
「当たり前でしょ、店の仲間が痛い目にあってるんだから。ボスにもお許しはもらったし」
 そう言いながら近づいて来る緋芽の表情は、しかしながらどこか険しい。充琉がこの一件に絡んでいることは全く知らなかったし、そうする事情についても思い当たる要素はない。そして――何よりも大きな理由はもう一つ。
「そっちはどうしてなのよ、店にも顔出さないで」
 充琉は、ここ数週間『エマ』に出勤していない。真面目な彼女の性格からすればそれがどれだけ異常なことかは誰にでも分かる話で。錬金術師が驚きを見せたのもある程度店の人間に顔が利くから、そういった勤務態度の話も知っていてのことである。怪訝な顔で問われた充琉は腕組みをして肩をすくめた。
「知ってるだろ。私のガード役のマキナが故障した話は」
『エマ』に在籍する女性キャスト達には、何かのトラブルが起こった場合に備えてボディガード役のマキナが1体ずつ割り当てられている。緋芽にとっては大路がそれだ。当然充琉にもそういうマキナはいたが、何やらトラブルがあって故障したというのだ。
「そんな状況じゃ仕事にならない。分かるだろう?」
「まあそれはそうだけど、危ない目に自分から首突っ込みに行ってどうすんのって話でしょ」
 現在そのマキナは修復に出されており、店に戻るまでは安全が保障できないということで充琉は欠勤を言い渡されている。それは彼女の身の安全を守るための対応だったのに、その期間に自ら事件に首を突っ込んでしまっては本末転倒だ。ましてや彼女は朱纏から密命を受けてトラブルの対処にあたるような立場の人間ではないのだから。
「この件は私に任せて、アンタは大人しくしてなさいよ」
 緋芽の視線は、心配しているようで厳しくもある。充琉も彼女の言わんとしていることは分かった。勝手な行動はするなということだ。仕事仲間としての忠告、あるいは組織のより中枢に近い人間からの命令。それに逆らうことは本来なら出来ない。
 だが、頭では分かっていても従うことは出来なくて。静かに充琉は首を横に振る。
「すまない……あいつを、私は放っておけない」
 楼亜の頑固さと、ずっと長いこと付き合って来た。この街で店を構えようと決めたことにどれだけ反対しても聞く耳は持たれなかったので、仕方なくその立ち上げの時には裏から金銭面での支援をしたこともあったし、何か困りごとがあれば相談に乗ってやりもした。昔からずっとそうして彼と向き合って来たやり方を、そう簡単には変えることなど出来ない。半ば諦めのような気持ちもあったが、それでも。
「楼亜は、私にとって大事な人間なんだ。頼む」
 充琉はそう言って、深々と緋芽に頭を下げた。同じ店の仕事仲間でも、少しでも朱纏に近い彼女の方が立場は上のようなもの。だとすればこうすることしか充琉には思い浮かばない。朱纏に黙って動いていたことを咎められて中途半端で引き下がるわけにはいかないから、どんなことをしてでも最後まで責任を果たすためにも――選択肢は他にない。
 緋芽はそんな充琉を静かに見下ろす。そしてやや間をおいて、ため息をつきながら。
「……分かった、ボスには黙っとく。一つ貸しだからね」
 充琉にとってそこまで大事な人間だというのであれば、とやかく口を挟む権利は誰にもない。仲間の意思を尊重すべきと今は判断しておこうと思った。そんな緋芽の返答に、顔を上げた充琉は不器用に微笑む。
「ありがとう、緋芽」
「いいよ別に。にしても……メンテ長引き過ぎじゃない?どんだけニートさせるんだって感じなんだけど」
 何だか照れ臭くなって、話題を変えようと緋芽は何の気なしに笑いながら軽口を叩いた。やむなく休みを店側から言い渡されているとはいえ、それがいつまでも続くようでは充琉自身の生活が立ち行かなくなる。それもそれで無視できない大問題だ。癪ではあるが、錬金術師にメンテナンスを依頼していたならもっと早く仕事を片付けてくれただろうに。
「技師もピンキリってことかな。こんなに手こずるとかマジないわよ」
「全くだ。今回は珍しく、ボスの人選ミスだったかもしれないな」
 朱纏がここにいないのをいいことに、そう言って2人は笑う。楼亜の店のトラブルに『狼男事件』とただでさえ問題は山積みなのだから、せめていつでも仕事に戻れるようにメンテナンスは早く終わって欲しい。そこに遅れが生じていることに直接朱纏が関知しているわけではないのに悪い気もしたが――そうやって笑い合うだけで、ほんの少しだけ今は心が軽くなったように思えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?