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ビートルズで「愛」を学ぶ。「ノルウェーの森」に込められた本当の意味とは。

自己開示は、意外と気持ちがいい


今回は「愛」がテーマの話です。

最近、僕はアホみたいに「愛」について他人と議論を繰り広げています
不思議なことに、皆真剣にこの話に乗ってくれるわけです。

つまり、世間的にも「愛」は哲学的かつ解明されない難儀な問題だということだ。

そこで、僕は今までの人生を思い返してみる。

僕は、心から他人を愛したことがあっただろうか。
僕は、心から他人に愛されたことがあっただろうか。

多分、否だ。

それこそ高校時代の担任の先生は、読書とニコニコ動画しかしていなかった成績不良の引きこもり陰キャオタクの僕を飯田橋のデニーズに引っ張り出して5時間ぐらいマンツーマンで「政経」や「日本史」を教えてくれたし、それはある意味「愛」だったのではないのかと思うが、でもそれは果たして僕だけに対する「愛」なのだろうか。

偏屈な考え方をしてみれば、他の成績不良の生徒にも注いでいる同様の「愛」なのではないだろうか、ということである。

とまあ広く「愛」について重く語り出したが、今回は人間全般に対する「愛」ではなく、異性に対する「愛」についても真剣に考えてみたい。

そもそも僕みたいな恋人とたった1年すら関係が続いたことのない愚か者がこんな深い題材をテーマに語っていること自体がお門違いで滑稽でもあると思うのだが、ライターの仕事をしていたときの癖で執筆しだしたら止まらない性格なので、色々な感情を我慢して聞いてほしい。

はてさて、「LIKE」が「LOVE」に変わる概念って何だろう。

この人と一緒の墓に入りたい

ってことなのだろうか…??

しかし幸福度の高いと言われる北欧諸国では、一度「愛」を誓い合ったのにも関わらず、「飽きたから」「より幸せになりたいから」「新たなセックスがしたいから」を理由に自ら進んで離婚を決める家庭も多々あるらしいし、実際「一緒の墓に入りたい」という感情を抱くことだけが「愛」になりうるわけではないらしいと分かる。

むしろ、離婚率の高い(35%)日本よりももっと軽率な動機で離婚の文化が流通しているのかもしれないし、それが幸福に繋がっているのだとしたら日本人の僕らはもう辯論で入り込む余地もない。

更に言うと、僕の数少ない親友(同い年)は、人生初めて付き合った相手が20歳近く年上の相手で、今日まで約4年も付き合っている。今もなお「心から愛している」とお互いに恥ずかしげもなく言うし、何なら半同棲までしているのに、驚くことに余生、結婚は一切考えていないと言う。
(まあ、相手の方が結構特殊な状況というのもある。)

勿論僕は彼を否定する気などさらさらないし、実際その彼女のこともよく知っているから、親友が“陰”、彼女が“陽”と考えるとバランス的にすごくよくお似合いだとも思っている。

つまり、「愛」の形は人それぞれ、ってことなのだろうか…??

さて、いよいよ訳の分からないことを連ねていたら深夜テンションで何か面白くなってきた。

ここからが本題。

高校生の時、親父のアルバムを勝手に拝借してThe Beatlesの「Norwegian Wood」という楽曲を最初に聴いていたときに、非常に心地の良いメロディーだと思ってカタルシスを覚えていたら、最後に「彼女の家に火をつけた」というおどろおどろしいワードが出てきて、当時頭のおかしかった僕はその描写に無性に興奮した。

And when I awoke I was alone
This bird had flown
So I lit a fire
“Isn’t it good Norwegian wood?”

翌朝目が覚めると僕はひとり
愛する鳥は飛んでいった
だから僕は(家に)火を付けたんだ
「素敵だな。ノルウェー産の木は(燃えやすくて)最高だ」

改めて見てもすごい詞だと思う。狂っている。

ここでいう“This bird”とは、歌詞の序盤に出てくる家に招いてくれた彼女のことだと思われるが、なぜジョン・レノンとポール・マッカートニーの描き出した彼(主人公)は、ここまでの非人道的行為に出たのだろうか。

実はこの楽曲、出会ったばかりの女の家に招かれて意気揚々と訪問したのにも関わらず実は相手にはそんな気がなくて、セックスも出来ずに狭い風呂場で眠らされて翌朝彼女がいなくなっていたというつまらない男の下世話なストーリーではあるのだけれど。。。
創作とは言え、家を燃やすほどの感情ってすごいなと僕は思ったわけですよ。

「ノルウェーの森」
※上記は誤植で、正しくは「ノルウェーの木」の意だが。

僕がこのたった2分4秒の歌を面白いと思った点は、下記の2つの詞にある。

(冒頭)
She showed me her room
“Isn’t it good Norwegian wood?”

「素敵でしょ。ノルウェー産の木を使ったお部屋なの」

(最後)
So I lit a fire
“Isn’t it good Norwegian wood?”

「素敵だな。ノルウェー産の木は(燃えやすくて)最高だ」

女が冒頭で使っていたワードを最後にここまで皮肉めいた言葉にしてしまうジョン・レノンとポール・マッカートニーの才能にも驚かされるが、最後のこの猟奇的な発言は、英語がそこまで分からない僕ですら、相当な畏怖の念を抱く。陽気な曲調だからこそ、尚更。

当時の僕はこの歌を聴いて、「愛」とは単純に人を狂わせるということなのではなかろうかと感じた。

ここまで思いっきり狂えるって、ある意味すごいと思うんだよね。

まあ、この話はダメな男の話だから実際にはそこまで参考にはならないのだけれど、それでも恋愛とか無縁だった男子校高校生の僕としては結構な衝撃を受けたわけだな、当時は。
The Beatlesを好きになったのは多分「Norwegian Wood」と「Hey Jude」を聴いてからだと思うんだけど。
(「Hey Jude」はリンゴ・スターのドラムの音とポールの優しい歌声がたまらなく好きだった。)

結局、何が言いたいかというと、「愛」っていうのは文字通り、相手の「心」を「受」け止めるってことなんじゃないかなってことだ。

与えるものではなく、受け止めるもの。

これに関しては、我ながらいい解釈だと思っている。

つまり、与える方がいて、受け止める方がいるということは、一方的な「愛」などこの世に存在しないということだ。

一方的な愛情は、「Norwegian Wood」のように双方の未来を狂わせる。

だから、僕が冒頭で嘆いていた、コレ。

僕は、心から他人を愛したことがあっただろうか。
僕は、心から他人に愛されたことがあっただろうか。

この両方が同時進行で行われない限り、僕の「愛」はこの世に存在しないのだろうなと、改めて感じた。

うん、そう考えると結構簡単に解決したかな。

僕は一体何に悩んでいたのだろう。

やはりビートルズは偉大だ

ちなみに上記で挙げた「Hey Jude」という歌はポール・マッカートニーがジョン・レノンの息子であるジュリアン・レノンに対して歌った楽曲だが、そこにこんな詞がある。

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

ジョンはオノ・ヨーコと不倫の関係に堕ちていたが、心配したポールはジュリアンに対して本当の母であるシンシアを心から受け入れよとメッセージを込めた。

改めてここで、「愛」とは双方を受け入れることだと僕は思ったね。

まあ、これは親子の関係の話だけど。


…ということで、僕はこんなクソくだらないことを1時間かけて撰述して、明日の5時起きに備えて寝ます。

またどこかでお会いしましょう。

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