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「障害」の話。

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2018年1月の記事一覧

「新しい傷」の話。

聴覚障害関係の専門書を読むと、「聴覚障害は、コミュニケーション障害でもある」と、まるで聴覚障害がある側のみに生じる障害として語られている文章にであいます。まるで「聴覚障害がないことはコミュニケーション障害でもある」という事柄がないかのような語り方です。それは「コミュニケーション不全」に関する語りでも同様のことが言えます。 このような語り方は、読者に、聴覚障害当事者にはコミュニケーション障害/不全に陥り、聴覚障害がない者は陥らないかのようなまなざしを生成する可能性があります。

「ロールモデル/スティグマの対象」の話。

かつて聴覚障害児を持つ親や教育関係者の方々は、私のことを「聴覚口話法に失敗した人」「健聴者モデルに近づけられなかった人」と評価していました。また、学校教員の方々からも、当事者教員の早急の確保が必要であるなかで私はあえて大学院進学の道を選んだため、「聴覚障害のある子どもの気持ちがわからない人」「聴覚障害教育を真剣に考えていない人」などとご批判をいただきました。 しかし最近は、そうしたスティグマを張られることは少なくなり、むしろ成功例であるかのようにみなされることが多くなりまし

「情報保障」を考えるということ。

ある大学の授業での話です。 その授業は約10名の3年次学生が受講しており、各受講生が今後の卒業研究に向けて関心のあるテーマの論文を紹介してディスカッションするというものでした。聴覚障害のある学生も複数名参加していました。全員1年次から同じ専攻に所属しています。私はいわゆる助言者として出席。 その中で、情報保障支援に関わっている学生が、高等教育機関における情報保障の実態調査に関する論文を紹介する場面がありました。手話ができない学生もいるので、ディスカッションできるように情報

障害の新たな「社会モデル」の話。

大学が障害学生支援で「障害」というものをどのように捉えて障害学生と係わるのかを考えた時に、相互対立的に布置されている医学モデルと社会モデルの2つがあり、どちらに依拠するかということがあります。 ここ数年は、障害者差別解消法に社会モデルに基づいた「合理的配慮」の概念が盛り込まれたことで、社会モデルの考えを踏まえた支援体制の整備を後押しするようになりました。 特に、初めて聴覚障害学生支援に取り組む大学もやはり社会モデルの視点でまずどのような支援を行うかということから開始するこ