錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):23

「……適材適所だな。下手にキミが行ってたら、返り討ちより酷い目に遭ってたか」
 充琉がまた小さく笑って、観念したように緋芽に向き直る。銃口を向けられてもなお彼女の表情には何も動揺が見られない。緋芽はその様子から一つの悲しい確信を得た。
「充琉。アンタ……最初から死ぬ気だったの?」
「逆に聞く。こんなことをした私を、ボスが生かしたままにすると思うか?」
 何も否定するそぶりを見せない充琉の姿に、全身から一気に力が抜けていく。どういう力でこの両腕が銃を支えているのかももう分からない。冷静さをようやく取り戻せたはずの緋芽の心を、今度は戸惑いと悲しみが一気に塗り潰していく。しかし充琉はそれでも言葉を続けた。
「死んだあの技師は『エマ』のマキナだけをメンテナンスしてたわけじゃない。他の仕事を斡旋されることだってあった。そんな人材を殺されたと分かった以上、身内だろうとボスは容赦しない。いやむしろ身内だからこそもっと酷い目に遭わされるだろうな、私は」
「そんなことが分かってるなら、なおさら」
「だからこそだ。そんな危険な男がトップの椅子に座ってるような場所で、楼亜がまともにやって行けるなんて私は思わない」
 もう充琉の目は笑っていなかった。どこまでも冷たく、しかし鋭く緋芽を真正面から見据えて――一瞬の間にもう片方の手には銃が握られていた。
「外からだけじゃ見えない、中にいるから分かるんだ。ボスはただ怒らせたら怖いだけの人間じゃない。この街を、自分の縄張りを荒らすような存在ならアリ一匹だろうと徹底的に潰す。跡形もなく。そのアリになりたくないと怯えながら暮らしてる人間がこの街にどれだけいると思う?」
「それは、でも」
「街の人に最初から厳しく当たることなんかしない、当然だ。ボスにとってはみんな自分の縄張りで平和に生きる『仲間』だ。ただしわずかでも意に沿わないことをすればその時点で終わりだ。みんな笑ってるようで、心の底にそんな怯えがこびりついたまま離れないんだ。私たちはそれに慣れて、感覚がマヒしてるだけ。余所から来た人間がいきなりそんな境地に行けるわけないだろう」
 朱纏のあの気さくな態度の裏にある、底知れない恐怖とプレッシャー。そしてその組織の傘下にいるから分かる、より詳細なことの顛末。その凶刃にかかった者たちがどんな末路を迎えたかを知った時、充琉は全てを覚悟してこうすることを決めた。そんな血生臭い本性を隠し持ったこの街でなくても、楼亜が生きられる場所はいくらでもある。話を聞いてもらえたのなら一番よかったのだが、そうならなかった以上取るべき選択肢はもう他に思い浮かばなかった。
「緋芽ちゃん!」
 緋芽の背中に追いつくように、銃を構えた与太を筆頭にした警官隊がやって来る。どうやら錬金術師が連絡したらしい。与太の呼びかけが何だか無性に心強くて、ようやく緋芽はぎゅっと銃を握り直して真っ直ぐ充琉を見つめ返した。
「……アンタの言ってることは、確かに間違ってないかもしれない。でも」
 もし自分が充琉の側に立っていたとしたら、与太が朱纏によって危険な目に遭わされることになったとしたら――そんなことを考えると、充琉の言葉を否定することは緋芽にも出来なかった。組織の一員という立場をかなぐり捨ててでも与太と一緒にいたい。そのぐらいの気持ちは持っている。
 しかし、それとこれとは話が別だ。どうあれ充琉は行動を先に起こしてしまった。自分から街の秩序を乱して朱纏にとっての害悪に回ることを選んでしまった。ならばこの街に生きている人間として、それを見過ごすことは出来ない。ましてや仕事仲間を傷つけるということまでしでかしたのだから。
「それでもやったことは、大間違いよ」
 銃口を向け合うこの状況は出来れば想定したくはなかった。しかし錬金術師からあの推理を聞いた時点でもう覚悟を決めるしかなかったのは事実で、だからこそ迷いは捨てるしかない。
「もう一回言う、『犬笛』を捨てて観念して。警察も来てる、ボスがどうこうする前にアンタの身柄がそっちに行けばそこまで悪いようにはならないはずよ」
 引き金を最初に引くのがどちらか、指先と視線に神経を集中させる。太陽はもう沈み始めていて、空がゆっくりと黒に染まっていく。視界が悪くなるのを拒むように緋芽はより目をはっきりと見開いた。
 その視線の先で充琉は――わずかにため息をついて。
「……今さら保身に走るなんて、虫がよすぎるだろう」
 銃も『犬笛』も手放さない。充琉もまた、確かな意思で真っ直ぐに緋芽を見据えて言い放った。
「そんなつもりは、ない」

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