錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):17

 錬金術師の見立ては当たっていた。朱纏から教えられた技師の仕事場のコンピュータには『狂犬病兵』の事細かな設計データがまだ残されていて、今はまさに有線で接続させた『フラスコ』がそのデータを取り込んでいる真っ最中だ。
 そのコンピュータにはもうとっくに乾ききった血痕が残っていて、画面の灯りに照らされた室内のあちこちにも同様に血痕が散らばっている。後方では錬金術師の報せを受けた刑事たちが現場検証を行っていて、もちろんその中には与太の姿もあった。その与太の方には緋芽がコバンザメのようにくっつき、漫画ならハートマークが浮かぶようなキラキラした目を向けている。
「え、ええと緋芽ちゃん。現場検証の邪魔になるからその……もうちょっと離れてくれると嬉しいんだけど」
「遠慮しないで、何か手伝うことあったら言ってくださいっ!私割と色々出来るし!」
「いやむしろ手伝ってもらうわけにいかないんだけど!」
 助けを求めるように錬金術師に視線を送っても、錬金術師は弓魅への経過報告と『フラスコ』へのデータ取り込みの状況確認の最中なので意識を向ける余裕はない。現場検証よりも緋芽への対応の方に労力を割くしかなく、与太は思わず天を仰いだ。
 そんな後方のやり取りを尻目に、錬金術師はふとコンピュータの後ろに要塞のようにそびえる機材の山に目を向ける。恐らくは『狂犬病兵』の製造が行われていたのであろうベルトコンベアはすっかり荒らされていたが、それでもまだ比較的原形を留めてはいて。少し手を加えればそのまま再稼働させることも難しくないように思える。もし本当にそれが可能なら、引き続き自分がこの製造ラインを管理する形で『狂犬病兵』の対抗策になりうるものを作れるかもしれないのではないか。そんな期待すらあった。
「そんなに、大変な状況なんですか?」
 ようやく事態の深刻さを悟ったのか、受話器の向こうで弓魅の声色が熱を失っていく。少しはまともに話を聞く気になったらしい――錬金術師も真剣な面持ちに戻り、これまでの経緯を振り返りながら返答する。
「はっきり言って、お前が助かったのは奇跡中の奇跡だよ。あの場でくたばってても不思議じゃねえし、このままじゃ、あんな話が街中でポンポンもぐら叩きみてえに湧いて来る。『クレッセント』は当然だが街ごと地獄絵図になってもおかしくねえ」
「街ごと……!?」
「だからそっちをどうにかするために動いてるんだよ。言わせてもらうが、もうお前の依頼は話のついでだ。この一件を片付ける片手間にやっとく程度のオマケでしかねえんだよ」
 仕事の優先順位をつけるのは錬金術師の美学に反してはいたが、今はそんなことにこだわっている場合でもない。これ以上の大事になる前に事態を収束させる糸口が見つけられないとそもそも依頼どころではないのだから。
「とにかくそういうことだ。あまり期待はしねえで気長に待ってな」
 恐らくは涙目になっているであろう弓魅の様子を思い浮かべつつも、錬金術師は話を切り上げて一方的に通話を切る。このまま話を続けていたら確実に弓魅はしつこく食い下がって来るだろうし、彼女の泣き言や恨み節をいつまでも聞いてやれるだけの時間も心のゆとりも今は持ち合わせていなかった。視線の先で『フラスコ』がデータの読み込みを完了したことを告げるアイコンを空間ディスプレイに描いたのを確認すると、すぐさま配線を外して錬金術師は『フラスコ』を肩に担ぐ。
「さて、と」
 狐から入手した情報では『狂犬病兵』の暴走を引き起こす『犬笛』が存在する。それがここで作られたことも間違いないはずで、今取り込んだデータの中にその製造工程が含まれているのも確実だ。素材になりそうなものがまだここに残っているなら、手早くそれを入手して自分の仕事場に戻る必要がある。
「こっちはもう終わったぞ与太。女遊びも大概に切り上げたらどうなんだ」
「遊んでるように見えるかバカ野郎!」
 錬金術師の皮肉に顔を真っ赤にして抗議すると、与太はまとわりついて来る緋芽を押しのけて彼の前に進み出た。そして手にした警察手帳を鼻息荒く突き出す。
「こっちだって色々調べて分かったんだよ!まあどうせ仕事には関係ないからってお前は聞き流すだろうけどな!ハズレ推理したくせにな!」
「うるせえ。推理は俺の仕事じゃねえんだ、忘れろ」
 覚理に言い包められた先ほどの出来事を持ち出され、ばつが悪そうに錬金術師はペッと唾を吐き捨てる。あまり与太に弱味を見せたくはなかったのだがこうなってしまっては仕方がない。それに――
「それと生憎だが、今は犯人捜しも真剣にやらねえと仕事どころじゃなさそうなんだよ。教えろ」
 暴走を引き起こす『犬笛』の持ち主を突き止めなければ事件はどんどん繰り返されるばかりだ。これ以上同じような依頼が自分のところに殺到して面倒な事態になることも避けたいし、そもそも先ほどの自身の言葉の通りの地獄絵図になってしまっては本当に仕事どころではない。警察ともある程度は連携を取らざるを得ないのだ。それを思えば自分の美学やプライドなど二の次だった。
「ったく、教えろってそれがモノを頼む態度かっての」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、与太は手帳のページをパラパラとめくりながらこれまでの現場検証で得られた情報に改めて目を通す。使えなさそうな情報は除いて、ひとまず要点を彼なりに錬金術師の立場に立って洗い直す。
「まあいい。とりあえずその『狂犬病兵』の製造依頼だけど、出したヤツの正体に繋がるヒントは残ってなかったみたいだ。パソコンの中からもそれらしいものは出なかった」
「そこんとこのデータは消したんだろうな。依頼主のプライバシー保護か、それとも」
「まあ言えないようなヤバい仕事だったから、それを引き受けたことを朱纏に知られないようにするため……って方が当たりだな」
 犯人の人物像に辿り着くのはここでは無理だろう。となればそんな実体のないものよりももっと確かに特定につながる手掛かりに期待する必要がある。そう――実際の人影だ。
「防犯カメラに怪しい誰かさんが映ってたとかは?」
「残念ながら。でもそれならそれで考え方は変えられる」
「というと?」
「犯人が防犯カメラの場所や範囲を事前に分かってたとしたら、ってことだよ」
 事件の捜査なら錬金術師よりも優位に立てるので、心なしか与太の態度は得意げだ。ふんと勢いよく鼻息を鳴らし、ぴっと指を立てて堂々と推理を口にした。

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