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【30歳】「雑」の中で生きていく

「雑魚」も、「雑草」も、
人間が勝手に名付けた“くだらない”名前だ。

どうでもいい魚。どうでもいい草。

本来はそんな名前の魚も草もいないわけで、
もともとは彼らも彼ららしく“生”をまっとうしているはずだったのだ。

モノゴトを“上”とか“下”で見ているエゴイストたちが、
「雑」という漢字を使って彼らを「雑」に扱った結果、

「雑魚」も、「雑草」も、
“下世話”なものとして見られるようになってしまった。

悲しいかな、このようなヒエラルキーが生じるのも、
漢字という文化がある日本ならではだ。


さて、「雑説」を言うようだが、
とある人物が本日を持って30歳の誕生日を迎えたようだ。

「雑然」としていただけの“20代ブランド”を捨て、
梅田の「雑居」ビルの近くで独り「雑記」を記している。

「混雑」したコメダ珈琲店の店内で、
他の客の心地の悪い「雑音」が響き渡る中、
30歳になった誰かさんは「雑」に喜怒哀楽を爆発させていた。


『嬉しい』
『悔しい』
『悲しい』
『楽しい』

30歳を迎えるというのは、
ここまで「雑多」な感情が芽生えるものか。


『嬉しい』は、大人になったから。
『悔しい』は、やり残したことがあるから。
『悲しい』は、大人になりすぎてしまったから。
『楽しい』は、ポジティブに“生”を感じられるようになったから。

このような「複雑」な想いを抱えながら、
誰かさんはPCを閉じながら気持ちよく「雑念」を放り出していた。


きっと、これからも、
彼は「雑」の中で生きていくのだ。

だが、それでいい。

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