錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):8

 夜の闇が空を覆い始めると、繁華街は猥雑な喧噪で溢れ返る。出会いを求めて賑わう酒場、露出度の高い衣装で通行人に声をかける呼び込みの女性たち、その呼び込みに応じてそちらに歩みを向ける会社員の集まり。どこにでもある夜の街の風景だ。
 その一角に楼亜の経営するホストクラブはあった。店名は『クレッセント』。開店から間もないというのに既に店内は女性客で賑わっている。そしてそれぞれの席につくホストたちはインプットされたプログラム通りに笑顔で快活に彼女たちを迎え入れ、そして楽しませる――そう、彼らは人間ではなく全員マキナである。
 そんな店舗の奥に構えられた事務室から、錬金術師は賑やかな客室の様子を覗き見ていた。店が管理しているマキナの1体がああして暴走事件を起こしたというのに、これだけ客足が途絶えていないのは店自体の評判故か、それとも楼亜の真摯な態度から来る人望か。どちらにしても見ていて興味深い光景ではあった。
「お待たせしました。これで必要なデータは全て揃ったと思います」
 そんな錬金術師に、楼亜がUSBスティックを差し出す。その中には今回修復を依頼されたマキナの記憶などのデータバックアップと、修復に必要なパーツのリストが収められている。錬金術師はそれを受け取ると上着のポケットにそれを仕舞って静かに口を開いた。
「ああ、どうも。にしても景気がいいじゃねえか。あんなトラブルがあったってのに」
「正直言って一度店を休業にしようかとも思ったんですが、みんなウチのことを大事に思ってくれて……色々DMで励ましの言葉をもらいました。本当に恵まれてますよ、俺は」
 そう語る楼亜は笑みを浮かべてはいたものの、やはり後ろめたさがあるのか表情は優れない。無理もないことだ、暴走していたとはいえよりによって常連客に怪我をさせてしまったのだから。店を経営する者として黙っていられるはずがない。
 その後方から、壁に寄りかかっている充琉が厳しい表情で声をかける。
「……私は休んだ方がいいと思ってるぞ、楼亜」
 元々、充琉は愛想がいいタイプでないことは錬金術師も知っている。客商売をしている割には表情が硬く、口調も割と遠慮がない。およそ営業スマイルとは縁遠い人物ではあったが、その中でもこの一件に関して言えばより一層態度は厳しい。
「考えたくはないが次またあんなことがあったら、さすがに店の看板にも消えない傷がつく。この街でやっていくには致命的なダメージだ。そうなる前に振舞いを考えたほうがいい」
「それは……俺だって分かってる」
 ともあれ、彼女の発言はもっともだった。いくら励ましの言葉をくれた常連客が多かったとしても、それが全員でないことは楼亜自身も知っている。この一件に対して彼を糾弾、非難する声がなかったわけでもない。だからこそ休業という選択肢もあったのだ。
 だがこうして店を開けて、来店してくれる人々の楽しそうな表情を見ているとそうも言いきれない気持ちになるのも事実ではあって。
「でも、俺はあの人たちを裏切れないよ。ここを好きでいてくれるみんなのことを思うと、ガッカリさせるなんて出来ない」
「お人好しが過ぎるんだよ昔から。何度も言ってきたじゃないか」
「そこはもう諦めてくれよ充琉。俺はこういう人間なんだ」
 自嘲気味にそう返し、楼亜がまたどこか悲しそうに笑う。昔からこういうやり取りを何度もしてきたのだろう。錬金術師は横目で2人の様子を伺いながら小さく息をついた。あまりその間の事情に立ち入るべきではないだろうが、こういう痴話喧嘩は早めに切り上げないと聞いている側も気持ちのいいものではない。
「にしても、だ」
 まだ何か言いたげな充琉の言葉を遮るように錬金術師が口を開いた。その視線は俯き気味の楼亜に向けられている。盛況なのはいいことだが、この店自体に錬金術師はある違和感を憶えていたのだ。
「人間のホストがアンタ以外いねえってのは、随分と思い切った話だな」
 今接客をしているホストたちの中に、人間は1人もいない。楼亜自身も今の用件がなければ接客の中に参加するのだろうが、そもそも複数体のマキナの管理を彼だけで担うということ自体の仕事量が大き過ぎる。せめてもう2~3人はサポートするスタッフがついているほうが自然だし、それに。
「そもそも人のご機嫌を取って完璧に接客をこなすなんて、マキナには相当難しい芸当だろうに」
 マキナはあくまでも事前に定められたプログラムを元に稼働するが、人間の細かい感情の機微を察知するというのはいかに高度なプログラムでも困難なことだ。その時に応じて気分は変わるものだし、昨日は成功していたやり方が今日もうまくいくとは限らない。生身の人間とのコミュニケーションとはわけが違う。わざわざそんな方法論を選ぶこと自体が普通ではない。
 すると、楼亜は苦笑しながらその言葉に頷いて見せた。
「分かってます。でも、人間の方がもっと融通は利かないもんですよ」
「何?」
「この街に来てから、色々ホストクラブを転々として来たんです。でも……どの店のやり方にも俺は馴染めなくて。お客様には喜んでもらいたい、でもどうしても売上のことを考えるとそれだけじゃやっていけない。時には非情になることも必要で。頭じゃ分かってるんですけど、そう出来ない。ずっとそうして悩んでて」
「……」
「だったら、俺の理想が叶えられる場所を自分で作ればいい。人間に無理ならマキナを使えばいい。そう考えて、今まで稼いだ売上を全部はたいてこの店を作ったんです。マキナも全部自分で調達して、プログラムには俺が思う理想の接客のイロハを全て叩き込んで……」
 楼亜はどこか気恥ずかしそうに頬を掻いていたが、その瞳には一点の曇りもなかった。融通が利かない、というのは今まで務めてきた店のスタッフに向けてのものではなく――むしろ自嘲の意味合いだったらしい。これまでの楼亜の経緯を聞きながら、錬金術師は彼のとんでもない行動力と思い切りのよさに目を丸くした。いくら自分の思い通りに事が運ばないといっても、そこで妥協せずあくまでこだわりを押し通そうとする頑固さも相当なものと言えるだろう。
 充琉に視線を移すと、そんな動揺を察してか腕を組んだまま肩をすくめている。こんな頑固さも昔から変わっていないところらしく、彼女の表情には諦めの色が浮かんでいた。なるほど、充琉が何だかんだで目を離せない理由も頷ける。
「……とんだ頑固者だな、アンタ」
 やっとのことで思いついた台詞も棒読みだ。錬金術師の言葉にますます自嘲気味に笑う楼亜。
 と、その時だった。事務所の壁に備え付けられた電話機から緊急のベルが鳴る。楼亜は笑みを引っ込めてその受話器を手に取った。
「どうした――何、また来たのか?」
 人がよさそうな彼の表情に、初めて浮かぶ忌々しそうな嫌悪の感情。様子を察した充琉は組んでいた腕をほどくとすぐに歩き出し、受話器を戻した楼亜の後に続く。
 本当ならきっと自分の仕事にはそこまで関わりのない話だろうし、用件が済んだのでこのままさっさと立ち去っても問題はない。しかしそんな2人の様子に引っかかるものを感じ、錬金術師も興味本位でその後をついて行くことにしたのだった。

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