錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):14

 手掛かりを得られるどころかむしろかえって問題が大きくなってしまったことには、錬金術師もさすがに肩を落とすしかない。とぼとぼと警察署を後にする彼のフードの奥の表情はいっそう優れなかった。
 玄関の階段を降り、次の行動を思案する。犯人の行方から『犬笛』の詳細に辿り着くという線はもう諦めるしかないが、だとすれば切り口をどう変えるべきか。情報は一通り揃っているようで肝心なところがおぼろげだ。つくづく今回は面倒な一件としか言いようがない。
「……その様子じゃ、今回は随分苦労してるみたいね」
 と、そんな彼の後方から聞こえてきたのは緋芽の声だ。呼び止められて振り向いた錬金術師は、不機嫌さを隠そうともせず悪態をついて見せる。
「皮肉をわざわざ言いに来るほど暇ってわけかよ、お前」
「そんなわけないでしょ。アンタを見張ってりゃ何か掴めるんじゃないかってだけよ」
 緋芽にしてみても、ここまで錬金術師が収穫を得られず苦戦しているというのは決して喜ばしい事態ではない。朱纏のアドバイスを受けて出来る限り錬金術師の動きを見張って何かしらの情報を得ようとしてきたのに、空振りがここまで続いてしまっては苦労が水の泡だ。苛立っているのは彼女も同じだった。
「俺を見張るよりも、与太と中で喋ってた方がよっぽど暇潰しになるんじゃねえのか」
「うっさいわね。そんな話をしに来たんじゃないのよこっちは」
 与太への想いを知っているが故の錬金術師の嫌味を一蹴して、緋芽は頭を掻きながらため息をついた。こんな不毛な言い合いをしたところで何も事態は解決しない。そんなくだらないやり取りよりも重要な用事があるのだから。
「ちょっと聞きたいんだけど――もし、仮に」
「あ?」
「もし仮に大路のメンテをアンタに任せたとしたら、どのぐらいあれば終わる?」
 いきなり突拍子もないことを言われて、錬金術師はフードの奥で眉根を寄せる。何の脈絡があって今さら自分の仕事の腕を量るような質問を投げかけるのか、さっぱり緋芽の意図が読めない。
「それが今回の事件に何か関係あんのかよ」
「いいから答えて。早く」
 急き立てるような緋芽の態度。無用な言い争いをする気分でないのは錬金術師も同じなので、言う通りに頭の中で大路のメンテナンスのシミュレーションを組み立てていく。故障の状況がどの程度かによって多少の誤差は生じるだろうが、算段をつけるのはそう難しいことではない。
「まあどこがイカレたか次第ってところはあるが、長くて1週間もありゃ十分だろうな」
「そんなもんなの?」
「あのタイプのマキナの生産ラインを仕切ってるのは朱纏だ。てことはメンテナンスに必要なパーツの都合もあいつに任せりゃ問題ねえ。よっぽどひでえ損傷なら確保に日数はかかるが、パーツさえ手に入れば後のことは簡単だ。ま、俺でなくてもそのぐらいのことは普通にこなすだろうよ」
 錬金術師が普通の技師と違うのは、時には無事に稼働しているマキナや他の機械からパーツを加工してメンテナンスに使うこともあるという点だ。必要なパーツの確保が難しい時の手段をどうするか、そのやり口がまともではないのが『闇医者』のように評される所以である。
 しかし大路の場合は朱纏の組織の傘下で作られたモデルのマキナということで、その生産を取り仕切っている朱纏に話せば必要なパーツや設計図を容易に手に入れられるのが大きい。とすれば普通の技師にメンテナンスを任せる場合とやることはさして変わらないので、工程としてはシンプルなものだ。『エマ』に配備されているガード用のマキナはみな同じ生産ラインから作られているので、他でも期間は同じ程度だろう。
「……ふぅん、そう」
 錬金術師の返答を聞き、緋芽は何かを思案するように顎に手を当てる。緋芽がこの一件に絡む理由があるとすればもちろん店の仲間が関わっていることしかないだろうが、その質問の意図は何なのか――と、その時ふと彼の脳裏に充琉の存在が浮かんだ。
 そういえば、昨夜彼女は夜の時間になっても仕事には出ずに自分たちと一緒に『クレッセント』にいた。つまり仕事を休んでいるということだ。たまたまオフだっただけかもしれないが、もし逆にそうじゃなかったとすれば。休まざるを得ない理由が何かあったとすれば。
「何かあんのか、充琉のことで」
 図星を突かれて目を丸くする緋芽。その変化を肯定の意と受け取った錬金術師の口元にようやく不敵な笑みが戻る。内容はどうあれ推察が当たるというのはやはり気分がいいものだった。
 どうやら、黙っているわけにもいかないらしい。腹の探り合いを諦め、緋芽は肩を落としてぽつりぽつりと呟くように返答した。
「充琉のマキナ、動作不良を起こしてメンテ中なんだけどまだ店に戻ってないのよ。詳しい故障の中身は知らないけど、もう2~3週間は経ってる」
「何だそりゃ。どこのグズにメンテ任せてんだよ」
「こっちだって同感よ。でも特に何も連絡はなくて……よっぽど大がかりな仕事になったのかもとは思うけど」
 緋芽は決してマキナの知識に詳しいわけではない。それは充琉も同じことだ。その辺りは一般人とさして変わらないので、故障がどの程度のものかを想像出来るような知恵は持ち合わせていなかった。だからメンテナンスの期間が長引くことにもさして疑念を抱いているわけではない。ただ、仕事を任せる相手を選ぶべきだったと後悔しているだけのことではあって。
「癪だけどアンタに頼んどいたほうが早く済んでよかったかも、って昨夜言ってたのよ。いつまでもタダ働きしてるわけにもいかないしって」
 とりあえずメンテナンスさえ終わってくれれば、充琉が仕事に戻れる都合もつくので今のようにこの件にかかりっきりになる必要はない。ある程度の範囲までは任せてもらえればいいという覚悟はある。そんな気持ちからの些細な質問だったのだ――あくまで緋芽にとっては。
 ところが、錬金術師の呆れはむしろ別のところに対してだった。
「そうじゃねえ。俺がグズって言ってんのは、そこまで長引いてることを何で未だに連絡してねえんだって話だよ」
「え?」
「よく言う報連相ってヤツだ。報告・連絡・相談。前もってどのぐらいの期間で仕事が終わるかを伝える。予定が変わるならそのことを早い段階で報告しておく。何か途中でトラブルが起こってるならそのことを伝えて詫びを入れる。そういう連絡もナシにダラダラ仕事を長引かせるってのがまずあり得ねえ」
 それは技師に限らず、仕事をする上では当たり前のことだ。事細かい連絡、報告は鉄則と言っていい。もちろん錬金術師も、直接依頼人に会ったり電話連絡を入れるなどして途中途中の経過報告は出来る限り行うことにしている。今回の一件に関してはただマキナを修復すればいいというだけの話ではないので、その辺りがまとまり次第で弓魅に一報を入れるつもりではあった。
 そこで緋芽の話が本当なら、そういった連絡を取らずにメンテナンスを長引かせているのはもはや職務怠慢のレベルだ。そんなことを『あの』朱纏が黙認するはずがない。どこの技師かは知らないが高い代償を支払わされることは明白である。とすれば連絡を『しない』のではなく――『出来なくなった』と見るべきで。
「……誰に仕事を頼んだ?」
「誰、ってもちろんウチのお抱えだけど……」
「連絡は取ったのか?」
「ご贔屓さんだもん、あんまりせっつくとかえって悪いかなって……」
「バカ野郎。ご贔屓ならもっと真面目に心配してやるのが礼儀だろうが」
 そう吐き捨てて、錬金術師は懐の携帯端末で朱纏の連絡先を画面に表示させる。緋芽たちがその可能性に思い至らないのであれば自分が確かめるしかない。この推測がもし当たりだとすれば――危険が迫っているのはその充琉自身にだ。それはもう笑い事ではない。
 と、緋芽はその意図を察して慌てたように端末に手を伸ばした。まずい、それは違う意味でまずい。
「ちょ、待ちなさいよ錬金術師!充琉のことはボスに内緒にしてって約束が!」
「知るか。お前らの約束なんか俺には関係ねえ」
「はぁ!?」
 緋芽の制止を振り切り、錬金術師の指が通話ボタンをタップする。出来れば予感が当たって欲しくないことを願う彼の耳に、1コールが鳴り終わらないうちに朱纏の陽気な声が届いた。
「やっほーアル君。どうしたのさ急に?」

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