錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):7

「それにしても、誰から俺のことを?」
 事務所を出た楼亜は、後方の錬金術師にふと疑問を投げかけた。
「ウチには人間は俺だけです。マキナは店の中でスリープ状態だし、開店前で動けるのなんて他にはいないはず」
 店に向かったところで、楼亜が朱纏を訪ねていたことを話せるような者はその場にはいないはずで。錬金術師がここにやって来れた理由が全く思い浮かばない。
 するとその返答は、彼の前方から聞こえてきた。
「――私が教えたんだ」
 凛と響く女性の声。楼亜がそちらを向くと、ショートの黒髪を揺らしながら顔を上げた女性がしかめっ面で睨んで来る。とても見慣れた、険しさがぴったりと貼りついて離れないようなその顔。
「充琉(ミチル)、そうか……お前が」
「そうか、じゃないだろ。つくづく心配をかけさせる」
 腰に手を当て、充琉は大きなため息をついた。まるで迷子を迎えに来た保護者のようなその態度に錬金術師は皮肉な笑みを浮かべて、楼亜の肩をポンと叩いた。
「女を泣かせるとは隅に置けねえな。ま、ホストらしいといえばらしいけどよ」
「泣いてない。勝手に話を盛るな、錬金術師」
 ぴしゃりとツッコミを入れて、充琉がくるりとすぐに背を向ける。ニットの上着から露になった背中には大きく翼のタトゥが彫られていて、そのまま空に飛び立っていきそうだった。楼亜は二人のやり取りにまた目を白黒させる。
「……顔見知りだったのか?」
「まあ、私も今は『エマ』の所属だからな」
「そういうこった。色々と世話してやってるんだよ、お付きのマキナを」
 『エマ』に勤める風俗嬢たちには、何かしら男性客とのトラブルが起きた場合に備えてボディガード役となるマキナがそれぞれあてがわれている。錬金術師の下にそのメンテナンス依頼が来る機会も多いため、店の人間のほとんどとの間で面識は出来上がっていた。
 ともあれそんな充琉が、自分の店に直接関わりのない楼亜の事情に詳しいことの方が錬金術師にとっては驚きではあったが。
「それに、そのセリフはむしろこっちのモンだ。顔見知りだったとはな」
 その問いかけに、ようやく緊張が解けたように楼亜は笑みを浮かべた。気心の知れた人間に会えた安心感もあったらしい。心持ち軽くなった足取りで充琉に近付き、その頭に手を置いて返答する。
「幼馴染みなんです、充琉とは」
「腐れ縁の間違いだろう。あといい加減やめろこれは」
 置かれた手を振り払って、仏頂面で充琉が楼亜を見上げる。どうやら昔からの恒例行事らしい。こうしてやり取りを見ているとどちらが保護者なのか分からなくなるが、それが二人の関係性をよく表しているようにも思えた。錬金術師がからかうように笑う。
「プライベートで異性と付き合いがあると分かったら、客が黙ってねえぞお二人さん」
「だから茶化すな!私たちはそういう仲じゃない!」
 ムキになる充琉の姿がまた何よりも滑稽で、ますます笑いが込み上げてくる。今回は色々と腑に落ちないところの多い依頼ではあったが、とりあえずはしばらくネタにして楽しめそうな要素が見つかった。それをモチベーションにするのもいいだろう――意地悪な思考だとは思いつつも、錬金術師は内心でほくそ笑んでいた。

「さて、と。黙ってられないって顔だね緋芽」
 楼亜たちが去った後の事務所で、葉巻を灰皿に押し付けながら朱纏が口を開く。ソファには今度は緋芽がどっかりと座り込んでいて、憮然とした表情で俯いている。
 先ほどはああして楼亜に食って掛かりそうなところを止められてはいたが、かといってこのまま事態を黙って見過ごすつもりも毛頭ない。店の仲間が傷つけられた以上、その犯人には何としても落とし前をつけなければならなかった。
「あの楼亜が犯人じゃないなら、誰がやったのか白黒つけなきゃ」
「その辺はアル君がまあうまくやるでしょ。何だかんだ言いつつもさ」
「あいつに任せるのが癪って話なんですけど」
 朱纏ほど緋芽は錬金術師に対していい感情を持っているわけではない。あの不敵な態度が気に入らなかったし、いくらマキナのメンテナンスを任せることが多いとしても出来る限り借りは作りたくなかった。
 その錬金術師が不本意とはいえ犯人探しまで本当にやってのけてしまったら、ますます大きな借りが出来てしまう。それは本当に面白くない話だ。
「まあ、でも確かに黙ってられないのも事実ではあるか……」
 天井を見上げながら、朱纏が小さく呟く。どのような動機を持った犯人で、どうやってマキナを暴走させる仕掛けを施したのか。自分が管理するこの街で下手に騒ぎを起こされてしまって、組織の沽券に傷がつくのを見過ごせるほど寛大ではない。むしろ理由がどうあれ犯人が分かった暁には相応の対応を取らねばならないだろう。
 そしてその時は、出来れば警察の手が落ちる前に訪れてもらいたいものでもある。今回の一件で警察ももちろん動いてはいるはずなので、そちらに犯人の身柄を抑えられて手が出しづらくなるのは避けなければならない。いくら向こうが組織に直接干渉してくることはないとしても、いたずらに刺激し合うべきでもない。この街で『共存』の道を取るならば極力衝突は少ないほうがいいのだから。
「分かったよ緋芽。とりあえず好きに動いていい」
 新しい葉巻に火をつけた朱纏の指示に、緋芽はぱっと表情を明るくした。今回ばかりはそのGOサインが心からありがたい。待ちかねたように席を立って一気に扉へ向かって駆け出すと――その背中に「ただし」と朱纏が待ったをかけた。
「アル君はきっと、何か重要なものを掴むはずだ。絶対に目を離さないように頼むよ」

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