マキナの街の錬金術師(アルケミスト):24

「――いい歌だな。さすがは『アビス』の元歌姫、か」
 再び、『パール』店内。カウンターに腰を下ろした錬金術師は快復した歳蓮の歌声を聴きながら、穏やかな笑みを浮かべてグラスの酒をあおる。
「あなたのおかげですよ。ありがとうございます」
 テーブルを挟んで立つマスターが、グラスを拭きながら恭しく頭を下げる。警察の事情聴取もそれほど長時間にはならなかったので、終わってから開店の準備を整えるにはさして時間はかからなかった。戦闘に巻き込まれてあちこちに負ったかすり傷を隠す絆創膏が少し痛々しかったが、彼にとっては一日でも店を休ませるなどありえない選択肢だ。歳蓮を目当てに訪れる客も多いし、何より――全快した彼女の歌声を自分自身も一番楽しみにしていたから。
「気にすんな、ただの仕事だ。もらうもんはキッチリもらったしそれでいい」
 マスターの言葉を軽く受け流し、錬金術師はステージに立つ歳蓮を見つめる。マキナに人間と同じような喜怒哀楽が備わっているわけではないが、それでも何故だか彼女が歌っている姿はとても楽しそうに、幸せそうに思えた。
「その報酬なんですが……本当にいいんですか?」
「何がだよ」
 マスターの問いかけに、錬金術師は向き直らない。歳蓮のステージに意識を向けたままで続きの言葉を待つ。
「何がって、ウチが払ったわけじゃないでしょう。ほとんど朱纏さんが肩代わりしてくれたようなもんだし」
 ――メンテナンスを終えた後、錬金術師のアジトにはマスターからでなく朱纏からの連絡が真っ先に入った。今回の歳蓮の修復に対する報酬について、『パール』からではなく彼の組織から支払いを行いたいとのことだったのだ。歳蓮は元々組織が管理していた所有物ではあったし、一連の襲撃事件の犯人を捕まえてくれたお礼のつもりという名目も兼ねてのことだ。マスターがその連絡を受けたのは、朱纏と錬金術師の間で話がついた後のことだった。
「いいじゃねえか。朱纏はここの面倒も見るって言ったんだ、それも仕事の内だろ」
 そしてその際に、朱纏はマスターに対して『パール』の支援を名乗り出た。元々あの会合で話すつもりだったらしいが、彼は『アビス』にかつて在籍していたマキナ達を今後もしっかりバックアップ出来るよう、彼女たちが共に暮らす人々の生活支援を決めたのだという。店の経営もそうだが、先日の百足の襲撃のように予期しないトラブルに対しての護衛という面も含めてのことだ。とすれば店の経営に支障が出ないように報酬を捻出するのは朱纏にとっては当然の役目ということになる。あくまで、彼の理屈ではあったが。
「いや、でも」
 申し出はありがたいものだったし断る理由もなかったが、負い目がなかったわけではない。元々は自分が錬金術師に依頼したのだから、こちらが懐を痛めることが筋のはずで。マスターは僅かに身を乗り出したが――錬金術師にはひらひらと空いた片手を振ってその言葉を遮る。
「やめとけよ。下手に朱纏に逆らったら後が怖いぜ?」
「っ、やめてくださいよ……シャレに聞こえませんよそりゃ」
 錬金術師が笑う。それにつられて、思わずマスターも笑う。思えば不思議な相手だ――最初は得体の知れない怪しげな人物だと思ったし、錬金術師という肩書きを嘯く彼の言葉を信用する気は微塵も湧かなかった。それでも仕事を依頼したのはかつての歳蓮の歌声をもう一度聴きたいというささやかな希望からでしかない。
 しかし彼は見事にその期待に応え、挙句に結果として『パール』の看板自体をこの先も守っていける確実な道筋を立ててくれた。今考えれば随分と失礼な第一印象を持ってしまったという後悔すら湧いて来る。
「……さて、それじゃ俺はそろそろお暇させてもらうか」
 と、空になったグラスと代金を置くとおもむろに錬金術師は立ち上がった。視線の先ではちょうどステージを終えた歳蓮が客席からの喝采に深々と礼で応えている。彼女の美しい歌声が人々を楽しませることが出来たのなら、それが何よりの仕事の成果だと言えた。それを確かめられた以上ここに長居する理由はない。
「もう少しゆっくりしていってくださいよ。1杯ぐらいはサービスさせてください」
「そいつはまたの機会にしてくれ。悪いが、次の仕事があるんでな」
 マスターの誘いを微笑みと共に断って、錬金術師は出口へ踏み出す。気が向いたらまた暇な時にでも来ればいい。しばらくは『パール』も安泰なのだ、入り浸って別れを惜しむ必要などないだろう。
「――お待ちください」
 と、そんな彼の背中に声が届く。喝采の中にあってもなおはっきりと届く、澄んだ声。
 錬金術師がわずかに振り向くとその声の主――歳蓮は優しい笑みを浮かべて、まっすぐに彼を見つめていた。そして、見事に取り戻された本来の声ではっきりと。プログラミングされた職務に忠実に、あるいは人間でいう心底からの感謝の念を込めて。

「ご来店ありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております」

 ――錬金術師はフードの奥で、その言葉を噛みしめるように満足げに目を閉じて。一言だけ言い残して、扉の向こうに歩き出していった。
「……ああ、また来るよ」


了)→

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