「東京観光日誌」#30|初台|東京オペラシティ アートギャラリー
4月30日(土)晴れ。
新宿から京王新線で一つ目の駅「初台」。都営地下鉄新宿線が乗り入れていて「新宿」で乗換える必要がなかった。「新宿」の駅構内は混雑しているのでいつもストレスを感じていたが、スマホの路線情報アプリのおかげで回避できることを知った。ちょっと得した気分。
東京で仕事をしていても結局自分が関係するところ以外はあまりよく知らないものだ。JRや地下鉄、バスさまざまな交通機関を使いこなすのはなかなか容易ではない。東京を訪れる人は特に大変だと思う。スマホを持っていればぜひ路線情報アプリを入れておくことをお勧めしたい。
・ 東京オペラシティに到着
ゴールデンウィーク2日目の4月末日。10:45分頃に「初台」に到着。ここは「東京オペラシティ」と直結しており、東口B1につながっている(写真下)。
少し歩くとサンクンガーデンという円形広場があり、すぐに巨大な人体像が目に入ってきた(写真下)。
「これは・・ジョナサン・ボロフスキー?」ここでお目にかかるとは思いもよらなかった。
「パクパクと口が動いている・・」彼の作品はいつもユニークなのだ。
ボストン出身のアーティストで「ハンマリングマン」(写真下)はよく知られた彼の代表作である。こっちはハンマーをひたすら振っている作品だ。
東京オペラシティを訪れるのは初めてである。
ここは文字通りオペラ劇場を備えた新国立劇場やコンサートホール、リサイタルホール、近江楽堂といった音楽施設が充実している複合施設だ。
今日はここの美術施設である「東京オペラシティ アートギャラリー」へ「篠田桃紅展」を観にやって来た。本当は前回開催していた「ミケル・バルセロ展」の時に来ようと思っていたが、残念ながら機を逸してしまった。
これについては、内田さんがその時の展覧会の写真を撮っていてくれたので作品を観ることができた。会場の様子も見れるので、よろしければこちらをどうぞ。
サンクンガーデンからエスカレータで3階に上がったすぐ横に「アートギャラリー」がある(写真上)。
開館は11時からとなっており何とか10分前に到着した。すでにエントランス前には行列ができていたが(写真下)・・どうやら私は比較的早い方で、開館時間になる頃には、私の後ろの列は前より長く伸びていた。
「篠田桃紅展」は思った以上に人気のある展覧会のようだ。
ジャスト11時。時間通りに扉が開いた。
受付カウンターで前回同様「ぐるっとパスカード」を見せる。もちろん、今回も無料で入館。本来なら以下の入場料がかかる。
企画展(収蔵品展・Project Nの入場料を含む)
一般:1,200円 大学・高校生:800円 中学生以下:無料
*企画展の料金は展覧会ごとに異なる。
(ということで、「朝倉彫塑館」500円「パナソニック汐留美術館」1,200円そして今回1,200円ということで合計2,900円。「ぐるっとパスカード」が2,500円だったので、この時点で400円お得になった👍)
「こちらは写真撮影はできますか?」窓口の女性に尋ねてみた。
「こちらのフロアは撮影できませんが、この上の収蔵品展でしたら撮影ができます」との回答だった。
「篠田桃紅展」を撮りたかったが・・仕方ない。ここ最近の展示場と比べれば寛大な部類と言えるだろう。「篠田桃紅展」は純粋に鑑賞しよう。
・ 篠田桃紅の活動
篠田桃紅・・本名は篠田満洲子。1913年3月28日生まれで昨年2021年3月1日にお亡くなりになった。107歳だった。
晩年多くの本が出版されていた・・
・「これでおしまい」(講談社)2021
・「朱泥抄」(PHP研究所)2021
・「一〇五歳、死ねないのも困るのよ」 (幻冬舎文庫)2019
・「一〇三歳、ひとりで生きる作法 老いたら老いたで、まんざらでもない」 (幻冬舎文庫)2019
・「墨を読む 一字ひとこと」(小学館文庫)2018
・「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」(幻冬舎文庫)2017
・「桃紅一〇五歳 好きなものと生きる」(世界文化社)2017
・「人生は一本の線」(幻冬舎)2016
・「墨いろ」(PHP研究所)2016
・「一〇〇歳が聞く一〇〇歳の話」(実業之日本社)2015
・「その日の墨 」(河出文庫)2014
・「百歳の力」(集英社新書)2014
・「桃紅百年」(世界文化社)2013
・・・
検索をかけるとこんなに出ている。これだけ出版されている作家だ。人気があることが伺える。篠田の略歴にさっと目を通しておこう。
1940年代後半から50年代にかけてニューヨークでは抽象表現主義が席巻していた時期にあたる。篠田が文字や「書」に囚われない抽象的な作品を制作し始めたのが1947年からだった。
1954年には、サンパウロ市400年祭の日本政府館に壁書を制作したり、ニューヨーク近代美術館で「日本の書」展に出品する等、日本を代表した仕事が入ってくる。
1955年にベルギーの画家ピエール・アレシンスキーが来日し、映画「日本の書」を制作。篠田を含む書家たちの制作の様子を撮影しており、僅かだが篠田の制作風景も観ることができる(展示場内で公開)。
1956年、篠田は書を教えることをやめて単身渡米し、主にニューヨークを拠点に2年にわたり活動。全米各地およびパリで個展を開催している。
1958年に帰国。以後、日本の湿潤な風土が墨の特性を生かすことを再認識し、日本で制作し、国内外で精力的に発表活動を行う。
この頃の作品としては多くの建築のために壁書、壁画、陶壁、緞帳などを手掛けたり、作品では張りのある太い線や面の構成による純粋な抽象表現を確立。
1960年になるとリトグラフの制作を始める。全ての刷りを“刷り師”木村希八に託すようになり、それは木村が没する2014年まで続く。
1970年に大田区田園調布から港区青山に転居。ここを終の棲家としたのが57歳の時だ。その後個展、回顧展等多数開催。
海外では評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市や岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館している。
篠田の仕事についてちょっと気になったところで言うと・・1974年東京タワー近くにある増上寺で大本堂ロビーのために壁画、道場のために襖絵を制作。1993年に御所・御食堂のために絵画を制作。また、2007年皇室専用の新型車両の内装壁画を制作と、さまざまなところからの仕事の依頼があった。
抽象的な作品は案外、部屋の空間を演出するアイテムに適しているのかもしれない、と思った。
・ 4階の抽象画の鑑賞
ここが3階(ギャラリー1,2)なのでこの上の4階(ギャラリー3,4)フロアに階段で上がってみた(写真下)。ここから撮影可となっている。
4階のギャラリー3,4は「寺田小太郎メモリアルギャラリー」とも命名され、東京オペラシティビルの共同事業者の一員である寺田小太郎(1927-2018)の蒐集、寄贈によって構成されている。
ギャラリー3では「1960-80年代の抽象」が行われていた。展示場に入ると、まずその美しいフローリングに目が行ってしまう。下の階でもそうだったが、ここは風通しの良い空間だと改めて感じた。
作品を少し紹介すると・・
おそらくここのコレクションとして一番多いと思われる難波田龍起の作品(写真下)。息子の難波田史男と合せて約600点が収蔵されているとのこと。収蔵作品は絵画、彫刻、陶芸、版画、写真等合わせて3,700点にも及んでいる。
白髪一雄の作品(写真上)はいつも圧倒的。激しい物質感に惹かれてしまう。同じように物質感を感じる松谷武判の作品(写真下)。こちらはつい触りたくなってしまいそうだ。
次の部屋に行ってみよう。ここはギャラリー4(写真下)になるのかな。
野見山暁治(写真上)、私の芸大受験の頃によく話題に上がった方だった。100歳を越えて今も現役の作家のよう。すごい。
中西夏之(写真下)、初めて知ったのは「ハイレッドセンター」(高・赤・中)の一人として、前衛・現代美術に目を向けたときに私の前に現れた作家だった。
ここからコリドールつまり“通路”。ここで企画されているのが「project N 86 諏訪未知」の展示作品。作品のほとんどが正方形のキャンバスに描かれていてデザイン的な要素を感じる。
諏訪未知、初めて聞く名前だった。調べてみると、1980年生まれの若手の作家だった。
今日は抽象画をたくさん観た。抽象画を観た後、何となく右脳が疲れているような気がする・・気のせいかな。最近感覚的に思考することが少なくなっているのかもしれない・・と思ったりする。
ゆっくりできる椅子も用意されている。少し休んで行こうかな(写真下)。
連休中は作品制作の時間にあてたいと思っている。「東京観光日誌」で美術館等をまわっていたら、まだ自分でも燻っている気持ちがあったんだな・・と気付かされた。
今日は良い刺激を受けて頭の体操になった。
スマホでグーグルマップを見ると、ここから新宿まで歩くにはちょうど良い距離のようだ。
身体の体操もして帰ろう🚶♂️。