人を好きになりたい
大人になると恋愛の仕方を忘れてしまう
将来のあれこれを考える前に
心で人を好きになりたい
社会人になってから、多くの男性と関わる機会が増えた。
彼氏を作りたいと思って行動もした。友達の紹介で知り合う人もいたし、飲み会の席で出会う人もいたし、いろんな人を恋愛対象として見てきたつもりだ。
ある日、私は男友達主催の飲み会に参加した。そこには女子の友人もいれば、初めて会う男友達の友人もいたのだ。大体年齢は皆同い年。地元が近い人がほとんどで話も盛り上がった。
私はそこで、斜め前に座ったA君と知り合った。A君は、公務員で清潔感もあって、面白いトークで場を和ませてくれた。そしてどことなく、余裕のある素振りでご飯を食べ進めていたところも、好印象だった。
その後、A君とは連絡先を交換し、やり取りが始まった。
会話のテンポ、話の内容、優しさが垣間見える絵文字の使い方。
あ、きっとこの人はいい人なんだろうなと感じるそんな文面だった。
たわいも無い話も続くA君とのトークは、私も居心地は良く、気づいたらデートの約束まで進めていた。
デートの前日。
ワクワクはする、でもドキドキはしない。
これがきっと答えだったのかもしれない。
デートはすごく楽しかった。
観光地に行って二人で写真を撮りあったりして「ああきっとこの人はこうやっていろんな所を楽しめるんだろうな」と考えた。
食べ歩きをして「この人はこうやって笑顔で色んなものを一緒に食べよう!って言ってくれるタイプなんだろうな」と考えた。
車に乗っていても、何かを一緒に食べていても、歩いても、A君の人の良さと好印象を抱いてくれているんだろうなという気持ちが伝わる。
それを感じるたびに、「ああこの人はきっといい人だ。将来もこんな風だ。」と心の中で考えて、自分に伝え続けていた。
これこそが、私が人を好きになれない原因なのかと思う。
これまで、好きだと思った相手は
考えるよりも前に、感情が動き、表情が緩くなっていた。
写真を撮りあった時「感情が溢れ出しそうなほど嬉しそうな表情をしている」
ご飯を食べている時「ご飯の美味しさよりもその人と食事をしているこの時間に幸せが溢れている」
でも、今のこの感情は
考えてから、その自分の意見で、感情を動かしているのだ。
恋愛をそうやってコントロールしようとしている。
自分で誰かを「いい人なんだから」と思わせて、好きにさせようとしている。
「いい人だから、きっと幸せになれる」
「優しいから、この先も幸せだと思う」
そういう将来を予測する考え方が、純粋な「好き」を感じる瞬間をなくしている気がするし、もしくは純粋な「好き」を見つけることができないからこそ
「好き」を作り上げようとしているのかもしれない。
いや、私は後者に近いような気がする。
私はこの答えに気づいた時に
もうA君と連絡を取るのをやめた。
傷つける前に、期待を持たせる前に、正直でいた方がいいと思ったから。
「好き」は作り上げるものではなく自然に生まれるもの。
そうわかっているはずでも、過去に傷つけられた経験や裏切られた経験が邪魔をして、本当にこの人を「好き」になってもいいのかと自制をかけ、この人なら安心かもと思える判断をくだしてから「好き」を作り上げている。
そんなような偽善が、とても嫌いだった。
こんなことを繰り返して
恋愛をすることが嫌になっていく日々。
それでも「人を好きになりたい」
これは、「人を好きになることの幸せさ」を
私の過去の誰かが、教えてくれたから。
それは、喜びに満ちていると教えてくれたから。
きっと
私は「好き」の呪縛から
まだまだ抜け出せないのだろう。